前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(123)<辛亥革命百年(25)>犬養木堂と孫文の友情ー国民外交の重要性

   

日本リーダーパワー史(123)
辛亥革命百年(25)犬養木堂と孫文の友情
<日本外交史の教訓『国民外交の大切さ』・犬養の式での声明文>
 
前坂 俊之(ジャーナリスト) 
 
孫文の死・移柩式に犬養、頭山が参列する
 
民国十八年(辛亥革命から18年)、すなわち1929年(昭和四)六月二日、孫文の霊枢を北京より移し、新たに南京に造営した南京城外の中山陵に安置することになった。

ところが、蒋介石と馬玉梓との間に戦争が始まったので、移柩祭も延期になるのではと思われたが、蒋介石が味方の各軍隊に祭典の済むまで軍事行動を避けろと厳命し、馬も積極的行動に掛でなかったので、予定の期日に挙行された。
 
 国民政府から犬養、頭山両氏の参列を希望して来た。彼等の尊敬する革命の二大パトロンが二十年振りに再び相携えて渡支し、親交のあった孫文の移柩式に臨むということは、国民外交の上からいって政府が十人の特使を派遣するよりも相応しいことで、故人の霊を慰めるに十分であった。

七十五歳の高齢だった犬養と頭山は五月二十日夜出発したが、当夜の東京駅は見送り人が広い歩廊を身動きする余地もないほどに集まり、新聞社の写真班がレンズを向けて一斉に点火するマグネシュームの閃きと、津々たる白煙と音響とは、怒涛の如き万歳の声に和してさながら戦争のような騒ぎであった。しかも見送り人の殆んど全部が浪人群であった点は二大浪人らしい情景であった。

 
犬養、頭山は五月二十三日に南京に到着した。
 
犬養は直ちに次の声明を発表した
 
『自分は日本国民の一員として、数十年来国民党の主張理想に対し甚大なる同情を有し、故孫総理とは日本における最も古き友人の一人としてその最後の日まで同情と尊敬とをもって友情を持続をしてきたものである。

故に、今回の盛儀に列席するを得るは最も光栄、かつ本懐とする所であって、この点については頭山翁も全く同感であろう。

 
 思うに国民党は既に故孫総理在世中より、その基礎確実であったが、現在の発展と成功とはまことに望ましきものであり、自分等としては今昔の感に堪えぬ。

同時に国民党がかかる勢力となった今日においても故孫総理の遺志を受けて中国の発展の為に努力しつつある自分の友人等に対し尊敬の念を禁じ得ないものがある。

 
 元来、孫総理と日本との間には、切っても切れぬ程の親密な関係があったもので、日本国民は等しく故孫総理及び国民党に対し陰に陽に同情と援助とを惜しまなかった。

故孫総理が中華民国第一次大統領として渡日せられたときの如きは、朝野を挙げて歓迎した次第であり、故総理もまた日本に対して常に友好親善の関係を持続することに努め、日本においても多くの友人を持っておられたことは周知の事実である。

 
 従って自分としてはかかる大典の挙行せられるに際し、既に日支間における幾多の懸案が円満に解決せられ、両国間の友情関係は更に一段の親密の度を加えて来た事実を見て、誠に欣快に堪えないのであって、故孫総理も定めて地下において満足に感じておられることと思う。
 
が、日支間には末だ幾多の懸案もあり、且つ将来為すべき事が多くある次第故、我々両国民はこの機会において虚心坦懐、一意両国の親善関係の増進を念とし、互いに誠意を披渡して東洋の和平を保持し、進んで算の文化に貢献するよう努力したならば、故孫総理の遺志にも適うことと思う。』
(以上は昭和4年6月『木堂雑誌』第6巻第5号=犬養木堂記念館『研究紀要第2号掲載)
 
孫文から慈父と仰がれた犬養の日中友好への篤い志がほとばしっている。
 
国民政府は国賓の礼を以て二氏を遇した。二十八日、孫の霊柩が南京に到着したので、三十一日中央党部で告別式を行い、犬養氏は一行を代表して祭文を朗読した。

翌払暁、霊柩は中央党部を出発し、腕艇長蛇の如き行列で三里余の長途を中山陵に向かったが、犬養、頭山両氏は先発して迎え、霊柩を廟後の墓にときは、孫の遺族の外に犬養氏、主席公使のイタリア公使、蒋介石の三人だけが特に柩側に立ったのである。

 
 
 
 

 - 人物研究 , , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
福沢諭吉が語る「サムライの真実」(旧藩事情)③徳川時代の中津藩の武士階級(1500人)は格差・貧困社会にあえいでいた。

   NHK歴史大河ドラマを見ると歴史の真実はわからないー …

『鎌倉カヤック釣りバカ日記』回想録『人生とは重荷を負うて、遠き道を行くが如し』=「半筆半漁」「晴釣雨読」の「鉄オモリ」のカヌーフィッシング暮らし』★『15年後の今、海水温の1,5度上昇で、磯焼けし藻場も海藻もほぼ全滅、魚は移住してしまったよ!』

2011/07/07記事再編集 前坂俊之(ジャーナリスト) 「半筆半漁」「晴釣雨 …

no image
日本リーダーパワー史(68) 勝海舟の外交コミュニケーション術・「至誠と断固たる気骨で当たれ」

日本リーダーパワー史(68) 勝海舟の外交コミュニケーション術・至誠と断固たる気 …

no image
名リーダーの名言・金言・格言・苦言・千言集(16) 『“ダム経営”を行え』(松下幸之助)『朝令朝改をせよ』(盛田昭夫)

<名リーダーの名言・金言・格言・苦言 ・千言集(16)            前 …

no image
★『アジア近現代史復習問題』・福沢諭吉の「日清戦争開戦論」を読む(2)ー「北朝鮮による金正男暗殺事件をみていると、約120年前の日清戦争の原因がよくわかる」★『脱亜論によりアジア差別主義者の汚名をきた福沢の時事新報での「清国・朝鮮論」の社説を読み直す』★『金玉均暗殺につき清韓政府の処置』 「時事新報」明治27/4/13〕』

 『アジア近現代史復習問題』 ・福沢諭吉の「日清戦争開戦論」を読む(2)ー 「北 …

『Z世代のための百歳学入門』★『シュバイツァー博士(90歳)の長寿の秘訣』★『私にはやるべき仕事が常にある。それが生き甲斐でもあり、健康法』★『「世界的チェロ奏者のパブロ・カザルス(96歳)」の「仕事が長寿薬」』

  015/03/08  百歳学入門(104)記事再録再編集 …

『鎌倉釣りバカ人生30年/回想動画録』⑲★『コロナパニックなど吹き飛ばせ』★『10年前の鎌倉沖は豊饒の海だった』「釣れない・恋れない・釣りバカ日記③」 ★ 『自然に帰れ』―母なる海に抱かれて、魚と戯れる、また楽しからずや」 『鎌倉沖プライベート・シーで、同窓会ラブを思い出したよ』

  2010/07/03  「釣れない・ …

『Z世代のための日本政治家業講座①』★『笑う門には福来る、ジョークを飛ばせば長生きするよ』★『昭和の大宰相・吉田茂のジョーク集』 ★『吉田首相は五次にわたる内閣で、実数79人、延べ114人の大臣を『粗製乱造』した。その『吉田ワンマン学校」で、「果たしてステーツマン(真の政治家、国士)を何人つくったのか?」

「逗子なぎさ橋珈琲テラス通信」2024年7月27日am800 2016/02/1 …

no image
世界、日本メルトダウン(1033)ー『米中会談の内幕は・』★『中国が北朝鮮問題を解決すれば、米国との通商の取り決めは中国に良いものになる」とブラフ外交、ディール外交(取引外交』を展開』●『トランプ氏は「まず外交,不調なら軍事行動の2段階論」を安倍首相に説明した』

世界、日本メルトダウン(1033)ー   『まず外交,不調なら軍事行動 …

no image
日本リーダーパワー史 ⑦ 最高のリーダーは西郷従道,その機智とユーモア②

                              2009、 …