前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『オンライン/日本興亡150年史講座』★『「戦略思想不在の歴史」⑭「ペリー米黒船はなぜ日本に開国を求めて来たのか」<以下は尾佐竹猛著『明治維新(上巻)』(白揚社、1942年刊、74-77P)>『開国の恩人は、ペリーではなく金華山沖のクジラである』

   

 
 

<以下は尾佐竹猛著『明治維新(上巻)』(白揚社、1942年刊、74-77P)>

ヨーロッパの捕鯨船が東洋方面までに来るようになったのは16世紀後年からで、寛永13年(1636)にはオランダの捕鯨船が日本近海で鯨274頭を捕獲し、文政二年〔1819年)に米国船が金華山沖の鮭の大群を認め、報告したことより英米両国捕鯨船が殺到してきた。 

文政年間には松前地方を通過した捕鯨船だけでも86隻を数へ、米国のみでも天保14年(1843年)には100隻余、弘化3年(1843)には292隻、万延元年(1860年)には100隻を下らず、このころは米国捕鯨業の全盛時代であった。

1846年には出漁船数七百三十六隻,総トン数233千トン、これに投資した資本は七千万ドル、従業員は七万人に達する盛況で、その漁場が北太平洋で、特に日本列島付近であった。また毎年、長崎へくるオランダ船長から九州沿岸の鯨に付き報告があり、同国の捕鯨船が出動しているので、このような情報も誇大ではないとみられる。

 このように多くの捕鯨船が出漁するのであるから、そのうちには難破するものもある。薪水食糧の欠乏するものもあるのであるから、どうしても、日本の港を開いてほしいとの開国要求の理由であった。

わが国は永らくペリーを以て、開国の恩人と目していたが、ある学者は冗談に、開国の本当の恩人は、ペリーにあらずしてむしろ金華山沖のクジラであるといったのは、史実としても正確な話である。                                       

弘化元年(-八四四年)には、フランス船が、琉球にやってきて互市(通商)を求め、翌年、イギリス船がまたきたが、幕府は、薩摩藩にまかせて適宜、処理させたが、これが既に鎖国政策の崩れた端緒であった。

米国は、捕鯨業のためのみならず、その米スペイン戦争の勝利で太平洋地方のスペイン植民地の奪取し、カリフォルニヤにおける金鉱の発見が起きた。このため、これまで大西洋、喜望峰の経由で、インド洋を通過して大回りして支那に向かい行っていた中国貿易を、

直接太平洋を横断して最短距離で中国に達する航路を開拓してその中間の寄港地として日本に開国を要求する世論が1846年(弘化3年に、議会で決議された。

米国東インド艦隊司令長官ビットルは軍艦二塵を率いて浦賀にきて通信互市を求めた。幕府は浦賀奉行、大久保忠豊らに命じてその要求を拒絶した。米艦は引き上げた。

その後、米国の世論は強硬に日本に向つて開国を迫る事となり一八五一年(嘉永四年〕、陸軍中佐グリンは大統領に建議してカルフオル二アと支那との間に汽船定期航路を開始すかに当たり、日米間に通商条約締結の必要なる所以を述べ、もし、平和的手段にして成功しない場合には、武力に訴えても成就せよと力説。

東インド艦隊司令官オーリツクもまた日本開国の必要を進言し、ついにに嘉永五年(185211月、東インド艦隊司令長官ペリーに外交軍事の全権を授け十二隻の大艦隊む率いて、日本に臨むこととなった。    

 この時ペリーの用意の周到な調査をして準備し、先づ日本に関するすあらゆる書籍を買い集めてめて研究した。

このため一時、欧州における日本関係書の暴騰をきたしたといわれるほどだ。ペリー「日本遠征記」の巻末をみても如何に日本に対する予備智識の豊富であらたかを知ることが出来る。この用意周到の準備の上の談判で成功したのである。  

いよいよ出発となって種々の都合上、軍艦は前後9隻となり、日本へ達したのは、四隻であったが、嘉永6年4月、先づ琉球に寄って修交を交渉し、5月、小笠原島に至り先住米国人のサヴオリより貯炭用地を買収し、植民政府樹立の計画をたて一度琉球に帰航し、それより日本に向つた。

 - 健康長寿

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
知的巨人たちの百歳学(132)『一億総活躍社会』『超高齢社会日本』のシンボルー美容家・メイ牛山(97歳)、日本舞踊家 武原はん(95)に学ぶ

 知的巨人たちの百歳学(132) 『一億総活躍社会』『超高齢社会日本』のシンボル …

no image
『知的巨人の長寿学』の牧野富太郎(94)に学べ<植物研究と山歩きで、世界的な植物学者になる>

『知的巨人の長寿学』の牧野富太郎(94)に学べ <植物研究と山歩きで、世界的な植 …

『安倍・トランプ蜜月外交を振り返る②』★『グラント将軍((米大統領)の忠告ー『琉球帰属問題で日清両国の間に事をかまえるのは得策でない』★『なぜなら介入の機会をねらっている欧州列国に漁夫の利を与え、百害あって一利なし」

2019/06/26 記事転載   前回に続いて、グラント将軍の明治天 …

●「鎌倉アジサイ(紫陽花)チャンネル① 」ー 長谷寺、明月院、御霊神社は3、4分咲き(2015/6/8-6/9)

 2014/06/10     鎌倉アジ …

『2023年【令和5年』正月の長寿お年玉プレゼントです』★『百寿者の<長寿健康名言>のクスリを一服を進ぜましょう』

   前坂俊之著「百寿者百語 生き方上手の生活法」海竜社 2 …

no image
リクエスト再掲載/日本リーダーパワー史(331)空前絶後の参謀総長・川上操六(44)鉄道敷設,通信設備の兵站戦略こそ日清戦争必勝のカギ 「坂の上の雲」の真の主人公「日本を救った男」

日本リーダーパワー史(331)空前絶後の参謀総長・川上操六(44)鉄道敷設,通信 …

『リーダーシップの日本近現代史』(158)再録/『幽翁』伊庭貞剛・住友精神を作った経営哲学<三菱財閥・岩崎弥太郎を超えた明治のナンバーワン経営者>『部下を信頼して「目をつぶって判を押さない書類は作るな」』

前坂 俊之(ジャーナリスト) 住友家総理事・伊庭貞剛(1847.弘化4.2.19 …

鎌倉海水浴場(由比ガ浜、材木座海岸)のサーファー数百人(7月31日午前700)-台風がそれたので波低し、それでも日曜日とあってサーファーラュシュの賑わい。

前坂俊之チャンネルー湘南海山ブラブラ日記

SEMICON JAPAN2018(12/12)-『人機一体ロボット』のデモ、身長4m「巨大人型重機」が人と機械の新たな未来を開く

SEMICON JAPAN2018(12/12、東京ビッグサイト)-『人機一体ロ …

no image
★5日本リーダーパワー史(779)『鈴木大拙の大東亜戦争史観』●『それは無条件降参(降伏)ということである。日本人はこの降参を嫌い、終戦といいかえた』★『ところで降参ということが、そのように厭うべきことか、恥かしいことか、 死んでしまはなければならぬものか。』●『日米の戦争観のギャップー日本は人を戦争の主体ととらえ、 米国は戦争は力の抗争とみる』

 ★5日本リーダーパワー史(779)    『物の見方-東洋と西洋-』 …