明治150年「戦略思想不在の歴史⒀」―『明治維新を点火した草莽の革命家・吉田松陰』★『「人に士農工商あり。農工商は国の三宝。武士は国の寄生虫なり。厚禄をはみ、おごりたかぶるはもってのほか』●『内政は貧院(生活保護)病院、幼院(孤児・保育)を設けて、上を損じ、下を益すにあり』
2017/12/01
明治維新を点火した草莽の革命家・吉田松陰
今から150年前のこと、
「人に士農工商あり。農工商は国の三宝。武士は国の寄生虫はなり。厚禄をはみ、おごりたかぶるはもってのほか」
「内政は貧院(生活保護)、病院、幼院(孤児・保育)を設けて、上を損じ、下を益すにあり」
「外政は鎖国より国際貿易を推進し、民富、国力をこやせ」―など。
今でもりっぱに通用するこの民主主義の理念と開国論を唱えたのが、草莽崛起(そうもうくっき)=志を持った在野の人々が一斉にたちあがり、大きな物事を成し遂げることの意味)の人・吉田松陰である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%9D%BE%E9%99%B0
吉田松陰は「天朝も幕府も藩もいらぬ。ただ、6尺のわが身のみ」と「炎の革命家」に変身して国禁を破りアメリカ密航を企てわずか30歳で刑死した。
明治維新に最初に火をつけたのは坂本竜馬、西郷隆盛らとともに吉田松陰その人である。
吉田松陰についての最初の伝記は英国で出版された。「宝島」(1883年)を書いた英国の文豪・ロバート・スティーヴンソン(1850-1894)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3
は明治11年頃、英国に出張中の松陰の弟子・正木退蔵から話を聞いて感激して”Yoshida Trajiro”を著し「これは英雄的な一個人の話であるとともに、英雄的な一国民の話だ。このような広大な志を抱いた人々と同時代に生きてきたことは実に歓ばしい」と激賞した。
ところが、日本での松陰の評価ほど変化したものはない。昭和戦前までは尊王攘夷の志士、天皇崇拝主義者、太平洋戦争中は忠君愛国、殉国の烈士として英雄賛美され、戦後は全面否定され、その後、至誠の教育者、民主主義者として再び評価されるなど2転3転した。
松陰の実像はどこにあるのか。
天保元年(1830)8月、山口県萩の半農の下級武士の子に生まれた松陰は早熟の天才で、兵法学を学び11歳で藩主に講義するまでになる。世は幕末の乱世。列強のアジア進出と外国船襲来に危機感をもった松陰は20歳のころから海防と兵学、海外事情の研究に熱中し、九州から江戸、東北までくまなく旅して、国事に奔走した
安政元年(1854)3月、24歳で、ペリーの再来航にあわせて小舟で米艦への乗り込みアメリカ渡航を懇願するが、拒否される。
下獄、幽囚されこと5年半に及び、刑死することになるが、その疾風怒涛の思想的営為はこのわずかな間に獄中から生れた。
フランス革命https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E9%9D%A9%E5%91%BD
がバスティーユの監獄から生まれたように、獄中での必死の思索と苦悶の果てに尊王攘夷から人民民主主義者、革命家に生まれ変わった松蔭の変革への情念が明治維新への扉を開き、日本を「チェンジ」したのである。
松陰は膨大な著作を残したが、それは日記、書簡、孟子講読などの断片的な思想的な萌芽といってよい文章で、体系的なものではない。
ただ、そこには烈々たる気迫と変革への情熱と誠志がみなぎっている。松蔭の真骨頂は思索の人である以上に知行一致の実践の徒であり、有言実行の人、二一回猛士を自称したように、何度失敗してもやる烈士(革命家)なのである。言葉だけの武士、政治家、学者を最も軽蔑していた。
それだからこそ、わずか2年ほどの「松下村塾」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%B8%8B%E6%9D%91%E5%A1%BE
での教育で門弟・高杉晋作、久坂玄瑞らを筆頭に伊藤博文、山県有朋ら約30人の少年隊に革命精神を吹き込み、それが革命隊となって長州藩を動かし、怒涛となって明治維新を実現したといえる。
野山獄で76歳の重罪人を筆頭に11人の囚人をわずか8ヵ月ほどで真人間に生き返らせたその教育力、人格感化力は「一誠 兆人を感じせむ」(精神は万人を動かす)というように驚異的であり、超人的でさえある。
結局、伊藤、山県らが牛耳った明治藩閥政府は偉大な師の実像を歪めて皇国史観に利用したのである。
松蔭はその「至誠の人格」から密航の罪を認め、その上、バカ正直に幕府の大官暗殺計画まで幕府役人に打ち明けたためついに死罪を申し渡された。
関連記事
-
-
日本の〝怪物″杉山茂丸(すぎやま・しげまる)(一八六四~一九三五)
1 日本の〝怪物″杉山茂丸(すぎやま・しげまる)(一八六四~一九三五 …
-
-
『日本の運命を分けた<三国干渉>にどう対応したか、戦略的外交の研究講座⑩』★『「申報」(清国紙)からみた「日中韓150年戦争史」(65)『(日清戦争開戦2ヵ月後―「憤言」ちっぽけな倭奴(日本)をなぜ撃滅できないのか』★『ああ,まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。中国の20余省の人民.100万にも1000万にものぼる資産,200万余りの兵力をもってして.ちっぽけな倭奴(日本人)』
逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/11/11am700) 2014/09/2 …
-
-
終戦70年・日本敗戦史(130)「中国統一(北伐の動き)の満州への波及を恐れた関東軍が張作霖爆殺事件を起こした(昭和3年)
終戦70年・日本敗戦史(130) <世田谷市民大学2015> 戦後70年 7月 …
-
-
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑳ 『日本帝国最後の日(1945年8月15日)をめぐる死闘―終戦和平か、徹底抗戦か⑤』8月13日の首相官邸地下壕
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑳ 『日本の最も長い日―日本帝国最後の …
-
-
NHK歴史大河ドラマを見ると歴史の真実はわからない『福沢諭吉が語る「サムライの真実とは・・」(旧藩事情)②
NHK歴史大河ドラマを見る …
-
-
『百歳学入門』(210)-再録『白銀に描く100年の夢のシュプール/100歳でロッキー山脈を滑った生涯現役スキーヤー・三浦敬三氏は三浦雄一郎の父』★『「世界一のスキー・ファミリー」の 驚異の 長寿健康実践法とは・』
2015/03/29「百歳・生涯現役学入門」(108) 息子に受け継がれた10 …
-
-
F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ㊻』余りにスローモーで、真実にたいする不誠実な態度こそ「死に至る日本病」
2014/03/21 記事再録 …
-
-
日本経営巨人伝⑧朝吹英二ーー三井のリーダーで鐘淵紡績の生みの親・朝吹英二
日本経営巨人伝⑧朝吹英二 三井のリーダーで鐘淵紡績の生みの親・朝吹 …
-
-
歴史秘話「上野の西郷さんの銅像はこうして作った」「西郷さんと愛犬」の真相ー彫刻家・高村光雲が語る。
逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/10/28 /am1100) 2015/0 …
