『超高齢社会日本』のシンボル・『生涯現役・長寿創造脳の達人』の徳富蘇峰翁(94)に学べ①
2015/03/20
『生涯現役・長寿の達人』の徳富蘇峰(94)に学べ①
<生涯500冊以上、日本一の読書家、著作家>
前坂 俊之(ジャーナリスト)
<以下は『日本電報―電通40周年記念号 1940(昭和15)年12月刊行』>
『蘇峰先生の日常―78歳・壮者を凌ぐ精励ぶり』
最近十年間における蘇峰先生の一年は、十二月末から三月末までを熱海柴閑荘に、七月初めから九月末までを山中細畔の双宜荘に過し、それ以外は山王草堂にあり、午後一時から五時までを民友社に過すことに決っている。
そして山王草堂においても、柴閑荘においても、双宜荘においても、春秋夏冬を通じて起床は午前五時。直ちに「近世日本国民史」の筆を執ることに寸秒の狂いもない。この執筆は旅行中でも同様である。大正七年六月、五十六才で起稿された「近世日本国民史」は、昭和一五年六月29日にはついに一万回に達した。
冊数からいえば八十二冊と十回。累積の功に驚くと共に、急がす焦らす、百世子孫への大なる遺産を残さんとして心血を注ぐ七十八歳の志こそ、眞に偉大なものといはねばならぬ。
冊数からいえば八十二冊と十回。累積の功に驚くと共に、急がす焦らす、百世子孫への大なる遺産を残さんとして心血を注ぐ七十八歳の志こそ、眞に偉大なものといはねばならぬ。
大正七年より昭和十五年まで、二十二年の歳月の問には、先生の身辺にも幾多の悲喜劇が襲いきた。寧ろ哀愁限り無き事が続いた。然も一切を行雲に、流水に付して、只管修史に専念して来た姿は尊いと思う。
「近世日本国民史」が一万五千回で終結するか、二万回で完成するか、私共には判らないが、必らずそれが完成される日まで、毎朝五時に起きてする執筆は、狂いなく続けられて行くであろう。
「近世日本国民史」の執筆が終えて、先生が朝食を食べられるのは、大がい七時から七時半頃までである。味噌汁、ボイルド・エッグ、塩シャケかイワシの小皿、白スボシの如き簡単なもの。昼はたいていうどん類、夕食は夫人心尽くしの御馳走が並ぶが、主に魚介、野菜、鳥類を多くとって、近年は肉類や脂肪の多いものは避けておられる。併し熊本地方でよく食べられる野猪のトロトロ煮などは大好物で、「毛のついたままを食べるのが美味しい」と云はれる。
日本電報通信社の年末の恒例ヂンギス汗鍋などは、先生のお待かねのもので、
「鹿の肉はどうも美味しくないから、社長に頼んで猪にしてもらわなければ……」などと冗談を云はれたりする。
世間では先生を如何にも大食の人の様に伝えているが、壮年時代のことは知らす、私共の知る限りにおいては、寧ろ先生の立派な体躯に比して少食の方だと思はれる。御飯もたいてい軽く二杯である。
ただその食通であることは、恐らく「美味求眞」の著者も先生には及ばぬこと思う程だ。魚類、肉類、野菜類、貝類、その産地から季節から料理法まで、よく知ってをられると思う程である。
×
西銀座の民友社には、たいてい午後一時には来られる。大朝、大毎、数種の英字新聞、敦種の英字雑誌、あらゆる新聞内報、寄附雑誌、来簡が先生の机の上に山積している。乗客があり、電話で種々問合せがあり、その間に時に「日日だより」を執筆し「国民史」や「日日だより」(毎日新聞連載のコラム)の校正をされる。
原稿の口述、書債の整理、午後五時にお帰りになるまで、全く寸暇も無い四五時間である。
来客は前もってお約束の方、特に止むを得ぬ人々に面会をされるが、お断りしなければならぬお客様もなかなかに多い。約束した有名無名のお客様が先生の室に通る。先生はなかなか礼儀の正しい人であるから、どんな人にも丁寧で、帰る時には必らす立ってドアの外、階段の上まで出て見造られる。少数の人々はわざわざ階段を降りて玄関まで見送って行く。あんまり丁寧で、絨毯の上に据り込んで恐縮した田舎のお客様もあった。
ある時先生が笑いながら次の様な旬を示されたことがあった。
●「吾が嫌いゴルフ、ダンスに酒、煙草、揮毫依頼に長居の人」
この中でダンスだけは戦争が始つてから、全く影をひそめたらしいから、論外とする。ゴルフに至っては、どうも好感がもてないらしく『日本の様に寸地尺土も経済的に使用しなければならぬ土地をわざわざ潰してまでゴルフをする
のは遺憾である」とよく云はれる。
先日も「新体制で一つゴルフもやめた方がよからうにネ」と笑われたことがあった。
酒と煙草に至っては、先天的に嫌いであって、酒については若干の得を知ってゐても、自らは酒の味を全然知らないことを感謝しておられる。先生がアルコールを口にした時の面白いーエピソードがある。
明治十五年夏の午前、先生は中江兆民を青山の宅に訪れた。その年は東京はコレラが大流行であったといふ。それで兆民居士が「これはコレラ除けの薬です。一杯如何」と云って、琥珀色の液体をコップに注いで差出した。兆民居士も同伴者も飲んだので、安心してこれを呑み干した。
ところがやがて頭の中を千軍万馬が往来すると覚えるや、その後は前後不覚に陥った。漸く目を覚ました時には兆民居士の鉄のベッドに横たはる自身を見出したのである。日は既に庭に落ちて、夕凪の立つ頃でありこれこそまんまと洋酒を一杯飲まされた。先生の酒の苦しみの一時であった。
兆民居士も申し訳ないと思ったのか、フランス書の中から、特に英文のロイックの「ヒューマン・アンダースタンディング」と、チヤールス・ディケンズの「少年用英国史」を取出して先生に送呈したといふ。これは先生二十歳の時であるが、爾来今日まで、意識的にも、無意識的にも、先生はアルコール分とは無関係である。
併し自分でお客をした時などはよくお銚子を持っては、1人1人に.注いで回られたりする。
「僕は自分では飲めぬが、お酌は上手なんだよ」
と云はれて、村塾先生の晩酌にお酌をさせられた話などを愉快気にされる。民友社の忘年会の時など先生にお酌をされて、皆の恐縮すること。先生の人間味ある一面でもある。
揮毫依頼は全く困るもの一である。返事も待たずに、紙や絹を送ってくる人が多く、返進の手数も、その断りの手紙もなかなか、一仕事である。引受けたものさへ果せずに長持や戸棚に一杯つまっている位であるから、勝手に用紙を
造られるのは全く迷惑至極だ。
長居の人、これも時間を大切に使ってゐる先生には迷惑なものである。中には私共が種々な策を施しても、一向意に介せざるが如く閑話、愚話を延々と続ける人もある。たいていの場合、先生の方からいい加減に切上げられるが、さ
うも出来ない関係の人もあって、お菊の毒な苦行を我慢しておられる時も鮮くない。その時の先生の辛らつなこと。
以上は先生の嫌いづくしの歌であるが、好き尽くしの歌として示されたのは、
●「わが好きは朝起き、読書、富士の山、律儀、勉強、愚痴いわぬ人」。
前にも書いた通り、先生は四季を通じて午前五時には仕事にかかるのであるから、早起きは先生の大好きであり、その功徳もまた先生のよく知るところ、「近世日本国民史」のあの大著述が、人の未だ覚めざる暁になされるのを思うと、三文の徳どころではない。また先生の健康の極意の一は実にこの朝起きにある。
読書につては今更ら云ふまでもなく、先生と書籍はどこにもついて回るるもの。既に皆様御承知の通りである。
富士山については、一年の四分の一以上を富士山麓に過すほど執着してゐる。広重や北斎がどれ位富士を輝いたか知らないが、先生が富士山について書いた愛著の文は、幾冊かの本を成すほど多い。
先生の云う律儀とは、誠実に堅実を加へたもので、間違いのない人であると同時、当てになる人といふ意味で、勉強はいわゆる怠惰の反対である。
愚痴云わぬ人の標本は全く先生である。一先生の身連には種々のことがあった。今もなお軽々のことがある。併し先生は決して愚痴を云はない。今日よりは明日に、今年よりは来年に、常に将来に光を望んで進んで行かれる。
先生には内緒であるが、以上の外に先生の好きなものに午睡がある。大森の山王草堂においても山中湖においても、柴閑荘においても先生は必らず午睡を取られる。たいてい二三十分、長くて一時間。これは先生が疲弊をいやし、更に清新な精力を貯蓄する上に最も必要なことであって、二三十分の午睡後の先生は、如何にも神気爽快としておられる。どんな喧騒の中にあっても、眠る時には悠然として障りに落ちられるので、悟入した人を見る様な感を受けることが度々ある。
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