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『リーダーシップの世界日本近現代史』(283)★『新型コロナウイルス戦争について歴史的に参考にすべき日本インテリジェンス』★『日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(22) 『川上操六は日清戦争は避けがたいと予測、荒尾精の日清貿易研究所を設立しで情報部員を多数養成して開戦に備えた』

      2020/02/20

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  2015/12/27日本リーダーパワー史(629)記事再録

2020年2月19日
初新型コロナウイルス流行(日中ウイルス戦争)について、日本は全く想定外の事態として2月19日現在ではパニック寸前の大騒ぎとなっている。今後、教訓とすべきは、あらゆる緊急事態を想定し、その対応策、スタッフ動員できる「危機管理センター」を早急に充実することだと思う。
今回の中国発のウイルス戦争は予想外の出来事だったので、大型クルーズ船(3700人)の感染者を隔離できる施設、検査施設、医療設備、専門スタップの動員で時間をとられた。そのために、よく事情を知らないか海外メディアやマスコミなどから、クルーズ船の乗客の14日間の室外禁止措置について、人権無視との批判が出ている。これは国内感染を増やさないための措置だったが、そのうちに密閉空間だったため内部感染が増えたことで批判を招いた。

  約120年前の日清戦争を振る変えると、ヨーロッパ列強各国のアジア侵略、英国のアヘン戦争以降の中国侵略をみて、高杉晋作は上海に渡りその植民地中国の惨を体験し、吉田松陰とともに明治維の回天の挙に立ち上がり坂本竜馬、西郷隆盛ともに徳川幕府を倒し、近代日本の眠りを起した。

 今回の新型コロナウイルスの発生源は武漢の野生動物市場からといわれている。「武漢華南海鮮卸売市場(動物市場」には、ざっと一千の業者が出店し、ラクダ、ヘビ、オオトカゲ、タケネズミ、コアラなど、数百種類の動物、鳥類、稀少動物が生きたままで、また殺処分して売られている。中国の多くの市には1つはこうした動物市場がある。中国では、希少動物ほど珍重されて「栄養、長寿になる」と高価で取引されレストランで富裕層に爆食されている。

 ワシントン条約(CITES)」=絶滅の恐れのある野生生物を保護する国際条約=に違反した珍獣鳥料理店、珍獣市場の大繁盛しており、長年の慣行として市当局、共産党も黙認、結託している。この中国の古代から続く食習慣、衛生環境レベルの貧困が鳥や豚ウイルスが続発する感染源となっている。つまり、中華思想の国では昔ながらの非近代的な不衛生な食生活、悪食がまだ残っているということだ。

 荒尾精は日中同盟を模索して「日清貿易研究所」を上海に作った。その後、日中同盟はうまく進まず、日中対立から、日韓関係ももつれにもつれ想定外の「日清戦争」に爆発していく、国会では野党はもちろん明治天皇も反対したが、川上操六陸軍参謀総長は「最悪の事態を想定して」事前にインテジェンス網を築いていたのだ。その経緯を紹介する。

 『川上操六は日清戦争は避けがたいと予測、荒尾精の日清貿易研究所を設立した。

        前坂俊之(ジャーナリスト)

 

陸軍参謀本部が初めてモルトケの近代戦略に学んで陸軍大改革に取り組んだのは明治18年5月頃で、川上操六を次長とし児玉源太郎を第一局長として発足した。

明治26年6月(日清戦争のちょうど1年前)はその時からすでに約十年を経過しているが、川上参謀次長は終始一貫して戦時大本営の作戦企画に専従し、すでに日清戦争の避け難いことを予想して、細部に至るまで計画を練り上げていた。

そしていよいよ最後の点検を現地でやろうと、同月に剛胆にも部下幕僚4名を連れて朝鮮、清国の予想戦場を偵察し、特に北京では清国の宰相、李鴻章と会談するなど徹底した作戦準備に余念がなかった。上海では日清貿易研究所にも立ち寄っている。(島貫重節『戦略日露戦争』(上)原書房、1980年、3-4P)

日清貿易研究所とは一体何か

当時、清国には川上次長が派遣していた情報員が多数いたが、これらの中で最も有名だったのが荒尾精、根津一という両名で、上海を中心にして情報活動にたずさわっていた。この日清貿易研究所も彼らの経営していた研究所で、すでに明治22年以来、日本人学生約200名が毎年採用されて語学、歴史、社会等の基礎修学と日清貿易交流発展の研究に従事していた。

荒尾精は陸士士官生徒第五期出身で明治19年中尉時代から支那勤務のベテランであり、また根津一は士官生徒第四期(上原勇作が第三期)の砲兵大尉で、陸軍大学校在学中にメッケル少佐というドイツ参謀の教官と喧嘩して退学させられた熱血漢である。この両名が貿易研究所学生の中から優秀な情報員を仕立てたのである。

この6月27日は川上次長は日清貿易研究所の卒業式に出席し、荒尾、根津と情報交換をしている。その翌年の日清戦争の開戦時、陸軍通訳(情報員)第一回募集92名中、72名の採用者がこの時の卒業生であった。

情報報活動に服務する者は、これを命ずる者と命ぜられる者とが一心同体、その運命を共にし殉国の信念に燃えていることが絶対の条件であるとされていたが、これを実地に実行に移していたのがこの時の川上であった。

川上は清国内の諜報網について構築に成功した川上参謀次長だが、日本陸軍トップの山県有朋をはじめ、西郷従道ら明治のトップリーダーはいずれも実戦できたえあげた戦略、インテリジェンスを具備していた。

明治維新以来、アジア政策の先覚者として研究し、身を挺し、自ら全権大使として清国・朝鮮問題の解決を主張したのは西郷隆盛である。明治6年の朝鮮派遣全権大使問題、征韓論を主張したばかりか、大陸作戦の準備として、時の外務卿副島種臣や、参議板垣退助らと謀り、明治5年8月、実地視察のため、北村重頼(陸軍中佐)別府晋介(同少佐)を朝鮮に派遣し、池上四郎(同少佐)、武市熊吉(陸軍大尉)を満州に派遣した。

また明治6年初には樺山資紀(当事陸軍少佐)児玉利国(海軍少佐)福島九成(同)を南清地方に送り込んだ。明治九年頃には、鳥弘毅(陸軍大尉)長瀬兼正(陸軍中尉)向郁(陸軍中尉)らが清国留学生として北京に派遣されて、情報収集の任務に当たった。

山県有朋は明治6年(1873)に「軍備意見書」を政府に提出しているが、その内容は、①ロシアの南下政策を考えれば日露の対決は避けられぬこと、②そのためには戦略要点である朝鮮を事前に確保する必要があること、③朝鮮に利害を持つ清国との戦争は必至であるーの3点にあった。

このような認識の下、清国に対して明治8年(1875)より北京の公使館付武官を中心に、組織的かつ広範囲な情報活動が始められた。島弘毅中尉の「満州紀行」、長瀬兼正中尉の清国一八省の調査、向郁中尉の揚子江地域調査、大原里賢大尉の「陜川経歴記」(陜西・四川省方面調査)がその成果の一部である。また相良長裕少尉は広東方面を調査し、清国の軍制や兵器の情報を集めた。明治12年(1879)には志水直大尉以下10人の将校が滑国各地に派遣され、組織的調査が行われた。明治15年(1882)以降になると、現地に住んで商業活動を行っていた日本人青年を調査活動のなかに組み入れ、清国軍の動きや内情を探った。

福島安正中尉の抜群の諜報の能力については、この連載でもすでにふれているが、もう一度おさらいするとー。

福島中尉は明治12年(1897)、上海や天津、北京、内蒙古を5カ月にわたって旅行し、清国の国情を広く調査した。特に北京では付近の軍備状況を深く調べた。参謀本部によって長期的、計画的、かつ広範囲に行われた調査活動により膨大な量の情報が集められた。

参謀本部は情報を体系的に取捨選択し、『隣邦兵備略』(64巻)にまとめた。この調査書では清国の地理、交通状況、風土、民族、清国皇帝の親衛部隊、装備、訓練、士気、1級幹部のリスト、経歴、能力、性格、家庭状況までが詳細に分析されている。

福島中尉は明治15年(1882)に再び清国に赴き、北京公使館付武官として靖国軍隊の研究や、各地の軍備状況の視察(満州方面から上海、香港まで)を行った。また清国軍の軍事顧問となり、滑国の依頼により兵部衛門(陸軍省)内に事務所を与えられ、清国官吏を部下として、清国軍の現状調査書を作成した。

福島は情報を密かに参謀本部へ伝え、これにより参警部は『清国兵制類集』(65巻)を作成した。参謀本部は清国の地理や交通状況、軍事状況を清国軍の幹部以上に詳細に知り、これを基礎として小川又次中佐を中心に対滑国戦作戦案の「清国征討策案」を明治20年(1887)に作成した。

明治の軍人の優れたところは、詳細な情報を集めて作戦案を策定しながら、なおかつ参謀本部の実質的責任者だった川上操六次長が自分で情報収集に動いた点だ。川上は明治26年(1893)4月から7月にかけて、朝鮮や清国を視察。特に清国では清国軍の訓練、砲台の防備、兵器製造所まで詳しく見て、対清国戦の勝算を確認した。

日清戦争中、日本軍が押収した清国軍の文書の中に日本の地図があった。本州、四国、九州が楕円形に描かれ、大阪の場所に東京の地名が入っており関係者を驚かせた。清国軍はこの程度の情報で日本軍と戦ったのである。勝敗はおのずと明らかであった。

(以上は谷光太郎「敗北の理由」(ダイヤモンド社、(2010年、176-179P)

日本リーダーパワー史(71) 明治のトップリーダーの素顔は・中江・山県・川上・・・<頭山 満が語る明治リーダー真の姿>明治のトップリーダーの素顔・中江・山県・川上<頭山満が語る明治リーダー真の姿>

http://www.toshiyukimaesaka.com/wordpress/?p=2245

川上操六の素顔

頭山満は語る

人間という奴は妙なもので、民間にいる間は一かどの役に立つべき豪傑肌の男でも一度、官吏の仲間入りするが最後、三文の価値もない骨抜きの幽霊になってしまう。つまりお役目ゆえに骨抜きになるのじゃなあ。軍 人とか何々官とか、エラそうにいいながら、先輩や上官の前に出ると、ネコににらまれたネズミのごとくふるえへ上って、たゞもうどうして御機嫌を取ったらよ いかといふことばかりに気を取られて、男一匹自己の意見を述べることが出来ないとは、何たることか。情ない人間が多くなったものじゃ。

そこへ行くと川上操六は実に偉かったと思う。彼は随分面倒の多い時代の陸軍を背負っていたが、いやしくも自己の計画がこれだと信ずる以上、あくまでも無遠慮に押通しておった。たとえ元老だろうが先輩だろうが、眼中に置かなかった。

水清ければ魚棲まずで、川上が陸軍部内にある間は、日本の陸軍は大丈夫じゃったが、それだけ川上は元老連から嫌われていた。川上は頭脳の緻密な男で、国防問題を担任、研究する参謀総長として、まことに適任であったと思う。

歴代の総長は誰も彼も元老の圧迫を受けて、思う存分の仕事が出来なかったが、川上だけは格段じゃった。いやしくも一国の干城として軍務に携わるほどのものが、左顧右鞭、他の御機嫌を伺うようなことで何が出来るか、川上は近代の軍人中の偉い男じゃ。

川 上の身後を飾るべき美徳は一意専心君国のために働いたことである。これまでの役人や軍人が、表面にはヤレ国家のためとか、大君のためとか、体裁のよいこと を言うてはいるが、その実、彼等は職務を利用して私腹を肥やしているのだ。立派な面を被って天下を欺き、自己を偽る偽善家の群である。

こ ういう腸の腐った人間が国政を左右するから、種々忌まわしい問題が起るのだ。その点になると川上は気持のよい程、潔白じゃった。武人がゼニに執着するよう になれば、それでおしまいじゃ。荒尾精が日清貿易研究所を作って金に窮した時、川上が番町の自宅を抵当にして四千円の金を都合してやったことなどは、今時 の軍人には薬にしたくも見ることは出来ない。軍人精神の著しく堕落してゆくにつけ、自分は川上を憶ひ出す。

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

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