前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

<わが『釣りバカ』が大好きな超人・奇人たち>「開高健が尊敬したコスモポリタン・釣聖の福田蘭童のビッグフィッシュ!」

   

<わが大好きな超人・奇人たち>
「開高健が尊敬したコスモポリタン・釣聖の福田蘭童
(ふくだ・らんどう)のビッグフィッシュ!」
             
 前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
NHKBSプレニアム9/22、23日『釣って生きて食べたー開高健の世界①②』は感動したな。オレの青春時代に熱読した1人は開高さんやね。あの饒舌さと国際的な行動力、釣­りマニア、冒険野郎、食道楽の関西漫才ジヨークはすべて気にいぅた、全くたまらん。彼の本は全部、初版を買い集めたで。「プレイボーイ」連載の「オーパ」などはタカラモノ­のように包装紙にきれいに包んで、神棚にかざったものよ。カナダのキャンべルリバー
にまでキングサーモン釣りに
2回も出かけたもんよ。やっと、1匹だけ7キロほどの小物を釣ったけどね。


いま、ワシも開高釣聖より10歳以上も生き恥をさらしているが、彼と同じ時期に現れた戦後の思想家、文学者でワシの好きだった小田まこと、大江健三郎、石原慎太郎、吉本隆­明らも、死んだり、年とって、もうろくしてまいよたが、開高がこの中では群をぬいとるな。

そして、この先生が福田 蘭童だね。わしは福田 蘭童も大好きだね。子供の自分に彼の「笛吹童子」「紅孔雀」などの曲が頭にしっかり焼きついておる。
この懐メロリズムが流れると、涙が出てくるよ。福田 蘭童は昭和の初めに世界を釣り歩いた、尺八をもって漂泊し、食べ歩いたコスモポリタン、世界的な釣り人で、開高さんの先生だね。
 
 
『ウィキペディア(Wikipedia)』になどによると、福田蘭童(ふくだ らんどう、
1905、5-1976、10)は
 
――音楽家。本名は石渡幸彦(さちひこ)。父は夭折の天才画家・青木繁の息子で、後のクレージーキャッツのメンバーの石橋エータロ―の父である。2歳で父と生別。尺八、ピアノ、バイオリンをまなび,のち作曲を手がける。

奏者と同時に作曲家としても活躍した。昭和20、30年代のNHKのラジオ番組「新諸国物語・笛吹き童子」のオープニングテーマ及び劇中曲を手がけるなど、ラジオ草創期においてその才能を発揮した。またわしが評価するのは、随筆の名手で、無類の趣味人として聞こえ、数多くの料理や釣りの本も出し、世界中を旅行した国際人であった。当時の多くの作家や映画人、芸能人と幅広く交際し数々のエピソードをのこしている点じゃな。

彼のようなオールラウンドのスケールの大きい趣味人、プロフェッショナル、そしてたくさんの友人をもぅて、その間をつないだコミュニケーションの天才はいないと思う。
私は彼の釣りエッセイーの大の愛読者で、長年、神田の古本屋で探し求めて、ほぼ買い集めたよ。
 
その釣り話は珍談、奇談で無類に面白いね、『福田 蘭童 わが釣魚伝』(二見書房 昭和51年)を読むと、釣りはまさしく、日本人のハンティングなんだとわかるね。
 
 

 
 
蘭堂の釣り話① 吉川英治に11キロの巨マダイを釣りあげる
 
太平洋戦争中のこと。
青山の作家の吉川英治さんをたずねてみると
「弱ったなア、せがれの誕生日がくるのに、オカシラつきの魚が手にはいらないんだ」と、嘆いていた。「釣ってきてあげますよ、大ダイをネ」
あくる日、さっそく伊豆の網代へいった。近くの小川で小エビをすくい、乗りつけの機械船に乗りこんだ。八時ごろ。三十分ほどして初島手前のサバ根に到着した。底に岩や藻が生えている場所。テソヤの仕掛けに、小エビを二尾刺しにして糸を出した。根にとられぬようにハリを上下に操っていると、道糸が動かなくなった。地球を釣ってしまったかと思った。五分間ほどして糸が切れたかと思った瞬間、スーヅと糸が引きこまれた。魚、しかもデカイゾ。岩穴へもぐられぬよう用心しじわじわとあげると、下へ引くようすが手のうちに伝わってきた。
「タ、イだ。大ダイだヅ」と船頭が叫ぶ。なかなかあがらない。四十分ほどたっただろうか、五十メートルほどたぐり寄せると軽くなった。糸を切られても、もう心配はない。水圧の関係で、魚の目玉とバラワタがとびだし、ほっといても自然と浮上するからである。しばらくすると、水中に青白いものが見えた。間違いなくタイだ。九十センチ、十一キロもあるマダィだった。タイの頭にクギを打ちこみ、血を抜いてから、また釣りをはじめた。また大きなのがかか
大ダイはカゴにはいらぬので、コモに包んで吉川邸に持ちこんだ。さっそく魚拓をとった。吉川氏はその余白に「神代今、人に見劣る桜かな」と書き「蘭童君我が豚児の為にこれを釣る。よってこの書を与う」と讃をした。
しかしそれを切る大きな出刃包丁がないので、隣から包丁をかりてきて、わたしが刺身を作った。四十人分の刺身ができた。
タイのオカシラを皿にのせて吉川氏の長男の英明君の前へ出したが、その坊やの頭よりもタイの頭のほうがはるかに大きかった。
 
 
蘭堂の釣り話② 幸田露伴は純金の鈴でスズキ釣り、スゲー!
 
 
 小説家の露伴は釣名人としても知られていた。ひのき作りの自前のつり船を利根川河口の船宿にあずけておき、仕事のあいまをみてはボラやハゼを釣り、夏から秋にかけてはスズキの夜釣りにでかけていき、船べりに竿をならべては酒を飲む。しかも魚信をきくための竿先の鈴は純金で作らせていたという。つまり、ごろ寝しながら釣の音を待ったあげく、つり竿をはじめて持つといった風流で優雅なつり方をする作家として、わたしたち釣りキチのあいだで評判に
なっていたのである。
「ぼくだって、一生に一度ぐらいは金の鈴を使ってスズキのえら洗いを見たいもんだ」佐藤惣之助はため息を吐いた。
 
蘭堂の釣り話③ 巨大イトウ1メートルを仕留める
 
 
これも太平洋戦争中の昭和17年ごろの話らしい。蘭堂は劇団を組織して陸海の傷病兵を慰問した。団員は四十人ほどだったが、本州、四国、九州、北海道はむろんのこと、朝鮮や満州へも出かけていった。むろん、余暇を見ては
釣りをした。印象に残っているのは北海道でのイトウ釣りであった。淡水にすみ、一メートルにも育つ魚である。体はサケに似て頭はボラだ。アイヌはこれをオへラベと呼んでいた。
 わたしは函館本線の蘭越駅で下車し、尻別川へ釣りにいった。先頭のものが石油カンをたたきながら進んでいった。クマの襲来を防ぐためである。竿は腰の強い三メートルもので、先糸に人造テグスを用い、ハリスはタイ釣り用の本テグスだった。ハリにドジョウを二尾がけにして、急流から淵へと誘導した。とたん、グーッときて下流へ非常な力で引いていった。そこでリールを丹念に操作しながら魚の疲労を待った。やがてイトウは白い腹を見せて岸へ寄ってきた。できるだけ浅場へ引きよせると、石油カンをたたいていた案内人が、腰に差していたナタをつかんで、イトウの頭をミネ打ちした。そして釣をエラブタにさしこんで引きあげた。一メートルに近い大物だった。わたしの手のふるえがしばらくとまらなかった。

もっとも印象に強く残るのは朝鮮でのスズキ釣りであった。場所は朝鮮南端の木浦(モッポ)の海岸であった。木浦海岸は岩山つづきであり、瀬戸内海と同じように潮の干満の差がはげしいのである。
ある夜、わたしは舟をやとってスズキ釣りに出た。竿は一メートルほどで、エサは生エビであった。岩間を縫っていくとすぐにトンときた。すかさず合わせてゴボウ抜きにした。水面でエラ洗いをされると、逃げられる心配があるからだ。懐中電灯をつけてみると、四キロ以上のものがかかっていた。その夜は入れ食いだった。夜が明けるまでに三十本も釣れてしまったのである。
 
 
 

 
蘭堂の釣り話④ そして釣弟子の開高がアラスカに行くと話
 
わが三漁洞には釣りに関係ある客が多い。『私の釣魚大全』を出した作家の開高健さんもその一人であって、その著書の中の、〝根釧原野で幻の魚を二匹釣ること〃の項を引用すると、三年かかってやっと一本あげたとか、五年かよってまだ顔を見たことがないというような話をたっぷり聞かされた。天才、福田蘭童氏にも釣れなかったし、魚聖、緒方昇氏にも釣れなかった。佐々木さんの案内で両氏は原野に挑んだのだったが、ついに歯を噛み鳴らして引揚げていったとのこと……。と、書いてある。
 
 ある夜、おそくなってから開高さんが三漁洞へあらわれた。座敷へあがるなり釣談義ぶちまけた。避妊用のゴムサックをいっぱいひろげ、ふくらませたからである。
「アラスカの釣場と、このコンドームの使いかたを教えてもらいにきたんだが……」「アラスカにはサケとパイクのいい釣場がたくさんあるけど、日航機でもエール・フランスでもアンカレッジからは直接入れない。アラスカからグリーンランドへ行ってみたいと思うんだが……」
「そいつは無理だ。ホテルがないし、アラスカからでは遠い。カナダのニューファンドランド島からなら船が出ているし、海軍基地の兵舎で泊めてくれる……」
 
と話し尽きず、「どうしてコンドームのゴムがいいの」
「今まで見たことがない餌なので、ゴムの端をちょっとくわえてみる。するとゴムは弾力があるのでスウーッと伸びる。魚はびっくりして放すが、ひらひらと逃げていくものを逃がすかとびつき、こんどはハリが口深くささる。」
「犬だって逃げるととびつくだろう。人間だってそうじゃないか。すえ膳をしてくれた女には魅力はないが、逃げようとする女には未練がわいてあとを追う。つまり魚も同じなんだ」
 
開高先生は「いいこときいた。さっそくあちらで試してみよう……」と釣聖人に頭をさげあというわけよ。これがアラスカの巨大ハリバットにまで行った動機じゃな。
 
 

 - 人物研究 , , , , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『鎌倉釣りバカ人生30年/回想動画録』㉒★『コロナパニックなど吹き飛ばせ』★『10年前の鎌倉沖は豊饒の海だった』★『百歳・生涯現役・超人カヌーイストへの道-鎌倉海で「海上禅」の寒中修業・ブルブル!の巻―』

    2011/12/18 &nbsp …

no image
◎「世界が尊敬した日本人―「司法の正義と人権擁護に 生涯をかけた正木ひろし弁護士をしのんで②」

   ◎「世界が尊敬した日本人―「司法の正義と人権擁護に 生 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(247)/『国家予算、軍事力とも約10倍のロシアに対して日露戦争開戦に踏み切った児玉源太郎参謀次長の決断力』★『ロシアと戦ってきっと勝つとは断言できないが、勝つ方法はある』◎『国破れて何の山河じゃ。ロシアの無法に譲歩すると国民は必ず萎縮し、中国、インドと同じ運命に苦しみ、アジアは白人の靴で蹂躙され、植民地からの脱却は何百年も先となるぞ』

       2017/05/27日本リ …

no image
日本一の「徳川時代日本史」授業③福沢諭吉の語る「中津藩で体験した封建日本の差別構造」(旧藩情)を読み解く③

  日本一の「徳川時代の日本史」授業③   「門閥制度は親の …

no image
★(まとめ記事再録)『現代史の重要復習問題』日本敗戦史(41)『太平洋戦争の引き金を引いた山本五十六のインテリジェンス』★『日本敗戦史(43)「終戦」という名の『無条件降伏(全面敗戦)』の内幕—<ガラパゴス日本の『死に至る病』①』

★(まとめ記事再録)『現代史の復習問題』 ★『ガラパゴス国家・日本敗戦史④』 & …

知的巨人たちの百歳学(172)記事再録/「みんなで『百歳学入門』へ・超高齢社会を元気に長生きする『長寿脳』を鍛えるために』★『『定年なし、年齢差別なし、老人観の全く違う米国では65~74歳はベビーオールド(赤ちゃん老人)、75~84歳まではリトルオールド(小さい老人)、84~94歳はヤングオールド(若い年寄り)、95歳以上がリアルオールド(真の高齢者)』』

  2009/06/06 /みんなで『百歳学入門』へ &nb …

no image
日本リーダーパワー史(519)『杉山茂丸の国難突破力に学ぶ」➂「 22歳の杉山と45歳の元老黒田清隆のスピーチの決闘」

  日本リーダーパワー史(519)   『「明治大 …

no image
昭和外交史①大日本帝国最期の日①(03,10)

1 昭和外交史① 日本で最も長い日 1945年8月15日の攻防 ―――<和平か、 …

no image
百歳学入門(173)-『生死一如』★『百歳天女からの心に響くメッセージ』―60,70/洟垂れ娘への応援歌」★『108歳 蟹江ぎん、107歳きんギネス長寿姉妹』★『「人間、大事なのは気力ですよ。自分から何かをする意欲を持っこと」』★『悲しいことやつらいことをいつまでも引きづらない。クヨクヨしないことよ。』

 百歳学入門(172)-『生死一如』 『百歳天女からの心に響くメッセージ』―60 …

no image
  日本メルトダウン( 971)トランプ次期大統領誕生ー日本大ショック!「ピンチをチャンスにせよ」ーこれまでの米国他力本願から、 独立自尊、自力本願行動力で逆境を突破せよ

   日本メルトダウン( 971) トランプ次期大統領誕生ー日本大ショック、 「 …