日本リーダーパワー史 ⑪ 鳩山由紀夫首相誕生―鳩山家のルーツ・鳩山和夫のグローバルリテラシの研究①
鳩山由紀夫首相誕生―鳩山家ルーツ・鳩山和夫のグローバルリテラシー①
前坂 俊之
以下は木村毅『明治大正暗黒事件秘話―まわり灯籠』(井上書房、昭和36年刊)
の中の「日本一の法律家」の抜粋である。鳩山家四代の政治のルーツがここにある。鳩山新総理は和夫の国際法の専門知識、対米交渉力から学ぶべきだろう。
① 鳩山和夫は明治の日本一の法律家
明治時代に『太陽』という雑誌があって、みずからスエズ以東第一の有力な言論機関と自負していただけの事はあり、今日みても興味のふかい立派な記事なり、企画なりに富んでいる。早くいうと『中央公論』の先駆をなす総合雑誌だったと思えばよい。
その雑誌が明治三十二年に『明治十二傑』の識者投票をつのり、日本一の法律家として当還したのが鳩山和夫だったのである。
ついでを以て、他の方面では、どんな人がえらび出されているかと見るとー政治家では伊藤博文が最高点、大隈重信が次点、そして星亨が三番目である。文学家では加藤弘之が最高点、坪内逍遥が次点。尾崎紅葉が次々点。美術家は橋本雅邦が当遺せ、次点が九鬼隆一。天心は四番目。文科学者は最高点か伊藤圭介、次点が菊池大麓、それから軍人は西郷従道が最高点、川上操六が次点。教育家は当選が福沢諭告で次点が杉浦重剛。実業家は当選が渋沢栄一で次点が大倉喜八郎。また工業家は当選が古河市兵衛で、次点が古市公威などとなっている。
この『明治十二傑』投票で法律家のトップは当選18006票 鳩山和夫、2位は 7787票 星 亨、5位 七三六、穂積陳重、6位 六三一、菊池武夫なのである。
ところで、日清戦争から日露戦争にまたがるこの時期に、大衆から日本一の法律家とみとめられた鳩山和夫の経歴は一体どうであろう。
備前(岡山)の勝山藩主いっても、大ていの人には分るまいが、美作の北部の二万五千石の貧相な藩だ。そこの留守居役として江戸につめていた鳩山重右衛門の四男が和夫である。明治維新の時、十三であった。
文部省が大学をもうけると、藩の貢進生として推薦され、級中の最年少だが、学才抜群でいつも首席を占め最上級生の時も一番だった。東京大学も第一期生のトップは鳩山なので、後に明治の末期、その長男・鳩山一郎と二男・鳩山秀夫も首席で卒業したから、鳩山家は親子3人、この栄冠を勝ち得たわけだ。子の時、和夫についで二番が小村寿太郎、三番が菊池武夫、四番が斎藤修一郎だった。
この四人とも卒業に先んじてアメリカ留学を命ぜられ、他科の留学生とともに日本をたって、鳩山はロンビア大学、小村はハーバート・斎藤と菊池はボストン大学に分れて、大学に入った。
しかし正規の科目は日本で一とおり、おさめているので向うへいっても、学ぶことはなく、判決例ばかりを、むやみに読んだ。これについて鳩山自身はいっている。
「およそイギリス法律を学ぶには判決例を取りしらべることが必要である。イギリス法は不文法で習慣習慣というから、先例がよほど大事である。素人は、判決例とか先例とかいうは、旧幕時代の日本の先例と同じようなもので、こういう仕来たり上いうだけの研究かと思うが、イギリス法律の判決例はそうでない。1つの判決例には1つの理由がある
。その理由たけを先例
とする。同じことは、そう起るものでない。判決の骨子は何処にあるという骨子を研究するので、私はコロンビア大学の学科は、ごく楽であるから書籍室で判決例の研究をした。日本人でイギリス法律を取りしらべた中では、私ほど判決例を読んだものもあるまいと思う」これは本人の述べるところだ。『法科頭をたたいて見たら、権利々々と音がする』の格だろう。
② 日本、最初の法律事務所
コロンビア大学は2年で卒業した。つまり東京大学の卒業で、教養学部のコースは終ったもの認定のもとに、2年で正規の卒業証書を与えられたのだろう。
しかし彼が政府から命ぜられている留学期間は5年もあるので、今度はエール大学に入ることにしたが、ここは程度が高くて、フランス語とラテン語があるから、その勉強をして、入学すると、アメリ力学校の内情にもようやく馴れてきたので、その才能はフルに発揮され、ことに、やはり判決例をよく研究していたゴールベンという教授の注目を受けた。
卒業してドクトルの学位をもらう時の代表演説は、鳩山がその選にあたり「ロ-マの家族制と日本の家族制』の比較研究を発表したところ、『アトランチック・マンスリイ』誌が、その原稿を乞うてのせたほどだ。これは『バー・バア』誌などと並び、いわばアメリカの『改造』『中央公論』級の雑誌で、私はいまもアトランチックを購読しているぐらいだが、この雑誌に今から七十余年前、日本人の論文がのっておろうとはり思いがけないことだ。
明治十三年に帰朝すると、すぐに大学の講師にあげられた。二十三、四の若い先生だ。そして最初に授業した中にいたのが後の加藤高明(総理大臣)である。
ある年の卒業式に、演説せよといわれ、宮様や三条実朝などの来賓があるのに、ついアメリカ流に無造作に政府攻撃をやったので、けしからんと言って、すぐ翌日、免官となり、代言人になることにした。代言人とは今の弁護士である。
.しかしそれには試験がある。アメリカの学位は三つも取っていたが、それだけでは、通用しない。そこで日本の刑法、治罪法から人質書き入れ規則というようなものまで、おぼえこまねはならなかった。
試験官は、もちろん鳩山よ。学力のひくい者ばかりだから、この洋行がえりの大先生の受験に恐れかしこんで、難なく・ハスさせ、代書人事務所を開いたのが明治二十一年二月である。
いまで言う法律事務所で、これを最初日本でに開設したのは、実に鳩山なのである。
③ ナショナル・リーダー事件
さて私は、いささか長々と鳩山のことを書いたが、じつは法律家としての彼のしている仕事に、ひとつ私の興味をひくことがあるのだ。これがなかったら、それは国際著作権については、日本では、彼だけが関心をもっていたことだ。
代言人を三年して鳩山は、井上馨が外務大臣の時、その翻訳局長に就任し、やがて大臣は大隈重信に代った。どちらも条約改正の難局を担当したのだが、井上のは、できるだけ外国人の甘心を買うとい主義、だから鹿鳴館のおどり騒ぎまでやって白人の機嫌をとったのに、一こうに効果がない。
大隈のは、その反対に条約を改正ないとビシビシ取り締まるといって、外国人を窮地おとし入れて、いやでも応でも条約改正をしなくては、すまないように仕かける方針だった。この大隈の方針はひどく鳩山の気にいっていろいろ面白い仕事をした中に、ことは小さいけれども「ナショナル・リーダー復刻事件」がある。
これは、たしかアメリカで懸賞募集をしたリーダーだということで、明治十六年の刊行だが、すぐに輸入され、たちまち都全国で愛用されて、どんな田舎の村塾いっても、”It is a dog”の読む声きかないところは無いくらいになり、福沢諭吉がアメリカから持って帰って全国にひろまったウィルソン・リーダーを駆逐した。
何しろ昭和30年になっても「ナショナル第四読本の研究』という大部の章の複刻新刊が市場にあらわれたのだから、どれだけ広く中学でつかわれたか想像できよう。
その、少-ダアの大部数の需要が全部輸入にあおぐことはできないから、利にさとい日本の商人は、すぐ、その復刻本をつくって売りだしたのだ。後に、明治の末期に、われわれが使った時のナショナル・リーグーは、写真石版の印刷で原書とあんまり違わぬほど出来のいいものだが、初期の復刻本は、本文までみんな木版にほったので、Pの字がさかさまに向いたりしている奇観も呈していた。
しかしこれが売れに売れたので・当然アメリカ公使から手紙や抗議がきたのである。その時は電話はまだ使われていなかった。それで鳩山は自分でアメリカ公使館まで出むいて行った。
「ところもあろうにアメリカの公使から、こんなことを言われようとは思わなかった。私はアメリカにいた時、アメリカで翻刻した安い本をいろいろよんでおった。イギリスの元版は高いのに、アメリカのヤミ版なら半値か三分の一値で買えた。日本でも今それをやっているのである。アメリカでは無断でイギリスの本を翻刻出版しておきながら、日本人がアメリカの本を無断出版するのだけが悪いというのは理屈に合わない。日本の版権はアメリカ人を保護せぬから、この抗議はお返し申す』
アメリカ公使もこれには二の句がつげず、まあまあ、それはそのままにしておいてもらいたい。手紙を返されても困る』
といって、その後は、アメリカのどんな読本類その他を翻刻しても、何とも言って来なくなった。アメリカは自国文化を助長するため、ベルヌの国際版権保護同盟に加わらなかった。そこで、同盟の規約にしばられれぬ事から、どこの国のどんな事でも、勝手に複刻しては売りだしていたのである。
だからディケンズの小説などは、イギリスで新作が出版されると、追っかけるようにして安い新版がアメリカからで出た。尊者に印税ははらわないのだから、それだけでも安くできる。戦前、上海で出版されていた英書が、おとろくほど安く買えたのと同じである。
これはアメリカは、後進国だったから文化を早く普及させるために大目に見のがしていためだ。徳義的には問題はあっても、法律的には差し支えない。それを知っていた鳩山は日本のベルヌ条約には加盟していなかったから、大威張りでアメリカ公使の抗議をつっぱねたので.明治に英語をまなんだ者が、おかげで日本出版のやすいリーダ―で勉強できて、その恵福に預かったことは、はかり知られぬものがある。
日本一の法律家・鳩山の第一の功績であった。
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