日本経営巨人伝⑩岩下清周ーー明治の大阪財界に君臨した岩下清周<百歩先をいった男>
日本経営巨人伝⑩岩下清周
明治の大阪財界に君臨した岩下清周
(名言)「百歩先の見えるものは狂人扱いされ、五十歩先の見えるものは多く犠牲者となる。一歩先の見えるものが成功者で、現在も見得ぬものは落伍者である」
岩下清周伝
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昭和6
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故岩下清周君伝記編纂会
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岩下清周 1857-1928
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(解)前坂俊之
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00.09
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19,500
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大空社
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前坂 俊之(静岡県立大学名誉教授)
岩下清周は安政四年(一八五七)五月、信州松代藩士・岩下左源太の二男として生まれた。三歳で父と死別、叔父に育てられたが、十七歳でこの養父もなくなり、天外孤独な身となった。

明治十三年(一八八〇)六月からアメリカ勤務となり、十六年からはパリ支店、二十七歳でパリ支店長に昇進した。パリ時代には欧州に留・遊学してきた伊藤博文、山県有朋、西園寺公望、原敬、桂太郎、寺内正毅ら若かりし頃の政治家、軍人と親交を結んだ。
同二十一年春に帰国、同物産本店で閑職の勤務となったため、間もなく辞めて翌年、品川電燈会社を設立、関東石材会社を経営していた。二十四年に三井銀行の中上川彦次郎の目に止まり同行副支配人として招かれた。
三井を大発展させた中上川が集めた人材の大半は慶応大学の出身者だったが、例外がこの岩下であった。採用するに当たって、中上川は三井物産の益田孝に芋の人物評を開くと「荒馬だから採らない方がよい」と忠告された。しかし、中上川は「悍馬(かんば)で手綱を締めるくらいのものでなければ、千里の道はいけませんよ」と岩下を敢えて採用し、間もなく大阪支店長に抜擢した。
明治二十八年(一八九五)九月、岩下は三井銀行大阪支店長となり、大阪の財界とつながった。前年に勃発した日清戦争によって大阪財界の動揺は激しかったが、岩下は積極的な貸し出し政策をとり人物本位での貸し付けを行なった。これを三井本店では不安視し、岩下がさらに貸し付け限度額を一五〇万円から五〇〇万円に引き上げようとして、中上川と衝突し、岩下は三井銀行を去った。
ちょうど、この頃、岩下と親交があった大阪財界の実力者・藤田伝三郎らが中心となって北浜銀行を創設しようとしており、岩下はその創設委員になっていた。藤田から「岩下を頭取として迎えたい」と中上川に申し込みがあった。中上川は「三井の岩下ではなく、個人の岩下として差し上げる」と答えた。悍馬を御せる人間がいなくて、大丈夫か」との気持ちが言外に込められていたのである。
明治三十年二月、北浜銀行は資本金一〇〇万円で創設され、岩下は専務となり、間もなく頭取になった。岩下の北浜銀行の経常はそれまでの銀行にはない、全く革新的なものであった。大阪築港公債の入札や大阪市債を引き受けるなど、従来の銀行が預金と貸金の利ザヤをとるのを唯一の目的として利益を上げていたのに対して、公社債から信託銀行の業務、果ては投資銀行まで目指していた。
岩下はパリ時代から、工業立国論を銀行経営の方針にしていた。「岩下の北浜銀行」か「北銀の岩下」かと言われるほど、岩下のワンマン下にあった北浜銀行によって、それは実行に移され、紡績、電気、ガス、建設、製菓などあらゆる業種の企業に棲極的な投資や融資が行われ、岩下自らも「人物本位」で、事業家や事業を全面的に応援した。
明治三十九年(一九〇六)には大阪電気軌道(現在の近鉄奈良線) の設立に棲極的に関与した。大阪電気軌道の大阪-奈良間の開通のためには真ん中に生駒山があり、このトンネル工事には七五〇万円という資本金三〇〇万円の二倍以上の巨費がかかった。
ケーブル化も検討されたが、将来のスピード化のためにはトンネルが不可欠だとして、岩下は大林組・大林芳五郎社長らとともに、トンネル工事を全面的にバックアップし、岩下は大軌の社長にも就任してこの難事業を完成させた。
紡績業界の谷口房蔵も岩下が応援した。日清戦争以後の反動不況で紡績会社の経営不振が深刻となり、他銀行は融資を見送っていたが、岩下は谷口を支援し、紡績合同期成同盟会を組織させ谷口をトップにすえて、紡績の大合同をすすめ明治三十三年(一九〇〇) には大阪合同紡績を設立させた。
また、創立に苦労していた箕面有馬電鉄(後の阪急)の小林一三を後援し、成功させたのも岩下で、銀行家に止まらず同電鉄の社長にもなって、バックアップした。
大阪瓦斯の片岡直輝社長に対しても岩下は応援した。営業不振だった大阪瓦斯に対して岩下は同社の監査役に就任し、北浜銀行が資金調達に協力して、その後順調に発展した。
このほか、豊田式自動織機を発明した豊田佐吉や森永製菓を創業した森永太一郎、発明の天才と言われ、醤油の醸造法を開発した鈴木藤三郎らも熱心に応援した。
岩下はさらに、西成鉄道社長、電気信託取締役会長、鬼怒川水力、広島電軌、広島瓦斯、帝国商業銀行、阪神電鉄、堺瓦斯、阪堺電鉄などの監査役も兼ねるなど、北浜銀行の財力と自らの辣腕をもって応援して、関西財界に君臨した。この結果、北浜銀行はまたたくまに膨脹して、資本金は最初一〇〇万円だったが、十年後には一、〇〇〇万円に、預金高も三、〇〇〇万円を突破するまでになった。こうした岩下の強引なやり方、目を見張る活躍に対して、財界の一部には強い反発があり、特に大阪電気軌道会社(後の近畿日本鉄道)への巨額な貸付金をめぐって、北浜銀行を不安視するものが少なくなかった。
大正三年(「九一四)四月に「大阪日日新聞」が北浜銀行の大阪電気軌道や大林組への巨額の貸し付けが不良債権化しているとの暴露記事を書いたため、北銀は二回の取り付け騒ぎを起こして、日銀が特別融資して救済に乗り出した。岩下は私財を提供して回復に努力したが、結局辞任してしまう。
北浜銀行も倒産休業に追い込まれて整理され、大正八年(一九一九)に摂陽銀行となって再出発することになった。
岩下は投資型の銀行をめざして、事業の将来性に賭け人物本位での融資を行なったが、結局、貸し付けが放漫で、法律的な知識にも欠けていた。銀行家としては堅実性を欠き、ともすれば見通しを誤り、その甘さがこうした事件につながった。
大正四年二月に岩下は刑法上の責任を問われ、背任横領、文書偽造行使、商法違反などで大阪地検から起訴された。
若い頃から親交のあった山県有朋、桂太郎、原敬らとの派手な交際や、明治四十一年には大阪から衆議院議員に当選し、以来七年間政治家としても活躍したが、政財界を股にかけた岩下のその政商的活動に対して、同業者や政治家から嫉妬や敵視を受けて、事件に仕立てられたとの見方がある。
岩下の検挙は原敬の政敵であった大隈重信内閣の大浦内相の手によって行われたが、原と親しい岩下に対しての原攻撃の一環であったのではないか、との指摘もある。
大阪地裁は大正六年二月、岩下が自己の個人的な投資のマイナス分を北浜銀行の金で穴埋めしたり、情実的な融資を行ったなど計七件の背任、横領容疑で懲役六年の有罪判決を下した。岩下は控訴したが、棄却となり、大審院で名古屋控訴院に差し戻された判決では大正十三年四月に懲役三年が下り、有罪が確定した。
岩下は東京豊多摩監獄に服役して、翌年一月に出獄した。出所後は財界との関係をすべて断って隠棲し、富士山の裾野の静岡県御殿場で不二農園を営み、静かに暮らしていた。
「百歩先の見えるものは狂人扱いされ、五十歩先の見えるものは多く犠牲者となる。一歩先の見えるものが成功者で、現在も見得ぬものは落伍者である」と岩下はよく回りの者に話していたという。彼の生涯を暗示している言葉である。
その後、僧に身をやつして全国各地を遊歴していたが、昭和三年(一九二八)三月、岩下は七十歳で波瀾万丈の生涯を閉じた。
本書は故岩下清周君伝記福纂会編『岩下清周伝(』近藤乙吉発行、昭和六年)の復刻である。岩下についての伝記は、これが唯一のものであり、資料性抜群の読んでも大変面白い本格的な伝記である。中島久万書がはしかきを書き、小伝、事業、北浜銀行破綻顛末、疑獄事件の判決理由、石黒行平弁護人の弁論要旨、岩下本人の陳述書も収録しており、事件の経過が記述されている。
また、岩下をめぐる多彩な人脈とのかかわり、エピソードが数多く紹介され、当時各界を代表した企業家たちの追悼文が巻末にも掲載され、経済人の伝記としては一級の内容になっている。明治期の大阪財界についての研究に本書は不可欠の一書であり、大阪財界の反逆者、失敗者とみられている岩下の全容を伝える復権の書にもなっている。
(2000年執筆、静岡県立大学国際関係学部教授)
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