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速報(76)『日本のメルトダウン』★<原発危機の最中(さなか)、組織を機能不全に陥れる不信感>ニューヨーク・タイムズ(6,12)

   

速報(76)『日本のメルトダウン』
☆重要レポート『In Nuclear Crisis, Crippling Mistrust<原発危機の最中(さなか)、組織を機能不全に陥れる不信感>』
<ニューヨーク・タイムズ特集記事June 12, 2011>
 
 
 
 
訳者のF国際ビジネスマンはこの記事を次のようにコメントする。
 
『民主党は、国民に評価される絶好のチャンスを生かす事ができていない。野党時代に政争にばかり熱を入れ、政策を官僚と共に実行して行く地道な勉強、国家管理の総論と各論の勉強など、為政者としてのポイントを押さえた実務学習が不足している。
 
特に今回の原発事故は国家の危機であり、政府の統治能力が試される格好の舞台であるが、関係省庁の経験と力をどれだけ引き出しているのか、心許無い。
 
オバマ氏もルース氏も恐らく、今回の福一原発災害に関する日本政府の危機管理能力については、呆れて腹を抱えて笑っている、と思う。あの日本で、こんなに勉強していない、
実力の無い政治家が多いとは思わなかったと。
 
この点においても、最近の英エコノミスト誌の日本の政治家評、「見かけ倒し」「役に立たない驚くほど、自分の事ばかり考えている」などの寸評が当たるのでは』という。
 
この記事の要約を下記します。
 

福一の原発事故の収束には、菅首相の信頼しない原子力村からの協力を必要とせざるを得ないが、薬害エイズ事件と同様に彼等に騙されるのではないかと云う強い不信感に苛まれていた。
 
2.
国民の生命を守る為、一刻の遅滞も許されない秒読みの状況下、菅首相にとってその性向も災いし、心底信頼できる原子力専門スタッフが殆ど居なかった事が、ベント、海水、真水注入の遅れの原因となり、結局水蒸気爆発、水素爆発の遠因になったのではないか。
 
市民運動家と云う主要な経歴は、既存の体制を心底信用出来ない「アウトサイダー、菅」を形成しており、この事も政府の総力を挙げたレスキュー体制の構築を難しくさせたのではないか。官僚の経験をタイムリーに生かし切れていないと云う。
 
3/11以後の被災状況、特に原発のメルトダウンに向かう展開は、米国の方がハイテク機器を動員して状況把握が早く、日本側は東電が秘匿していた。在留米人を50マイル以内から避難させると云う米国の脅迫が奏功し、漸く3/22に日米合同の総合会議がスタートした。遅気に失したこの体たらくは、危機打開、危機管理の手法が身に着いていない、未熟そのものの政府と言わざるを得ないのではないか。危機管理責任者のリーダーシップが無い。
 
総じて、言外にこのNYTの記事では、菅氏率いる政府関係者は危機管理の経験に極めて乏しい素人集団で、関連省庁、官僚を使いこなせる練達の士は殆どいない。国家として強力なガバナンスを効かせ、首相が強い指導力と説得力を見せ付けなければならない時、その場凌ぎの後手、後手の対応に終始している。そして、この極めて未熟な政府の時に、史上希な自然災害、原子力災害が発生した事は日本人にとって実に不幸な事態である、と云う。


以上
 
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 " In Nuclear Crisis, Crippling Mistrust "
 ニューヨーク・タイム』2011/6/12 NYT BY N. ONiSHI and M. FACKLER
 

 
 

 
 
<原発危機の最中(さなか)、組織を機能不全に陥れる不信感>』

東京ー3/12の夕刻、福島第一原子力発電所の一番古い原子炉が水素爆発を起こし、炉心溶融の危険に晒されていた。カン・ナオト首相は、原子炉を冷却する為に海水を注入する事の危険性をどう評価すべきか、助言を求めていた。
 
この厳しく重大な局面で、カン首相は、彼のこれ迄の経歴は、日本の産業界と官僚組織の間の共同謀議の様な強い繋がりに疑惑を持ち続ける事で成り立ってきたのだが、殆んど暗闇同然の中で、行動していた。

首相は、原子力安全委員会の委員長から困惑する様なリスク分析を受け取っていた。側近がいうには、この委員長は熱烈な原子力信奉の学者だが、首相は全く信用していないと、首相は又、この原子力プラントのオペレーターである東京電力についても、その数々のトラブル隠蔽の前歴も考慮し、警戒を怠らなかった。
 
カン氏は、このプラントの運転管理者が既に海水を使用し始めていたことを知らなかった。首相官邸の雰囲気を想像して、東京電力はプラントの運転管理者に対し、海水注入をストップする様、命令した。
 
しかし運転管理者は、日本株式会社では信じられない様な事をした。彼は命令に従わず、秘かに海水を使用しつづけた。この決断は、専門家が云うには、ほぼ確実に、より一層深刻なメルトダウンを防ぎ、そしてその事は彼を好まずしてヒーローにした。
 
この複雑極まるドラマは、チェルノブイリ以来の最悪の原子力災害に対し日本がその解決に立ち向かう背後で、根本的な亀裂をさらけ出していた。この事は、遂に原子力プラントの6基の原子炉の内、4基で爆発を起こすという結果を招いてしまった。首相側近、各省官僚、そして電力会社役員これら相互間の疑心暗鬼の関係が、スムーズな意思決定を妨げた。
 
このドラマの核心の所には、「アウトサイダー、カン首相」が居た。彼は迅速な行動の必要性は分かっていた、しかし強力なプラントオペレーター、これに従順な官僚そして彼等に同情的な政治家達、これらの既存の協調システムについての、首相の揺るぎない不信感は、より良い情報に基づいた意思決定をする為に彼が使えるリソースは奪われたも同然であった。
 
嘗ての市民運動家、カン氏はこの原子力危機を統御する為にもがいていた、何故なら彼は、この様な危機に対応する為に前任者達によって確立されたまさにこのメカニズムに依存する事は出来ないと感じていたからである。
 
その代わりに、首相は、最初は、一握りのアドバイザー、それも原子力プラントについて殆んど知らず、プラントのオペレーターや原子力安全委員会、保安院とも辛うじて会話をする程度の狭い世界の、任命されて当惑する様な一握りの方達に助力を求めるに過ぎなかった。

津波によって引き起こされた、人道的な対応を必要とする大災害を処理するのに苦闘しながら、カン首相は、悪化する原子力危機に対しては、その場凌ぎの対応をしていた。
それは、原子力プラントの問題に個人的に介入すべきか、それとも、Tepcoの名前で知られるオペレーター、東京電力に任せておくべきか、この間で行きつ戻りつ迷っている様であった。
 
遅延はあった、何よりも先ず、東京電力から正確な情報を得ていなかった、とカン首相のアドバイザー、マツモト・ケンイチ参与は云う。しかし、とマツモト氏は付け加えた、東京電力や官僚組織に対する首相の不信感は、全般的な対応に障害となった、と。
 
震災発生後の初期段階、この混乱は米国政府を酷く心配させた、日本に対し、もっと決定的なアクションを取る様、そして日米相互の情報共有についてお互いにもっと協力すべきであると、日増しに、益々強く主張してきた。

事態をもっと悪化させたのは、カン氏が当初米国の援助を受け入れることを躊躇した事であった、その内容は、ポンプ車、無人偵察機の提供であり、米国の原子力危機専門家のアドバイスをうけいれることであった。
 
"
我々は負のスパイラルに入っているのが分かった、それは米国との関係を損なっていた"、と当時カン氏の側近として仕えていた国会議員のテラダ・マナブ氏は云う、" 我々はアメリカとの信頼関係を失い、東京電力は官邸との信頼関係を失っていた。"
 
 
経験の不足
 
何人かの支持者でさえ言っている、カン氏は日本の既存の危機管理システムを活用していれば、より早く決然と行動出来たはずだった、と。
 
このシステムは1986年に作られ、その後漸次、官邸に更に一層の対応力を付けるために、日本の歴代内閣によって強化された。ホワイトハウスの危機管理システムをモデルとし、首相のオフィスから階段で、作戦ルームに下りられる様にさえなっている。このシステムでは、首相の直接指揮下で、各省出身の官僚が一箇所に集められている、と1980年代の後半に内閣安全保障室長であったサッサアツユキ氏は云う。
 
批判者も支持者も同じ様に語っている、カン氏の決定はこのシステムを無視し迂回していた、代わりに、これ程の規模の危機に対応するには経験が乏し過ぎるが、仲の良いアドバイザーの小集団に頼る事を選んだ、この事は、一刻も早く、災害が容易ならざる事態にあることを首相が認識し理解することを妨げた。このアドバイザー達は、時々彼等に役に立つ全てのリソースを知りさえもしなかった事がある。
 
一例を上げれば、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム、略称 SPEEDIとして知られた放射能検出全国システムの存在がある。テラダ氏や他のアドバイザー達は、危機の渦中5日目、3/16迄、このシステムの存在を知らなかったと云う。
 
彼等がもっと早くこの存在を知っていれば、SPEEDIの初期の予想図をみて、福島原発からの放射線が北西に吹き流されるのが分かった筈と、批判者の一人だが、カン氏自身の政党に所属するカワウチ・ヒロシ国会議員は云う。カワウチ氏は更に云う、原発周辺の避難した住民の多くは、この辺一帯は冬の間は南向きで風が吹くという仮定で、北に向かって逃げた。この事は住民を放射能の灰の中へ、直接連れて行き、遠退いていた放射線そのものに住民を被曝させる結果になった。
 
カワウチ氏は更に云う、彼がこのSPEEDIを管理する文部科学省で、役人に尋ねた、なぜこの当初の重大な日々に、首相の役に立つ情報を出さなかったのかと、役人は答えた、首相官邸はこれを求めなかった、と。
 
マツモト氏はカン氏について云う、これは感情的な要素の方が強い、首相は官僚達を決して信用しない、と。
 
これは、1990年代の半ば、厚生大臣の時の厳しい経験の遺物である、その時、彼は、H.I.V.で汚染された血液を彼自ら所管する厚生省が使用を認めていたことを暴露して、一躍有名になった、この事が原因で何百人の血友病患者がエイズで死亡したのだが。カン氏は、官僚と製薬会社の職員が汚染された血液について昔から知っていた事を公けにした。
 
カン氏にとっては既存の原子力体制経済産業省の官僚達や従順な学者集団によって煽動された、政治的に結びついた公共事業を伴うこの体制が、この種の共謀癒着の最悪事例を代表するものである、とマツモト氏は云う。
 
 
命令を無視する事
 
海水注入の事例が物語っている。5月末の国会での発言の中で、カン氏は云う、アドバイザー達に、海水注入が再臨界を引き起こすリスクがどの程度あるか、見積るように頼んだ、と。これは燃料貯蔵プールの床上や炉心に横たわる溶けた核燃料で、核分裂が再開する事を云う。カン氏の側近は云う、マダラメ・ハルキ氏、首相官邸における原子力管理者、原子力安全委員会委員長その発生機会は、" ゼロでは無い "と警告した後、皆の懸念は膨らんだという。
 
 
3/12の、津波が襲って約28時間後、東京電力の幹部は作業者に1号原子炉への海水注入を開始する様命令した。しかし東電本社の幹部は21分後に、プラントの管理者ヨシダ・
マサオに対しその作業を中止する様命じた。彼等は首相への東電の連絡役からの説明に頼り切っていた、彼は、首相は海水注入に難色を示している様に見えると報告してきた。
 
"
ええ、それは雰囲気とかムードがそうだった "と東電の副社長、ムトウ・サカエ氏は記者会見でそう説明した。
 
サッサ氏、元内閣安全保障室長は云う、" ムード?それは冗談ですか?ムードに基づいて決断するんですか? " しかし、吉田氏は命令を無視する事を選択した。海水注入は原子炉を冷却する残された唯一の方法であった、そして注入を止めてしまう事は恐らく更に一層シビアなメルトダウンと放射線の放出を引き起こす事を意味した、と専門家は云う。
 
ヨシダ氏は、プラントの管理者として決定する権限を持っていた、と東電の原子力事業本部長代理、マツモト・ジュンイチ氏は云う。実際に、IAEAのガイドラインでは、タイムリーな対応が決定的に重要であるので、技術的な決定はプラントの管理者に委ねられるべきと、明記されている、と原子力事故の専門家でIAEAの事故調査団の一員として来日した、SungKey-yong氏は云う。
 
海水注入中止の命令を無視した事を5月になって明らかにした後、吉田氏はTVのレポーターに自ら、次の様に説明した、”海水注入の中止は、現場の人間にとっては死を意味した”と。
 
吉田氏、56才は、友人によれば、顎の角ばった、酒の強いそして時には粗っぽい喋り方をする正直者だそうである。若い時に剣道の有段者となり、レイモンドチャンドラーの名
セリフを引用し、イタリア料理を作るのを趣味としている。
 
クラスの中でも、教師が適切に説明しない場合、彼自身が納得する迄、頻りに説明を求めていた”と幼少期の友人、ババ・マサノリ氏は云う。
 
吉田氏の率直さはカン氏に強い印象を与えた、カン氏は津波の後、自衛隊のヘリで原発プラントへ出掛けた時に、会っている。二人は、カン氏が、嘗て汚染した血液のスキャンダルを暴露した時に抱いた、このシステムと戦う意志を共有した。同窓生の繋がりが極めて重要な国で、二人は、同じ東京工業大学に通っていた事を知った。
 
一日か二日後で、カン氏は、" 東京電力の中で吉田だけが信頼出来る唯一の男だ "と言ったと、アドバイザー松本氏は云う。
 
先週、東京電力は吉田氏に対し、命令違反について口頭注意と云う最も軽い処罰を与えた。
 
不信と怒り
 
カン氏の批判者も支持者も同じ様に、東京電力への彼の疑念は正しい根拠に基づいていた、と云う。3/11大災害の後、初期段階では、東電は、原発プラントの危機的状況を過小評価させようとして、首相官邸との情報共有をほんの限られたものにした、と云う。
 
東電は、このNYTの新聞記事の作成に原子力本部長代理を協力させることを断ってきた。松本氏、この本部長代理、は記者会見で東電は、出来るだけ多くの情報を提供したと云う。
彼は、カン氏の東電への報道されている信頼の欠如について、コメントすることを拒否した。
 
まだ、カン政府は、本質的にこの厳しい当初の3日間は原子力危機への対応を東電に任せ、代わりに何十万の、被災して家も流された避難民の救済努力に集中していた、とテラダ
氏や他の側近が云う。
それから3/14になり、原発プラントの状況の重大さは、2度目の爆発、今回は3号原子炉、そしてその日の夜、東電の社長、シミズマサタカ氏からの吃驚仰天するような要請で、明らかになった、;東京電力は、原発プラントが居続けるには危険すぎる状況になったので、プラントからは作業者を撤退させることを認めて欲しいと。
 
カン氏はこれを聞いて、激怒したと、居合わせた側近やアドバイザーは云う。原発プラントを放棄すると云うことは、4基の被災した原子炉の制御が出来なくなることを意味し、翌日には、残りの稼働中の原子炉、2号機と4号機で爆発が起きると。
 
冗談じゃ無い側近によれば、首相は大声で喚いた。
 
側近によれば、カン氏は原子炉を救済するためにはこの後何をしたら良いのか、アドバイザー達に尋ねるため、3/15朝早く緊急会議を招集すると言った。それからカン氏は東電に、僅か2時間の事前予告で、東電本社の訪問を計画した。
 
午前5:30、カン氏は東電本社に乗り込み、彼の最も信頼する側近の一人、ホソノ・ゴオシ氏を、この会社のお目付役として現場に配置した。
 
カン氏は5分間の即席の激励演説を始めた、と側近の寺田氏は云う。
 
原発プラントからの撤退は、問題外だとカン氏は彼等に言った。
 
アドバイザー達は云う、東電本社に細野氏を常駐させた事がターニングポイントであった、それにより、プラントのダメージコントロールの努力を現場に対し、首相が直接働き掛けることが出来る様になった。
初めて、東電が何を議論しているかが分かり、彼等が何を知っているかが分かった、と一人のアドバイザー、身元を明かさない様頼んできたが、が云う。
 
しかしながら、この一連の動きは余りに遅きに失した、とカン氏の支持者でさえも、認めている。
 
我々はもっと早く動くべきであった”とカン氏のアドバイザーで東京工大の原子力工学教授、アリトミ・マサノリ氏は云う。更にアリトミ氏は云う、細野氏が東電本社に常駐していても、この会社、東電は4基の稼働中の原子炉の内、3基がメルトダウンしていたと云う最終確認を含めて、5月中旬迄重大な情報をずっと開示しなかった、と。
 
同盟国との緊張関係
 
情報の少なく乏しい流れとその場凌ぎの意思決定も又、日本の米国との関係に緊張を齎した、米国は約5万人の軍人を日本に常駐させている。
 
日本は、津波の犠牲者を助けたいと云う米軍の申し入れは間髪を入れず受け入れる一方では、原発事故については、少なくとも発生当初、米国からの支援や協力の申し出を断り、正確な情報を出さず、誤解を招く様な対応に終始した。少なくともワシントンの関係者の間でこの様な受け止められ方をしたのは事実で、一時は日米同盟の危機とも云える事態が出現したと前防衛政務官、ナガシマ・アキヒサ氏は云う。
 
地震発生後48時間以内で、米国NRCの担当官が東京に到着した。しかし、彼等は情報はおろか、日本側の担当官とのミーテイングも設営出来なかった。その内に、ワシントンは確信した、東京が原発プラントのダメージを過小評価していると。米国の方は、福島第一原発の周辺に無人偵察機グローバルホークを周回させ、普段は北朝鮮の原子力実験をモニターする衛星から収集された情報を元に判断している、とアメリカ高官、名前は明かされなかったが、が云う。
 
この高官によると、オバマ政権は、”カン政府に対し、もっと多くの情報を共有する為に、圧力をかける決定をした。
3/16、米国の高官達は、ルース駐日大使を含めて、彼等の日本側の担当部門に対し、米国は米国市民に対し福島原発の周囲50マイル以内から撤退する様に勧める事を通告した、その時の日本側が設定した自発的避難エリア、18マイルを遥かに上回っていた。
 
米国人達も、それぞれの拠点において、普通の人達が思い思いに避難を始めた、そしてこのアメリカの高官やテラダ氏を含む日本の高官達によると、東京がもっと情報を出さなければ、米国はもっと思い切った手段、それも幾つかの最重要部隊を引っこ抜いて移動させるとか、を取ることを仄めかした。
 
ワシントンや、益々不安を募らせている日本の大衆に精一杯の努力が成されていることを見せる為、カン氏は自衛隊のヘリに、上空から原子炉に向けて水を落下させた、テラダ氏や他の日本のアドバイザー達によると、この行動は、原子炉の冷却効果は限定的でしかないことは皆知っていたと。3/17、TVのライブで見ると、強い風の為、水がコースから大きく外れたが、ヘリが空中から水を落下させていた。
 
それでも、カン氏はオバマ大統領に電話をし、散水作戦は成功したと伝えた、とテラダ氏は云う。ワシントンではその日遅くに、オバマ氏が日本大使館を訪問し、哀悼の意を表して記帳した、ーこれは首相官邸では、米国大統領によるサポートの合図を表す仕草と見られた。
 
ナガシマ氏は云う、情報がより良く提供されるべきという米国の要求は、最終的には日本自身の対応を改善した、と。3/20、ナガシマ氏はカン氏に、米国と日本の当局者合同の定例会議を毎日招集し、原子力事故に対し情報を付き合わせ、対応を協議する様に提案した。
 
1日遅れて、一回目の会議が首相官邸で行われた。ナガシマ氏によると、この会議は1時間半続いた、参加者は通常は約50人、メンバーは米国NRC、米国大使館、米軍の当局者達、そして日本側からはより多くのグループ、政治リーダー、5省庁、原子力機関、東京電力などから成るという。この会議は、ホソノ氏によって仕切られていた、そのときには彼は、原子力事故への対応については首相の先兵となっていた。
 
長島氏によると、米国関係者が到着する前に起きていた事が遥かに重要であった、という。日本側関係者は1時間前に集合し、事態のその後の展開を議論し、米国側に伝えるべき事を集約した。長島氏は云う、この会議は、福島クライシスが起きて以来始めて、議題を提示する政治家と関係各省庁、東電の関係者を1箇所に集めたものとなった。
 
"
日本側は、同じ部屋に関係者全てを集める必要があった "ナガシマ氏は云う、" 米国の苛立ちは、日本がこの災害管理体制を改善する良い機会となった "

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