世界/日本リーダーパワー史(896)-『明治150年、日本興亡史を勉強する』★『明治裏面史―明治30年代までは「西郷兄弟時代」が続いた。』★『その藩閥政権の縁の下の力持ちが西郷従道で明治大発展の要石となった』★『器が小さいと、とかく批判される安倍首相は小西郷の底抜けの大度量を見よ』
2018/03/24
明治裏面史―明治30年代までは「西郷兄弟時代」
『明治藩閥政権の縁の下の力持ちが西郷従道が
明治大発展の要石となった。
「西郷どん」の話を続ける。明治維新を達成した「維新三傑」の西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允は西南戦争の結果、1877年(明治10)9月に西郷は自刃し、その後、大久保は西郷派に暗殺され、木戸も病死して、一斉に歴史の舞台から姿を消した。
この後は伊藤博文、山県有朋、大隈重信らの時代となり明治18年に太政官制は廃止し内閣制度を実施、初代総理大臣には「英語ができる」伊藤に決まり、続いて2代は黒田清隆、3代は山県有朋、松方正義と薩長藩閥政権のたらい回しが続いた。
この結果、明治11年に25歳で文部卿になり、以後、陸軍卿、文部卿、農商務卿、内務大臣三回、海軍大臣七回、陸軍大臣(兼務)一回、農商務大臣(兼務)一回と「何でも大臣」となって歴任し、通算20年以上にわたって明治政府の要石となりながら総理大臣だけは「おいどんはその器にあらず」と固辞して決して受けなかった不思議な人物がいる。
それが、西郷隆盛と15歳も年の離れた弟の信吾(従道)である。
内閣制度130年の歴史の中で空前絶後の政治家といえよう。
坂本竜馬は「西郷は馬鹿である。その馬鹿の幅がどれほど大きいかわからん」と評したが、その隆盛は「大馬鹿者の信吾」と人には紹介していたというから兄弟そろってけた外れの巨人ぶりをうかがえる。
横山健堂著『大西郷兄弟』(宮越太陽堂書房、1944年刊)には抱腹絶倒のエピソードの数々が語られている。
従道は大西郷と同じく馬鹿なのか、利口なのか、ぼうようとして捕えがたい、どこが偉いかわからないが、徳望、人望は底なしの大物で、天真欄漫、何でも「ヨカ、ヨカ」とのみ込んでしまう。薩長の派閥人事で推されれば陸軍中将から海軍大臣へ、さらに軍艦を知らない海軍大将になって、ふたたび陸軍には戻らない。
文部卿に就任したとき、なにを聞かれても、「私は文部卿でなくて、文盲卿でござる」といって、腹をかかえて笑っていた。
次に農商務大臣を兼務した際、次官に「わしは農業や商売のことは、まるでわからんから、あんたの一存で、なんでもドンドンやって下さい」とハンコをあずけ、本省に全く出てこなかった。
かと思えば山県有朋から頼まれれば、元帥なのに格下の内務大臣ポストにも平然と座る。その内務大臣時代、部下からなにを問われても可否を答えず、最後に「なるほど」というだけなので「なるほど大臣」の異名をとった。
「聞き上手」の従道は黙って部下の意見は聞く耳を持っていたが、自分が正しいと思う結論は人の意見に左右されず敢然と下した。それでも、人の恨みを買わなかったのは人に好かれる愛嬌のある性格だったからだ。
明治初年ヨーロッパを歴遊し、ロシアで皇帝アレキサンドリアに謁見したとき、皇帝は「日本の軍人は、平生なにを好むか」と問うた。西郷は平然として「やはりそれは、酒と女であります」と答え、ロシア大官たちを面食らわせた。
板垣退助が風俗改良運動のため同気倶楽部を創立し、西郷を総裁に迎えた。
二人は全国を遊説して回ったが、その懇親会で西郷はなにも語らず、「その代り、座興をお目にかけよう」といきなり服を脱いで、裸踊りをやりだした。驚いた板垣は「これでは風俗改良の目的が風俗壊乱でぶちこわしになる」と怒って、即座に西郷総裁を首にした。
桂太郎首班のもとで山本権兵衛(薩摩出身)を海軍大臣にしようとしたが、山本は桂の風下に立つのは嫌だと、首をタテに振らない。これを聞いた西郷は、山本に「あんたが嫌なら、おいどんがやりもうそう」と言った。西郷は山本を抜擢した大先輩なのだ。こうして、山本は海軍大臣を引き受けないわけにはいかなくなったという。(池辺三山『明治維新三大政治家』中公文庫、2005年)
そんな西郷従道について、大隈重信は「一口にいうと、貧乏徳利のような人物だ。あの素朴な風貌で、なんでもござれと引きうける。貧乏徳利は、酒でも、酢でも、醤油でも、なにを入れても、ちゃんと納まるからな」と評した。
西欧列強のアジア侵略の嵐の中で、明治政府の日本丸がなんとか沈没をまぬがれ、みごとに荒波を乗り切れたのは、歴代政権内で接着材となり、要石となった西郷の存在が何といっても大きかった。
西郷は清濁併せのむ大度量と卓越したリーダーシップで派閥を超えて陸海軍に優秀な人材、俊英を集めて、自由自在にその腕を発揮させて日清、日露戦争勝利の方程式を組み立て、成功させた。
大西郷が徳川幕府を倒して明治維新を達成し、明治10年までに君臨し、その後の20年間は小西郷が明治政府の縁の下の力持ちとして明治発展の原動力となったのである。その意味で幕末から維新、明治30年代までは「西郷兄弟時代」といっても、誤りではなかろう。
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