『リーダーシップの日本近現代史』(121)/記事再録☆/『リーダーをどうやって子供の時から育てるかー福沢諭吉の教育論は『英才教育は必要なし』★『勉強、勉強といって、子供が静かにして読書すればこれをほめる者が多いが、私は子供の読書、勉強は反対でこれをとめている。年齢以上に歩いたとか、柔道、体操がよくできたといえば、ホウビを与えてほめる』
/日本リーダーパワー史(335)
前坂 俊之(静岡県立大学教授)
『新聞のスポーツ面は人間の達成した偉大な記録がのり、
政治面は人間の失敗の記録である』
福沢諭吉の教育論『世間の父母はややもすると勉強、勉強といって、子供が静かにして読書すればこれをほめる者が多いが、私は子供の読書、勉強は反対でこれをとめている。年齢以上に歩いたとか、柔道、体操がよくできたといえば、ホウビを与えてほめるが、本をよく読むといってほめたことはない。
夏はロンドンオリッピックに国民の目は連日くぎ付けになった。私も新聞を熱読した。『新聞のスポーツ面は人間の達成した偉大な記録がのり、政治面は人間の失敗の記録である』といわれる。
正にその通りである。連日のオリンピック報道では世界中の選手たちの勝った、負けた、金だ,銀だと大騒ぎしたが、結果がすぐ出るので、スポーツはスピーディでクリ―ンな世界である。この間、消費税法案の可決をめぐり、与野党入り乱れての泥仕合。
野田総理のリーダーシップの欠如で、混乱が延々と続いた政治の世界は「スローモ―で、決まらない、決められない失敗(オウンゴール)政治」を繰り返して、国民の不満は頂点に達した。この「スポーツと政治」にみる決定的な落差が若者にとって自分たちの未来をますます不安なものにし、政治とリーダー―シップの論議がこれほど高まったことはない。
ロンドンオリンピックで日本が獲得したメダル総数は(11位、金7、合計38)で史上最高の健闘ぶりを示した。国別メダル数は米国が1位、2位が中国(金38、合計87)、5位が韓国(金13、合計28個)、北朝鮮(金4、合計6)などである。メタル数はその国の国力、経済力にある程度、比例するといわれが、日本の結果はあきらかにそうである。
米国、EU,先進各国の衰退と中国の超大国化、新興各国の躍進が目立ち、韓国、北朝鮮、中央アジアと比べて、日本の弱さが目立った。
米国、EU,先進各国の衰退と中国の超大国化、新興各国の躍進が目立ち、韓国、北朝鮮、中央アジアと比べて、日本の弱さが目立った。
8月の竹島をめぐる日韓の外交衝突、男子サッカーの3位決定戦で2-0での日本の敗北は金メダルの日韓獲得数の差( 個)に表れている。
リーダーシップと決断力(決められない政治とシュートを打たない、守りの日本サッカー)、日本政治の問題先送りとパス回し(それも後ろパスが多く、即座に攻めのぼっていかない、その間にゆるいパスをカットされて、失点するケースが目立った)でも韓国が一枚上手で、日韓の電子産業の明暗―サムスンの大躍進とシャープ、ソニーの転落という、経済力の逆転現象にもつながっている。
日本人の国際会議での4S<スローモー(何事も遅い)、サイレンス(発言せず沈黙)、スマイル(てれ笑い)スリープ(居眠り)の行動パターンが世界から一時、もの笑いの対象となった。今ももっと「おとなしい物言わない日本人」が増えており、韓国人、中国人のケンカ腰で喋りまくる民族性は同じアジア黄色人種として同根同種とはいえ180度違うのである。
男子サッカーを見ていて、ここ一番で自分でシュートを打って決めるぞという気迫、積極性に日本には欠けており、韓国に屈した。
かってのお家芸と言われたマラソンにかんしても「日本の敵はアフリカと駅伝とゼイタクだ」(瀬古利彦)と指摘しているように、豊かになった生活でハングリー精神の欠如している。
金メダル、天才、リーダーパワーの欠如は、「問題先送り」「決められない政治」「決断力のない首相」とリンクしているのである。
オリンピックと政治を同時に見ながらの感想は以上のようなものだが、その中でもメダルの総数から比較すると、選手(若者)はよくやったと言えるだろうし、政治、経済の低迷は大人たちの失敗のつけなので、両者のコントラストをこれほどはっきり示しているものもない。
スポーツの勝因をわけるものは体力、知力、精神力に、個別の戦術、作戦、分析能力、勝負度胸、リーダーシップなどの総合力であろう。これが国家、企業、組織の場合にはトップのリーダーシップと相互のコミュニケーション力、国際性とより高度なマネージメントが微分積分された総合力が勝ち負けをわける。いずれにしても、個人個人の体力、教育レベル、学習意欲、モチベーション、コミュニケーション力、リーダーシップがその基礎にあることは言うまでもない。
今回『子ども時代のリーダーは社会に出てもリーダーとなれるか』というテーマ
でこの原稿を書いているので、自分自身の小学生時代を語る。
でこの原稿を書いているので、自分自身の小学生時代を語る。
「勉強そっちのけで遊びに遊び、自然から学んだ私」
私の小学校時代は今から60年も前の1949年{昭和24}から55年(同30年)のことであり、余りにも昔なので余り参考にならないかもしれない。ただし、この年になってつくづく思うのは子供は親の背中を見て、地域の自然、人間環境から育ち成長するもので、学校環境はより従的なものということだ。
岡山市生れたわが小学時代は敗戦後の焼け跡から食糧難、復興の貧しい時代であり、小学校で勉強をした記憶はほとんどない。学校から帰るとカバンを放り出しては友達と山や野原での昆虫採集や川遊び、魚釣りに興じた。チャンバラゴッコや戦争ごっこ、夏休みは町内会で毎日前7時から小学生全員を集めてラジオ体操をやる。ガキ大将がどの教室にも何人もおり、体の大きな、力の強い子が牛耳っていた。私もその1人だった。学習塾などもちろんなかった。あの宮崎駿の「トトロ」の少し町版という感じで、自然の中で思い切り遊び感動した。
早死にした父から「勉強よりも丈夫な元気な子になれ」「小学生では優等生、 二十歳過ぎればただの人」などと教育され、大人になったらスポーツ選手になろうと夢見ていた。
家から50㍍も行かないところに粗末な貸本古本屋があり、小学4,5年のころから『マンガ』を立ち読みし、この癖が生涯の古本マニアとなった。当時の昆虫採集、野草の観察、魚釣り、海水浴など楽しかった思い出は今でも生涯の趣味、生きがとなっており『3つ子の魂百まで』の通りである。小学校での授業や勉強のことはあまり覚えていないが、心のふれあいの合った先生は焼き付いている。
中学校では宿題をさぼって頭をゲンコツでぽかりとやられたことが何度かあったが、そんな先生がより好きになった。親からも『お前が悪い』と怒られ「先生、息子が間違ったことをするきびしく叱ってください」とお願いする始末。
教師が学習内容、教材、教え方を重要と思い一生懸命工夫しているほど、子供たちはその点はわからないということだ。
勉強よりも両親に次いで2番目に最も長く接する大人として、教師の態度、人間味、自分とのコミュニケーション距離を子供心に一生懸命見ているのだ。小学生の成長過程はそれぞれ個人差があり、1人、1人の肉体と精神の成長を暖かく見守り、発達を促していくことのほうががより大切であろう。
トップリーダーを育てるためには英才教育の必要性や、幼児教育の重要性を説く人が最近、増えている。しかし、残念ながら天才は学校からは生まれない、平均点の優秀な生徒はつくれても、偉大なリーダーは小学校教育で作りだすことは無理だとおもう。天才はいずれも学校では落第生だった人が多いという事実は考えさせる。
相対性原理などでノーベル物理学賞受賞した天才の中の天才・アインシュタインは先生がサジを投げたような最低の生徒だったという。発育が遅く、ロを利くのがひどく遅かったので、両親は知恵遅れではないかと心配した。
やっと話せるようになっても、しゃべり方はぎごちなく、おそろしく無口だった。このため、アインシュタインは学校嫌いになった。アインシュタインは子供心に自分に興味のない科目をなぜ勉強しなければならないか、理解できなかった。学校の教育方針に従わなかったので、先生たちからひどい目にあった。『天才の通信簿』ゲルハルト・プラウゼ著、丸山匠ら訳 新潮社、1978年刊)
20世紀の最大の天才・トーマス・エジソンも小学校を退学したことは有名である。「私はいっもクラスでいちばんできのわるい、落ちこぼれの生徒で、父でさえ私が低能であると思いこんでいた」
ある日、担任の先生が全員の前で「きみの頭は空っぽだね」と冷笑した。八歳の少年にとって、この言葉は苔で打たれるよりこたえた。いきなり教室をとびだし、そのまま家に駆けもどり、「もう学校へ行くのはいやだよ」と母に涙ながらに訴えた。
この先生の言葉は、一生涯脳裡に焼きついて離れることがなかった。その日から二度とその小学校には足を踏み入れなかった。」(前掲書より)
あとは母が教育して読書を教えて、一緒に本を読み仕事をしながら独学で『大発明王』に成長していったのである。エジソンの成功者物語は教育とはいかなるものかを学ぶ絶好の材料である。
『天才の通信簿』では西欧の3千年の歴史の中での天才の学校生活を調べているが天才、トップリーダーを学校で作りだすことは非常に難しいことを示している。優等生や既存の試験に強い、先生からほめられる「優等生的な」生徒は作り出せても、大発明や国家の英雄になるような大天才は「逆境」や「苦労や貧乏の実体験」の中から育つという例証である。先生も余り肩に力を入れる必要はない。どこまで人間形成に役立つ教育をするかである。
リーダーにとって学校とは苦痛や強制以外の何物でもなかったが、本来の学校の意味はその逆である。「学校」(スクール)という単語は、ラテン語の「スコラ」に由来し、語源はギリシア語の「スコレ」で「仕事から解放されて自由になる」という意味である。つまりスコレは、古代ギリシアでは、自由市民が精神修養をはかる余暇を意味するものであり、やがて人々が集まって話を聞いたり討論しながら学習する場所を指すようになった。
これが、十四世紀以降の西欧では読み書き計算を教える学校、寺私塾が生れ、十七世紀になると今日の小学校に相当する普通学校が成立し、十八世紀には急激に増加している。義務教育が導入され、全児童が少なくとも小学校に就学する教育体制が確立したのである。
「日本の教育の父」・福沢諭吉の教え
これと比べると、日本の義務教育制度は1880年(明治13)の教育令(3年間)で導入され、200年以上は遅れたのだ。
その日本での近代教育制度は文部省の東大など官立校に先駆けて福沢諭吉の慶応義塾<1858年(安政5年)に開校した蘭学塾がスタート、1868年(慶応4年、明治元年)に『慶応義塾』と名前を変えた>だが、福沢は明治元年5月、上野に立てこもった彰義隊と官軍の戦きが始まり、江戸が戦火に包まれる瀬戸際でも講義を続けて、生徒に言った。
「これから新しい日本が始まる。過去の日本は亡びる。これからの日本はお前たちが背負って立たねばならない。われ関せずで黙って勉強しなさい」
そのうち、上野の山に官軍が大砲を撃ち込み、その砲音が響いてきた。学生が落ち着かなくなると、「しばらく講義を止める。みんなハシゴで屋根にのぼって、バカどもの騒いでいるのをみろ」と、屋根上で見物させた。それから、一心不乱に講義を続けたという毅然としたリーダーシップを示した。
そのうち、上野の山に官軍が大砲を撃ち込み、その砲音が響いてきた。学生が落ち着かなくなると、「しばらく講義を止める。みんなハシゴで屋根にのぼって、バカどもの騒いでいるのをみろ」と、屋根上で見物させた。それから、一心不乱に講義を続けたという毅然としたリーダーシップを示した。
教育こそ国の盛衰を左右する。福沢の決然として、若者の未来に託した姿勢こそ真に教育者の姿であろう。いま、少子高齢化で国難に遭遇している日本にとって、教育で優秀な人材、世界で活躍する人材を育てて、20年、30年後に国運を立ち直させることが重要なのである。福沢は慶応義塾で経済こそその国を独立、繁栄させる基盤であると役人養成ではなく、実業家の育成に取り組んだ。これが、明治の「富国強兵」の人材養成になったのである。
9人の子供がいた福沢は小学校教育について、「体育を中心にして子供の活動を妨げるな」とこう語っている。
「子供の教育法は、もっぱら体のほうを大事にして、幼少の時から読書などさせない。まず体を作った後に心を養うというのが私の主義で、生れて三歳、五歳まではいろはの字も見せず、7、8歳にもなれば手習いを少し、まだ読書はさせない。それまではただ暴れ次第に暴れさせて、ただ衣食にはよく気をつけてやる。自由自在にしておくのは、犬猫の子を育てると変わることとはない」(福翁自伝)と自然流で、勉強、勉強などといっていなのだ。
また、次のように親にくぎを刺している。
「世間の父母はややもすると勉強、勉強といって、子供が静かにして読書すればこれをほめる者が多いが、私は子供の読書、勉強は反対でこれをとめている。年齢以上に歩いたとか、柔道、体操がよくできたといえば、ホウビを与えてほめるが、本をよく読むといってほめたことはない。
長男、次男の2人を東大に入れて勉強させていたところが胃痛で体をこわした。家に呼び返し文部大臣に「東大の教授法は生徒を殺すか。殺さなければ頭がおかしくなる、東大は少年の病気製造所と命名してよろしいか」と抗議して2人を慶応義塾に入れて卒業させて、アメリカの大学に留学させた」(福翁自伝)とまで書いているのだ。
福沢は日本の教育制度を変えた男であり、慶応大を創設して教育を実践してきた先覚者である。その方法論は現在の大学制度の改革を先とりしている。外国人もどんどん採用し、多くの学生を海外留学させ、ハーバート大の日本分校にすることも検討していた。東大が旧来からの官僚養成学校であるのに対して「経済大国」の基礎をつくる経営者、実業家、リーダーを送り出した。
では、リーダーをつくるための小学教育をどうすればよいのか、いくつかの点を指摘したい。
①暗記、○×、選択方式の画一的な偏差値教育、テスト主義ではなく「考える教育」「考える力」の基礎を養うこと。教師のいう答えが正しいという教育を親も学校も徹底的に教えてきたが、本来は何が正しく、また、正しくないのか、それを自分はどう思うのか、問題解決の方法をかんがえる力のが教育である。
②知識をどう有効に活用して、個人や社会に役立てるために、実践するか考えるのが教育の中心でなければならない。そのためには小学生の段階から、「君はどう思うのか」「どちらが正しいのか」―答えを教えるのではなく、一緒に考えて、議論する授業こそ必要で、西欧の義務教育ではこれが中心となっている。
とくに21世紀のグローバルな地球環境大激変の時代に入り『答えの容易に見つからない難問』が次々に起きている。過去の答えだけを教える教育に未来はない。
21世紀は「グローバル(地球的)ボーダレス(国境がない)フラット(水平)なインターネット情報民主主義の時代であり、その共通言語は英語であり、国力も経済力も個人力もコミュニケーション力、ディベイト力によって決まる。小学校からの英語の公用語化と、ディスカッションが是非必要であろう。
③アジア、中国、韓国、香港、台湾、シンガポールなどからの留学生の英語力は日本の大学生の英語力、コミュニケーアション力よりは数段上である。それは小学校からの英語、インターネット、デジタルリテラシーと直結している。これの改革なくしては、オリンピックの二の舞になるのではと思う。
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