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日本リーダーパワー史(120) 明治の2大国家参謀とは誰でしょうか!?・驚くなかれ、杉山茂丸と秋山定輔だね

   

日本リーダーパワー史(120)  明治の2大国家参謀とは誰か・杉山茂丸と秋山定輔
 
                     前坂 俊之(ジャーナリスト)
毎日毎日、刻一刻と沈没しつつある『タイタニック・日本丸』(船底に近い5等船室の乗組員の一員)というのが私の現状認識である。借金(国債)氷山に激突し、大きな亀裂のはいった船底から海水がどんどん入ってきて5等船室も水浸しになっている。
不沈豪華客船『タイタニック』の前宣伝を信じ込んだばかりにほとんどが運命を船と共にした。
70年前の日本も同じ。太平洋戦争前の「世界一の海軍」「不沈戦艦大和」を信じ込んだばかりにどんな結果になったのか。
いま、国の財政赤字が930兆円を突破する世界最悪になっても、一方で、国債の95%は日本国民が保有しており、『1300兆円もの国民の預貯金も世界一だから心配ない』という政府の発表に騙されると、とんでもないことになることは国民の方がいち早く気づいている。
 
当時、タイタニック号には開発された無線通信が搭載されていたが、氷山にぶつかっても沈まない不沈船とおごっていた船長らは無線の使い方を理解していなかったと言われる。そのためSOSの発信も遅れてしまった。
 
毎日、毎日、国民は菅民主政権の船長以下の閣僚やこれを批判する自民党の2世議員、小粒政治家の「国家戦略なし」「リーダーシップなし」『リーダーパワー(指導力)なし』小田原評定(学芸会)をみせつけられてウンザリしている。
 
ここにおいて重要なテーマが浮かんでくる。「明治以来の日本の国家リーダーで一番リーダーシップ、リーダーパワーを発揮したのは誰なのか。」という問題である。この問題意識から始めたこの連載は私の乏しい知見と体験と独断と偏見と公正、公平も考慮したリーダー、政治家、経済人のランキングなのである。
明治にはスゴイ人物が輩出している。官僚でも軍人でも右でも左でも色眼鏡なしに冷静に見て行く必要がある。
その中で、これまでの歴史学界ではほとんど無視されてきた杉山茂丸、秋山定輔は傑出しており、私は大いに関心を持って調べてきた。古本屋で5百円でみつけた下村海南著『はきちがえ』四條書房(昭和八年五月刊)の中で、この2人を取り上げていたので、ここに紹介する。
下村海南(しもむら かいなん)は1875.5.11~1957.12.9。和歌山県出身。本名下村宏。1898年東大政治学科卒業、逓信省入省。貯金局長を経て1915年台湾総督府民政長官。早大、中大、東京商業大学で財政学の講師となる。その後,朝日新聞副社長、1945年終戦時の情報局総裁。児玉源太郎、後藤新平と親しかった杉山とは交流が深く、杉山が亡くなった時、下村は朝日に追悼記を連載している。
秋山定輔は明治の新聞人,政治家。明治26(1893)年10 月に「二六新報」を創刊。最初はうまくいかず、休刊をへて明治33(1900)年に復刊。1 部2 厘の廉価で「万朝報」に対抗してセンセーショナルな紙面で労働者階級へアピールし、部数を伸ばした。その後激しい政府攻撃を展開して発行禁止処分も2 度受けた。
明治37(1904)年に秋山がロシアのスパイだという「露探事件」がおこった。当時の桂内閣系による陰謀といわれるが、これを機に部数が下降線をたどった、杉山と並んで明治の政治黒幕的な存在だった。
 
 

『杉山茂丸と秋山定輔』
<『雄弁』1932年(昭和7)九月号>
下村 海南著
 
(1)人形と人形使い
吉田文五郎も、吉田栄三も1年づっ年をとって行く。文楽の人形浄瑠璃というものが、このままで続くのか、益々盛んになるのか、それとも次第に衰えて行くのか、それもわからない。

しかし、文五郎なり、栄三の一年づっ年をとって行く事だけは間違いがない。文五郎、栄三のあとをつぐ人が出るかどうか、それもわからない。また、人形作人として後世後嗣ぐべき人なしといわれ、人形道の神様にたとえられている文三郎のような人、今後見られないといわれるが、果して、然るかそれもわからない。

維新の元勲として、伊藤博文あり、山県有朋あり、次いで新日本興隆の舞台に立役者として活躍せる者に、桂太郎あり、児玉源太郎,寺内正毅あり,後藤新平あり、田中義一あり、これらの人形を躍らした文五郎、栄三にたとへんは言葉が過ぎるかも知れぬ。

しかし、少くとも絶えず、政界の裏面に活躍し、殊に日清、日露の二大戦役の前後を通じ、奇策縦横、彼の春秋の蘇秦、張儀にも比すべく、かうした立役者の帷幄に活躍せる者に杉山其日庵がある。

庵主は自ら『もぐらもち』と称している。常に地の底ばかりはいまはっているというのである。

↑ (この写真は日露戦争当時の杉山(写真左)と児玉源太郎(右)。2人は盟友で、杉山が児玉の参謀、フトコロ刀であった。これを見れば杉山のすごさがわかる。)人形とならず人形つかひになってる、それも黒衣を着た人形遣いであるというのである。本人はそういはなくとも、筆者はそういってるのである。しかもその手馴れた人形は、ぽっりぽっりと無くなつてゆく。おのれの命の影もまた一日一日と薄らいで行く。

庵主は遠からず来るべき死に直面して、さきに『俗戦国策』なる一本を筆にしてある。日常好んで剣を相し、義太夫を語るの外、文筆をよくして幾多の著書を公にしている。しかし、何んといっても、其日庵主人杉山茂丸の真価は実にその便々たる大鼓腹と蘇秦糞くらへの口舌であらねばならぬ。
庵主の口舌は壇上で、大衆を前にし、とうとう懸河の弁を振うのではない。相手とサシで取り組み組み説き伏せるのである。相手が大物であればあるほど取組みやすいらしい。
その六尺近い巨体を擁し、堂々人を圧する魁偉なる容貌と、どこまでも相手を魅了せずにおかない長広舌は、まさに万人が等しく認める座談の雄者であらねばならぬ。
 
(2)経済を口にする国士
由来、国士を以て任ずる人々の弁論は、とかく話に上下を付けて竪すぎる。熱烈過ぎて、常軌を逸しやすい、感情にはしり過ぎて、話しが抽象に陥りやすい。しかも庵主の座談には、硬軟とりどり、千紫万紅である。殊に経済なるもの口にする。払い込がいくらで配当が何分だから利回りがいくらくになるとか、為替が何ドルを割ったから外債の利子がいくらいくらになるとか、日歩がいくらの、コールが何厘だのと、
ソロバン片手の細かい細かい数字を、大日本の百年の国策に取り交ぜ、談論風発相手を煙幕に巻き込んでしまうのである。

筆者が庵主の座談を耳にしたのは、大正四年、台湾赴任以来の事で、爾来すでに幾十回たるを算し切れない。
或る時はアパートの一室で、夜蔭に至るまで6 時間近くも、さしで話し合ったというよりは、庵主の立続けの快弁にみせられた事もある。
庵主の座談には、例の政界や軍服の立役者が軒並に出て来る、先方から云へば、杉山をかったとも、彼を利用したともいうであらう。
庵主からいへば芻僥の言を述べたに過ぎないというか、それともおれはただの人形の足使いであったーイヤ左使いであったとりふか、
イヤ人形使い(シテ)として人形を躍らしたというか、それは分らぬ。

とにかく、その話題にのぼる役者の顔ぶれれといい、劇場の大きさといい、舞台の装置といい、一筋書が日清、日露の戦役に織り込まれて
いるのだから、聞いていると、とても面白い。

(3)其日庵と文五郎
話の筋がとても誇張されているなと思はれる事もある、イヤ、其法螺丸などいうニックネームに徴してもありさうな事である。
しかし、一度新橋あたりの会席で主人となり、朝に野に文に武に名の売れた一流どこの客種をずらりとならべる、それだけでもかなり壮観
であり奇観である。

後藤伯爵などは、いつも床の間正面か、その附近に鼻目がねをギョロつかせている。その前へノソリノソリと乗り出して
『おい後藤,一杯もらおうか』とばかりに、ドッコイショとエンコして、四本半になった指先をぐつとさし出すところなどは、我党の士をして快
哉を叫ばしめ、気の弱い芸者をしてはらはらさせる。

それなれば「おい下村一杯もらおうか」とくるのかと思うと、中々以て左にあらず、『下村さん、下村さん』とさんづけにする、
こまい人形はつかいにくいと見える。
つまり威勢隆々飛ぶ鳥も落すやうな大物にぐわんと一本当身を喰はしておくだけで、他は眼中に置かぬといふ形である。

このほど、台華社の楼上に見舞った時、『明石も死ぬ、寺内も死ぬ、田中も死ぬ、団まで死んだ。
貴様もいい加減に一緒に来いと、眞黒闇の中から野郎共おれの足を引張りよる。

しかし、此の時局を前にして、これを見すてて行けますかい、見物するだけけでも生きてをらにやならぬと、寝台にしがみついてがん張る
ところだよ』と寝台の上で哄笑する庵主を見た。

近頃は工場の機械で大仕掛に規則と先例で、堅めた千人一色の人形が大量生産で吐き出されてる。型外れの人形は
段々影をひそめて行く、時は次第に流れて使いなれた人形はいつの間となく亡くなってゆけば、人形使いも一年づっ年をとってゆく。
さびしいと思うのは攝津越路去って後の、老いたる文五郎を見る文楽ばかりで無い。 

(3)訥弁の雄・秋山定輔
其日庵主人の声調は義太夫で叩き込んである丈に太い声である。バスの音である。
どうもソブラノ式の声は男子には割が悪い、言いづらそうであり又聞きづらい。大口喜六、小川郷太郎諸士の声などはソプラノ式に似て
非なるものである、きつく、鋭く響く、やわらかみが少い、どう声の調子は濁った方が耳当たりが好い、キイキイ声の達弁は、却ってドス調の訥弁がよい。

訥弁はそこに何等かの真面目さを示している、あまりにしゃべる立てるのは人間の柄が簿っべらであるような感じを与える。
言葉のどもる人は重厚といふやうな感じを与える。

僕の知る限りでは、その昔、逓信省で古市公威男を上官に仰いだ事がある。男のどもる調子が、我われにとても懐しい暖かい
真面目な感じを喚び起した。

三宅雪嶺居士の如きもまさに、その一例である。さらに其日奄主人と相並んで連想されるのは秋山定輔翁であるが、
翁は訥弁である。然しそれが雄弁以上に開く者の心を捉へる。
 
(4)黄金魔を組伏せる弁舌

二六新報社が悲境に終った時、手当り次第七とこ借りをした高利貸や、あらゆる債
   権者方面に毎日、自転車で軒並みにことわりに回る。それが1ヵ月30回とつゞけられ
    ると、債推者の方が根負けして、いやもう言い訳だけに毎日押かけられてはたまらぬと悲鳴をあげさした秋山君。

自転車で富士登山を強行した秋山君。肺患重くして外遊の途中から須磨まで帰り、快癒に赴くとその地から、そのまま外遊に登った秋山君、
医者から見放された病と四つに組んで逐に病魔をくみ伏せ、角力をとる、自転車にのる、サンダーの鉄亜鈴を振り回はす、硬式テニスをやる。

とうとう十二貫目の体重から十六貫までにのしあげた秋山君。君の二六新報時代に僕は大井の立会川でその住居を相近くし
ていたが、毎日の様に君の訥弁に魅せられていた。数限りない君の思い出話し、離婚話しはまた別に筆にする時もあろう。

ただその時分、僕が風邪など引いて床につくと、定まった様に名士の伝記とか言行録、さては体育に関する書籍類を枕許へ置いて行く。
忘れもせぬ、ある時に枕元でポッリボツリと得意の訥弁で『君は大臣にもなるだらう、なってもそれは不思議でない。僕は頭を下げない。
しかし、君が自分の健康を考へて、目方が十六貫になつたら、君の前に頭を下げて平伏する』

こういった事をよく覚えてる。大臣なんかになるより先ず健康第一だ、努力せよという、健康への努力は大臣になる努力よりも
骨が折れるといって、保健をすゝめるのである。おもしろいじゃないか、しかしさうまで心遣いをして貰っても、時は日露戦役の直後で
あつたが、常時目方が約十四貫目今日に到るも、十四貫目を上下してをる。
十六貫目はおろか十五貫目にもなりさうにない、爾来折々体重を計る時毎に、よく秋山君の言葉を連想する。
一面には自ら克己心の弱きを嘲り、一面には君の好意を無にしつつ、君を平伏さす事が一生出奔すじまひになると思ひつつつ。

<『雄弁』1932年(昭和7)九月号>
 

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