『リーダーシップの日本近現代史』(196)ー『憲法改正を進める安倍自民党はダレス米国務長官の強硬な再軍備要求を断固拒否した吉田茂のリーダーシップ・外交術を学べ』★『ダレス長官は「敗戦国の貧弱な総理大臣だと思っていたらみごとに吉田にやられた。彼が世界の一等国の一等大使(吉田は駐英大使)だったことを計算に入れなかったのが私の間違いだった』
2016/02/1/日本2リーダーパワー史(662)記事再録
<2017年は明治維新から150年。吉田茂没後50年>吉田茂の再軍備拒否のリーダーシップー
ダレス・吉田会談では対日賠償は放棄するかわりに、日本へ再軍備要求してきた。吉田は「憲法九条があるかぎり軍隊は持たない」と再軍備を拒否した。「メシを食うことにも大変な日本が軍隊を持てるわけがない」
前坂俊之(ジャーナリスト)
吉田と田中は40歳の年が違う。田中も吉田学校の生徒だが、大久保利通直系の超エリート吉田茂に対して、田中は越後の水飲み百姓のせがれで、高小卒ながら、総理大臣まで一気に駆け上った昭和太閤出世物語である。首相になった年齢は吉田が67歳、田中が54歳である。以下は吉田の追悼号での田中の思い出話である。
『もっと教えてもらいたかった』田中 角栄(自民党都市政策調査会長)
吉田さんとの出会いは、1947年(昭和22)4月の総選挙で初当選した直後である。吉田さんは自由党の総裁。私は民主党の一年議員だった。この総選挙の結果、第一党である社会党の片山哲委員長を首班とする、社会、民主、国民協同三党連立内閣か、それとも自由党が加わった挙国連立の四党連立内閣かの問題が起った。私たちは四党連立を吉田さんに要請したが、吉田さんはなかなかうんといわなかった。
「新しい憲法下では、比較多数制により一人でも議員の多い政党が組閣すべきだ。したがって自由党は連立内閣には加わらない」
という。このときは頑固なおやじだなア、と長嘆息したものである。
その後、幣原喜重郎さんを中心に民主党を離れ同志クラブを結成していたわれわれは、昭和23年3月15日、自由党と合併して、いまの自由民主党の前身である民主自由党を創立した。両党の合併は対等合併であり、しかも幣原さんは吉田さんの先輩であるから、私は新しい民主自由党の総裁である吉田さんにこう直言した。
「幣原さんを新党の名誉総裁にしてほしい」と。ところが吉田さんはこう答えた。
「幣原さんは名誉総裁を引き受けないと思うし、私も命令一途に出るようなことはしたくない。それに幣原さんが外相のとき私を左遷したことがある。こんどは私がそのカタキをとるんだから幣原さんを名誉総裁にするわけにはいかない」
なんと皮肉なおやじだろうと思ったが、吉田さんはそういう洒脱でしかも辛辣なことを平気でいう人だった。
在野1年半、昭和24年1月の総選挙で、吉田さんのひきいる民主自由党は、二百六十四名の圧倒的多数で第一党となった。
花開けども風雨多し
よほど気持がよかったのだろう。吉田さんは、選挙後、民主自由党の全議員を首相官邸に集めて演説した。
「二百六十四名ともなると、さすがにわが党は多士済々である。石田博英君のように戸籍をごまかしているといわれる人もいる。しかし、上には上がいるもので、田中角栄君のように自分で自分の戸籍を役場へ届けたヤツもいる。私は、いままで田中君は五十歳ぐらいだと思ってつきあってきたが、なんと三十歳だった」
ユーモアたっぷりに話され吉田さんの話は、いまでも強烈に印象に残っている。
吉田さんは偉い人だと、つくづく感じたのは、サンフランシスコ平和条約調印前後のことである。
当時、国内の世論は全面講和か多数講和かで対立し、その嵐の中を出発して吉田さんはサンフランシスコへ向ったわけだが、そのとき、吉田さんは佐藤さん(現首相に一幅の書を残して行った。いわく.
「天地英雄之気、千秋尚凛然」
そして、調和を終って東京の党本部へ打ってきた電文は、「花開けども風雨多し」というものであった。この二つの句ほど、吉田さんのサンフランシスコ条約に対する姿勢をよく現わしているものはないと思う。
吉田さんの気概を物語るエピソードとしては、かの有名な吉田、ダレス会談を持ちださないわけにはいかないだろう。朝鮮戦争が膠着状態になって、米国はダレス国務長官を通じて日本に再軍備を押しっけてこようとした。吉田、ダレス会談は朝鮮戦争の前後にわたって持たれたわけだが、はじめの会談では、米国は対日賠償を放棄するということで話がまとまり、サンフランシスコ講和条約へと進展する。
このときのダレスとしては、対日賠償は放棄するかわりに、当然の要求として日本の再軍備要求がハラにあった。ところが吉田さんは、対日賠償放棄は既得権として取り、後のダレス会談では「憲法九条があるかぎり軍隊は持たない」と再軍備要求をつっばねたのである。
吉田さんとしては最終的には昭和25年8月10日に警察予備隊を発足させたが、ついに名称を自衛隊に変更するだけで押し通し、ダレスの要求を拒否した結果となっている。吉田さんの当時の心境は、「メシを食うことにも大変な日本が軍隊を持てるわけがない」というものであった。ダレス長官は長嘆息していった。
「敗戦国の貧弱な総理大臣だと思っていたためにみごとに吉田にやられてしまった。吉田はかって世界の一等国の一等大使(かつて吉田さんは駐英大使)だった。これを計算に入れなかったのが私のまちがいだった」
吉田さんが政界を引退された後、いわゆる〝吉田学校″ の同期生である池田勇人さんと佐藤栄作さんが相争う場面が二度おとずれた。
一度目は池田さんが自民党総裁再選のときである。佐藤さんが対立候補として立候補すみという問題が起こり、私はこのことに関して吉田さんから質問を受けたことがある。
「池田と佐藤はどうなんだ」といわれたので、私は「二人は車の両輪だか年二人が争うことは避けられるのじゃないでしょうか。総理が (吉田さんのことを私たちは最後までこう呼んでいた)何かきっかけをつくれば争いはすぐに収まると思います」と答えた。
すぐそのあと吉田さんは両氏に書を送られたようである。池田さんには、
「燕雀不知、天地高」
佐藤さんには、
「呑舟之魚、不遊枝流」
というものであった。「おやじなかなかやるわい」と感じ入ったものである。池田、佐藤の両氏に対しては富田さんはこまかいことは何もいわれなかったようである。
二度目は池田3選の数日前だ。
当時、大蔵大臣をやっていた私のところへ大磯から連絡があったので、私がすぐおうかがいすると、
「もう選挙はやめさせられないかね」
という。「ええ、両方ともやめませんね」と答えると、
「どっちが勝ちますか」とたたみかけてくる。私は、政治家としてはまった不用意にも、
「吉田総理はどっちが勝つと思いますかしときいてしまった。吉田さんはさすがに、ニヤッと笑って返答しない。そして「田中君が見る通りを教えてくれ」という。
そこで 「どっちが勝っても十票差ですね」というと、「由中君、十票じゃだめだよ。どっちが勝ってもいいから一票の差にしてくれ」といわれた。
この言葉にはいろいろな意味が含まれていると思うが、池田さんと佐藤さんに対する信頼が最もよくあらわれている言葉でもあった。
(昭和42年11月5日「アサヒグラフ臨時増刊『吉田茂追悼号』掲載」
関連記事
-
情報家電のOSで、トロン陣営とマイクロソフトが連合へ
1 情報家電のOSで、トロン陣営とマイクロソフトが連合へ (03年9月) <ネ …
-
日本メルトダウン( 984)『トランプ次期米大統領の波紋 』★『予想的中の米教授、今度はトランプ氏「弾劾」の予測』◎『焦点:トランプ新政権と敵対か、メルケル独首相に最大の試練』●『コラム:トランプ勝利が招く「プーチン独裁」強化』●『仏の右翼政党党首、大統領選勝利に自信、トランプ氏当選で』★『首相「信頼関係構築を確信」トランプ氏と会談』●『トランプ氏、司法長官やCIA長官ら指名 強硬派そろう』
日本メルトダウン( 984) —トランプ次期米大統領の波紋 …
-
世界を変えた大谷翔平「三刀流物語/前任者たち⓼』★『2013年/MLBを制したレッドソックスの守護神・上原浩治投手の必勝法10か条ー「過去のことは過去のこと。引きずっても仕方ない。すぐ切り替え今日、明日を見た方が人生楽しい」★『 上原は74%がストライク。900球以上投げた投手で、こんなすごい投手は2000年以降いない』など
2013/10/11記事再録 …
-
片野勧の衝撃レポート(48)太平洋戦争とフクシマ㉑『なぜ悲劇は繰り返されるのか 福島県退職女性教職員「あけぼの会」の人々(中)
片野勧の衝撃レポート(48) 太平洋戦争とフクシマ㉑ &nbs …
-
梶原英之の政治一刀両断レポート(2)『原発事故が菅下ろし政局の主役だった!ー原発解散になるとみる理由』
梶原英之の政治一刀両断レポート(2) 『原発事故が菅下ろし政局の主 …
-
『リーダーシップの日本近現代史』(100)記事再録/「脱亜論」でアジア侵略主義者のレッテルを張られた福沢諭吉の「日清戦争開戦論」の社説を読む」④『道理あるものとは交わり、道理なきものは打ち払わん』★『現在の日中韓の対立、紛争は125年前の日清戦争当時と全く同じもの』
2014/06/07 /日本リーダーパワー史(510) 記事転載 ◎< …
-
日本リーダーパワー史(400)◎「米通商代表部のフロマン代表がTP交渉について」記者会見動画(50分)
日本リーダーパワー史(400) ◎「米通商代表部(US …
-
日本メルトダウン脱出は可能か(598)『円安と通貨戦争:能力の低い武器』(英エコノミスト誌)★【特別企画】アベノミクスのジレンマ」
日本メルトダウン脱出は可能か(598 …
-
世界、日本メルトダウン(1033)ー『米中会談の内幕は・』★『中国が北朝鮮問題を解決すれば、米国との通商の取り決めは中国に良いものになる」とブラフ外交、ディール外交(取引外交』を展開』●『トランプ氏は「まず外交,不調なら軍事行動の2段階論」を安倍首相に説明した』
世界、日本メルトダウン(1033)ー 『まず外交,不調なら軍事行動 …
-
日本リーダーパワー史(861)ー記事再録『リーダーをどうやって子供の時から育てるかー 福沢諭吉の教えー『英才教育は必要なし』(下)『西欧の三千年の歴史の中で天才の学校生活を調べると、天才、トップリーダーは学校教育ではつくれないことを証明している』
日本リーダーパワー史(861) 『天才の通信簿』では西欧の3千年の歴史の中での …
- PREV
- 『リーダーシップの日本近現代史』(195)記事再録/ 大宰相『吉田茂の思い出』を田中角栄が語る』★『吉田茂の再軍備拒否のリーダーシップ -「憲法九条があるかぎり軍隊は持たない」 「メシを食うことにも大変な日本が軍隊を持てるわけがない』
- NEXT
- 『リーダーシップの日本近現代史』(197)『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』㉘『開戦1ゕ月前の「独フランクフルター・ツワイトゥング」の報道』ー「ドイツの日露戦争の見方』●『露日間の朝鮮をめぐる争いがさらに大きな火をおこしてはいけない』●『ヨーロッパ列強のダブルスタンダードー自国のアジアでの利権(植民地の権益)に関係なければ、他国の戦争には関与せず』★『フランスは80年代の中東に,中国に対する軍事行動を公式の宣戦布告なしで行ったし,ヨーロッパのすべての列強は,3年前,中国の首都北京を占領したとき(北支事変)に,一緒に同じことをしてきた』