日本リーダーパワー史(143)国難リテラシー・66年前の大日本帝国最期の日―昭和天皇・政治家・軍人はどう行動したか①
<広島原爆でやっと「無条件降伏」を受諾、国体護持に最後までこだわる>
1・・「終戦」を勝ち取った首相官邸と外務省
昭和二十年八月十四日正午、天皇の「無条件降伏」の聖断が下った。東郷茂徳外相は閣議のため首相官邸に向かう途中、何度となく悲嘆と感激の涙にくれた。
政府は、国民を絶望と不幸の奈落の底へ突き落としてしまった。だが、滅亡のギリギリの瀬戸際で継戦を食い止め、国民の苦しみを少しでも和らげることができた。
もしこのまま戦争が継続されれば、間違いなく死傷したであろう数十万人の命を救うことができたのが、唯一の救いである。
東郷は一生の仕事をなし遂げた、そのことに喜びと幸せをかみしめていた。「自分はこれから先どうなってもよい」と感じていた。午後十一時、終戦の詔書の公布手続きは完了した。
詔書発布と同時に東郷外相はスイスの加瀬俊一公使(外相秘書官の加瀬俊一氏とは同名異人) に対して、日本政府の〝降伏受諾″の詔書をスイス政府を通じて連合国政府に通報するよう訓令を発し、スウェーデンの岡本季正公使に対しても参考に電送した。
東郷がホッと安堵していると、阿南惟幾陸相があいさつにきた。「陸軍大臣として君とはずいぶん議論をたたかわしたが、あくまでも国を思う気持ちからで他意はない。無事、決着がついて安心しました」
阿南はさっばりした表情で、笑顔さえ浮かべていた。米軍の空襲は日本全土におよんだ。
「日本の一番長い日」で決定的に対立したのはこの東郷と阿南であった。「ポツダム宣言即時受諾」の東郷外相。「断固反対」の阿南陸相。両者は激しく対立し、一歩も譲らず激論に火花を散らした。
それは猛烈なツバぜりあいであり、死闘でもあった。それだけに相手の立場は痛いほどわかり、お互いに最大の敬意を払っていた。
外相に就任してわずか四カ月、どうにか大任は果たせたと思えた。それにしてもポッダム宣言受諾から一週間、「バーンズ回答」を手にしてから三日間、日本が戦争をしてきた期間からすればわずかな時間であるが、日本にとっても長い長い時間であった。
バーンズ米国務長官が午前零時十五分(日本時間)から、サンフランシスコ放送を通じて送ってきたもので、日本では午前一時前、まず外務省ラジオ室が傍受し、やや遅れて同盟通信社がキャッチ、参謀本部も午前零時四十五分に第五課の成城分室が傍受していた。
首相官邸でもほぼ同時刻に連絡を受けた。
この夜、迫水久常内閣書記官長は、広島に原爆が投下されて以来ほとんど眠っていなかったため、九時ごろから官邸の仮ベッドでまどろんでいた。
その迫水書記官長が電話で起こされたのは十二日午前零時半過ぎだった。相手は同盟通信社の長谷川才次局長だった。連合国側の「回答」が、サンフランシスコ放送を通じて、たった今から放送され始めた、という。
「どんなあんばいか…」。迫水は聞いた。
「まだ全文は分からないが、どうもあまりよい形ではなさそうだ」
とりあえず迫水は松本俊一外務次官に電話を入れ、至急、首相官邸に来てくれるよう伝えた。
迫水が不安にかられ、あれこれと思いをめぐらしているうちに、同盟通信の安達企画部長がタイプされた回答の全文を持って駆けつけてきた。午前三時だった。
迫水はさっそく安達部長とともに回答文に目を通した。そして迫水の不安は落胆に変わった。このときから三日間、首相官邸は、この「バーンズ回答」をめぐって最後の大揺れを起こすのである。
迫水書記官長からの電話とほぼ同時の午前二時ころ、東京・霊南坂の外務省官邸にいた松本次官のもとにも、外務省ラジオ室から回答が放送されたことを伝えてきていた。
松本は渋沢信一条約局長を至急登庁させるために自宅に車を出すよう指示し、自らは首相官邸に急いだ。
迫水はその著『機関銃下の首相官邸』で書いている。
「私は英文のものを通読して先方の回答は、わが方の条件を真正面から承認してはいないことは残念であるが、けっしてこれを否定しているものではないことを知って、ほっとした心持ちになった。
しかし、こういう回答のあり方では、陸軍はじめ抗戦論者にいろいろ論拠を与えることになるであろうと考えると、すこぶる憂うつであった」
深夜の首相宮部は一挙にあわただしくなった。やがて松本俊一外務次官も関係の係官を同道して車を飛ばしてきた。
バーンズ長官の回答は次のような内容だった。
ポツダム宣言の条項は之を受諾するも、右宣言は天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居らざることの了解を併せ述べられたる日本国政府の通報に対し、吾等の立場は左の通りなり。
一、 降伏の時より、天皇及び日本国政府の国家統治の権限は、降伏条項の実施の為、其の必要と認むる措置を執る連合軍最高司令官の制限の下に置かるる(サブジェクト・ツー)ものとす。
二、 天皇は日本国政府及び、日本帝国大本営に対しポツダム宣言の諸条項を実施する為、必要なる降伏条項署名の権限を与へ、且之を保障することを要請せられ、又天皇は一切の日本国陸、海、空軍官憲及び何れの地域に在るを問わず右官憲の指揮下に在る一切の軍隊に対し戦闘行為を終止し、武器を引渡し、及び降伏条項実施の為最高司令官の要求することあるべき命令を発することを命ずべきものとす。
4・・首相官邸に入った松本次官はバーンズ回答の英文に目を通した。
第一項の例のsubject to・・について我が国の治外法権の事を例にとれば、暫定的のことでもあるから、強硬論者を説き伏せ得ると考えた。まことに敵も天皇の存在を前提として立計している。
「迫水君、これで大丈夫だ。この上、交渉を重ねることは決裂に導くだけで何にもならない。これをう呑みにする以外、手はない。この際はなんとしても戦争は終わらねばならぬ。私は外務大臣を説くから、君は総理を説いてくれたまえ」
松本次官はそういって首相官邸を後にし、東郷茂徳外相に会うためいったん外務省に引き上げた。
一方、迫水書記官長は文京区小石川の鈴木貫太郎首相の私邸に電話をし、それまでの経緯を報告すると、鈴木首相は断固たる調子でいった。
「ともかく戦争は終結させなければなりません」迫水書記官長は、これで政府の態度は決まったと思い、心強いものを感じた。
真夜中に呼び出された外務省の渋沢条約局長は、車中で迎えにきた局員に、どんな内容の回答であるかを開いた。
局員は「よくは知りませんが、相当長いものらしく、なんでもsubject という字があって問題になっているようです」という。
subject というだけでは見当もつかないが、渋沢局長は(長いというのは良くない、これは紛糾するな)と思いながら外務省に入った。
「役所にはすでに大分、人が集って居て緊張した気分が堂に満ちていたが、条約局と
してすぐに内容を法律的に検討すること、正式の訳文を作ることに着手した。
事務当局としては、この回答は当方の申出を実質的に受諾したものと了解して差しつかえないとの見解であったが、軍部がきっと文句をつけるに違いないことは解ってた。
回答書の翻訳文のまとめが終わるのを待って、松本次官は安東義良政務局長、渋沢条約局長をともなって港区広尾にある東郷外相の私邸に向かった。夜も明けた朝の五時半ころだった。
普段着のまま出てきた外相は、
「どうなんだい」
といって、ソファーにどかっと腰を下ろした。
四人の話し合いは二時間近くつづいたが、結論は見られなかった。松本と二人の局長は一抹の不安を覚えながら外相の私邸を出た。
「私はその足で直ぐまた総理官邸へ行った。そして応接室で、迫水君と朝食を食べながら相談した。迫水君は総理はさっき君の話した意見に同意だといったので、私は迫水君に心から感謝してまた直ぐに東郷大臣に合って、総理の決意を話し、大臣の決意を促した。大臣もそれではこのまま呑む方針で行こう、と決意を示したので私は非
常に心強く思った」 (松本俊一手記)
だが、東郷外相が予想した通り、夜が明けると同時に政府と軍部内は「バーンズ回答」をめぐって侃々諾々、蜂の巣を突っついたような状態になった。
問題は、これも予想通りの第一項にある「サブジェクト・ツー」と、第四項の「日本国政府の形態は、日本国民の自由に表明する意思に依り決定」されるという項目で、軍部側は強硬に反対運動を開始した。
第一項の「サブジェクト・ツー」を容認すれば日本の国体護持はできないし、第四項も、神ながらの天皇を否定することになるというのである。
外務省の条約局が「軍人は訳文にたよるに違いないから」と、問題の「Subject to」を本来の訳語とはニュアンスを変えて「制限の下にあり」としたのだが、参謀本部では独自に翻訳を済ましていたのだ。
その参謀本部の訳文は、まず冒頭に「これは数分間前、国務長官バーンズによって正式に発表されたものである」と但し書きを添え、問題の箇所をこう訳している。
「日本ハ降伏ノ瞬間カラ、日本天皇及日本政府ハ降伏条件ヲ実行二移ス間、必要間卜認メラルヘキ措置ヲトルデアラウトコロノ連合国最高指揮官二従属サルへキモノトス」
さらに 「Subject」 についても懇切丁寧に注釈を付している。 7・・Subject(形容詞)ノ意味
語源ノ意味ハ 「…ノ下二投ゲ出ス…或ハ置ク」ナリ。文章的二使用サルル意味左
ノ如シ。一 他ノ権力或ハ支配ノ下ニアル
右ノ意味二於イテ、特二国際法上デハ左ノ如ク使用サル。
①特定ノ一主権者、或ハ国家二忠誠ヲ誓フコト
②特定ノ一主権者或ハ国家ノ臣下トシテアルコト(以下、略)
そして軍務局は回答内容の説明資料まで付けて大臣や総長に配布している。
その説明資料では、これでは「天皇は連合国最高指揮官に隷属しあり、決して、対等の地位にあらず。
天皇の上に統治者(支配者)あり、これ国体の根本的破壊なり」と決めつけ、こう結んでいる。
八月十二日午前八時三十分、梅津美治郎参謀総長と豊田副武軍令部総長が、いち早く参内して、天皇に連合国回答の受諾に反対意見を奏上したのも、このバーンズ回答の訳文を読んだからだった。
その行動の是非は別として、バーンズ回答への対応では、首相官邸や外務省よりも軍側の万が一歩先んじていたといっていい。だが、天皇は軍統帥部の反対意見には動じなかった。
一方、東郷外相は松本次官たちが帰った後の午前十時半ごろ、官邸に鈴木首相を訪ね、連合国の回答を受諾しても差し支えないむねを説明し、首相が同意なのを確かめてから参内した。陸海の両総長が参内した二時間半後だった。
東郷外相は、連合国の回答は受け入れても差し支えない旨奏上した。
終戦直後の東郷外相の話によれば、天皇は「先方回答のままにて可なりと思考するにより、これを応諾するよう取り運ぶべき旨、なお総理にも右様伝うべき旨、御沙汰が
あった」 という。
そして東郷がその場から外務省にいる松本次官にこれまでの経過を電話で伝えていると、突然、平沼騏一郎枢密院議長が総理室に現われ、国体論の立場から第一項と第四項については断じて承服すべきではないと、受諾拒否を迫ってきた。
鈴木首相は、この日の午前十一時過ぎにも阿南陸相か受諾拒否の進言を受けており、外相と一致していたそれまでの「受諾」の気持ちが揺れはじめていた。
そして午後二時、そのまま参内して天皇に拝謁、一連の経過を報告した。鈴木の話によれば、天皇は「それではよく研究するように」といわれたという。
八月十二日午後三時から、回答文受領後初の閣僚懇談合が開かれた。
懇談会は大荒れだった。東郷外相と阿南陸相の議論が対立し、安倍源基内相と松阪広政司法相は再照会論を唱える。
合議の途中、東郷外相は外務省の松本次官に電話をし、「阿南陸軍大臣や平沼枢密院議長が強硬で形勢はだいぶ悪い」と知らせている。午後四時過ぎである。
合議は強硬派に押されて、東郷外相は窮地に追い込まれつつあった。頼みは首相だけであった。その鈴木首相が突然、東郷の足をすくうような発言をした。
「この回答文では国体の護持が確認されないし、また、武装解除も全く先方の思うままにされるのは軍人として忍びないから、再照会してみよう。もし、聞き入れられなければ戦争を継続するもやむを得ない」
東郷は愕然とした。首相自ら再照合云々といい出したら戦争は終結できない。日本政府が連合国に回答文の再照合をすることは、それ自体不信感を植えつけることであり、日本の「ポツダム宣言受諾」は欺瞞といわれかねない。
東郷は、なんとしてもこの閣僚懇談合で結論を出させてはいかんと考え、この間題は正式な回答文が届いてから改めて討議しょうと動議を出し、かろうじて閣議を散会に持ち込んだのだった。八月十二日も五時半になっていた。
散会後、東郷外相は官邸の別室で鈴木首相に面談を申し入れた。東郷は厳しい口調で鈴木にいった。
「ただいまの首相の言は納得しかねる。再照合のごときはもってのほかである。大御心は即時受諾して和平にあることは総理もご承知のはずではないか。閣議が逆方向に行くならば、自分は単独上奏するかも知れませぬからご承知願いたい」
東郷は、そういい置いて外務省に引き揚げた。外相が単独上奏を決行すれば、閣内不一致で内閣は瓦解する。実際、東郷は外相を辞任するつもりで鈴木に詰め寄ったのである。
外務省に帰った東郷は、大臣室に松本次官を呼んだ。松本の目には 「大臣はすこぶる元気なく」見えた。(つづく)
<『日本帝国最期の日』 新人物往来社 2003年7月刊より前坂俊之執筆部分>
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