日本リーダーパワー史(216)「坂の上の雲」③秋山真之の師事したマハンの『日本海海戦の講評』(英タイムズ掲載)
2015/01/01
日本リーダーパワー史(216)
<『英タイムズ』が報道した「坂の上の雲」③
「NHKスペシャルドラマ 坂の上の雲」は、シリーズ最後の第3部の放送が、12月4日からいよいよ始まる。150年前に鎖国から目をさまし国際社会にデビューしたアジアの貧乏小島国日本は明治のトップリーダーたちの「富国強兵」「殖産振興」という「国家戦略」「国家プロジェクト」の見事な遂行によって、日露戦争勝利という20世紀の奇跡を起こしたのである。
いま、明治の発展の逆コースの「雲の下の坂」を転落して「日本沈没」に向かっているが、この「坂の上の雲」で示された日本人の叡智と勇気と献身をもう一度、振り返り、沈没を食い止める第3の奇跡を起こさねばならない。
明治の日本人の自画像―5代前のわれわれの祖先の姿を欧米はどう見ていたのか。当時の『英タイムズ』が報道した「坂の上の雲」の実像を見ていくことにする
前坂 俊之(ジャーナリスト)
秋山真之がワシントンで師事した海軍大学校校長、軍事思想家
マハンの『日本海海戦の講評』『タイムズ』(1905年6月15日付)
マハンの『日本海海戦の講評』『タイムズ』(1905年6月15日付)
今からちょうど1週間前に始まった海戦は,勝者の提督によって日本海海戦と命名された。歴史はむろんこの呼称を受け入れるはずであり,またそれによって戦勝国側の武勇と技量は不朽の名誉を付与されることになろう。
電報による情報は入っているものの事後まもないことから、その詳細を完全かつ正確に確認することはできず、またそれなくしては,どんな批評も断定的結論も下すわけにはいかない。せいぜい・それでも試みてよいことは暫定的推論を示すことだ
が,その主たる意義は今後しばらくの間続けて入ってくるはずの公式・非公式の報告を綿密に調べる際の注意と判断の指針となることにある。
今後の世界の歴史に与える影響という意味で,こうした戦いの最も重要な結果は政治的帰結にあるが.それとは別にしばらく前から評価され,話題になっているように,この戦いにはすべての大国の今後の海軍政策に必ず影響を及ぼすきわめて重大な経験がかかっていた。
要約すれば,決定すべき要件の中で主たるものは,大砲と魚雷および戦艦と厳密な意味での魚雷攻撃艦艇との相対的価値だった。1年前,私がニューヨークのサン紙上でも指摘したように,これらは別個の問題だ。最初のものは,2つの武器に関するもので,この場合,それを装備している艦船は考慮されない。第2のものは,正確に言うなら,大きな意味で制海権の掌握を目的とする海上作戦のためには,大鑑と小艦のどちらがふさわしいかという問題である。
日本海海戦に学ぶべき教訓を考察するにあたり,われわれはたとえ国民感情を害する危険を冒してでも,敵対する両艦隊の能力が互角ではなかったことを明言しておく必要があるだろう。ロシア軍が劣勢にあったことについては,しかるべき理由があるはずだが,これはいずれ明らかになってこよう。
しかし,事実は事実であり,それによって,あらゆる推論は必然的に修正され,
肉づけされることになる。まず何より,私の意見では,日本の提督の行動に注目を向けざるを得ない。・1年間にわたるさまざまな状況下での実戦を経ることによって,その持前の手腕や健全な判断力が証明され.磨きがかけられた結果,今や彼の采配には,海戦の各分野に開かれた真の可能性を,現時点ではだれよりも深く正確にくみ取ることのできる海軍士官の確信がうかがえる。
その確信はまた,配下の将兵の用いる兵器によって達成し得る,あるいは実際に達成された成果の知識にも支えられているのだが,事実,そうした高度に訓練された有能な将兵には,世界中の称賛が集まっている。という次第で,この大海戦でとられた方法は,決して先験的な推論にのみ基づいたものではない。戦争と天候の厳しい諸条件のもとで獲得した水雷や大砲,戦艦や水雷艇などの威力に関する幅広い知識をもとにしたものであり,そうした知識は通常,単な
る理論のみならず,平時や夏の演習の際に行われる実戦訓練をも大幅に修正することになるのだ。
こうして引き出され,鍛錬され活気づけられた知識は,東郷の行動に独自の重みを添えているが,それに加えて,ロシアの司令長官が彼に主導権を渡したために,彼は自らの艦隊の能力に見合った最善と思える方法を自由にとり得た,という事実も見逃すことはできない。日本の艦艇の速力がまさっていたという事実も,そうした有利な展開を招く要因となったと言えよう。
速力でまさる艦隊が有利な位置を占めることになるのは当然であり,東郷はおそらく最初からその点を計算に入れていたはずだ。したがって彼の行動は,彼の成熱した確信を反映したものと見なし得るのであり,それ自体が海軍の諸問題の解決に少なからず寄与するものと言えよう。
ここで歴史にちなんだきわめて短い余談を許していただきたい。それは東郷のとった行動に関するもので,新聞の至急電によって伝えられた,彼が戦闘開始にあたって.トラファルガーの戦いにおけるネルソン提督と同様の,ほとんど同一の信号を掲げたことにはかならない。
「わが帝国の命運は,この戦いにかかっている。各員が,最善を尽くすよう望む」。確かに似ているが,私は日本のさる高官が,日本人気質にはこうした注意は必要ない,とコメントしなければ,その類似性に注目することはなかっただろう。日本人ならだれもが,そうありたいと自ら望んでいるというのだ。確かにそうだろう。そしてそのことはまさに,ネルソンの艦隊の全水兵も同様だったのだ。しかし,だからといって,われわれが日本人の武勇と自己犠牲に対して抱くようになった称賛と敬意の念は少しも減じないし,東郷の言葉が伝えられたとき,心臓の鼓動はより高まり,意志はより強固になったと信じている。
ここで再び話を軍事的な演繹に戻そう。これは日本の提督のとった方針の概要や,現段階で判明しているこれまでの戦闘過程におけるいくつかのできごとの時期と様子から判断すれば,確実に引き出せるものと思われる。「演繹」という言葉を使うのは,ここで私が厳格に行うつもりのきわめて慎重な推論に対しても早計かもしれない。すでに述べた通り,こうした推論の意義はむしろ,新たに入ってくる詳細な情報に対して注意を喚起し,考慮の指針となることにより,海軍の軍備に関するそうした情報の意味をより正しく評価するためにある。
以前の論文の中で私がざっと概括した通り,ロシアは戦艦の数ではまさっていたものの,装甲巡洋艦の数では決定的に劣っていた。後者は実質的に二等戦艦に等しく,砲撃能力や装甲装備を,速力と石炭搭載量を確保するため犠牲にしたものだ。魚雷攻撃艦艇に関しても,日本側が数の上で少なくとも3,4倍はまさっていた。
以上が両軍の物質的戦力の状況だが,交戦前の段階では,両軍将兵の相対的能力については未知数だった。ただ,予想では明らかに日本側が有利とされており,事実結果もその通りとなった。しかしその前に,少なくとも海軍士官は,ロジェストヴェンスキーが人跡まれな地での長期停泊を挟んで数か月間行った航海の間に,当然多くのことがなされていたはずだ,ということを知っていた。
こうした経緯のもとに,対馬海峡の東で両艦隊は交戦した。戦闘が開始されたのは日中のことで,2つの別個の報告が砲撃開始を午後2時前としている。この戦場がノーフォークとほぼ同緯度にあり,ニューヨークからそれほど南にあるわけではないので,ニューヨークでのわれわれ自身の最近の観測によると,日没までには2時から7時半まで5時間余りあることになる。
この考察は,魚雷攻撃艦艇の使用に直接的な意味を持っている。日本側は敵に比べ,多数の魚雷攻撃艦艇を使用できる半面,戦艦に関しては分が悪いことから,東郷は日のあるうちに魚雷攻撃艦艇を何隻か出撃させ,彼の国家にとり耐え得る犠牲の代償に,敵の大型艦をたとえ1隻でも2隻でも取り除こうとするのではないかと考えた者がいても-私もその1人だが-不思議ではない。
一部で言われて年頭通り,ロシアの提督が敵に対して軽量級の巡洋艦から
成る第2戦列を組織したとすれば,まず最初に魚雷攻撃を受けることになると考えてのことだった可能性がある。その程度の相手を撃沈するには戦艦と比べても全く遜色なく,使用しなくてもさしつかえない艦艇に立ち向かわせようというのだ。事実,この陣形は東郷のために提案されていた白昼攻撃の発想と関連したものと見られるが.ロシアの提督がそうした理由からこれを採用したのであれば,戦術的に見て私にはとてもこの配置を非難する気にはなれない。
この比較的軽量級の戦列が混乱状態に陥り.それが主戦列にも影響して混乱を巻き起こしたという理由に対しては.なおさらのことだ。有能かつ冷静な艦長たちなら,そうした状況で混乱することは全くないだろう。その陣形は海戦史上きわめてなじみ深いもので,敵の水雷巡洋舷群の代りに敵の主戦列が接近してきたなら,それにさらされた艦艇は単純に味方艦隊の間を通って「風下」に逃げればよいのだ。
しかし,これまでの報告から判断する限り,東郷は直ちには,またしばらくの間は魚雷攻撃艦艇を投入しなかった。いずれ判明することながら,仮にこれが事実だとすれば,たとえ多数の場合でも魚雷攻撃艦艇を日中に敵の攻撃にさらすべきではないという,これまでにきわめて一般的になっている海軍関係者の考え方を,彼が経験に基づいて支持していたことを示すだろう。
そればかりか,彼は魚雷攻撃艦艇を起用するために.交戦開始を日没まで引き延ばすということもしていない。陣形が整った段階で,かの有名な信号を伝えながら,一気に攻撃したのだ。戦闘は砲撃をもって始まり,それが2,3時間にわたって続けられた。
あるいは,現在までに寄せられている錯綜した未確認情報の断片のいくつかを見落としている可能性もあるが,私の知る限り,最初に水雷について指摘した報告はナヒモフの艦長によるもので,それによると,砲撃の開始から90秒後に彼は衝撃を感じ,その後同艦は急激に沈没していったとされている。
付近に魚雷攻撃艦艇が確認されたとの記述はない。ポロジノの沈没は,同艦の前部砲塔の大尉の詳細な報告によれば,明らかに砲撃によるものだが,この報告では,同舷がすでに沈没してしまった夕方近くになって魚雷攻撃があったとされている。事実,日本軍士官の公式声明文にも,ポロジノの名が明記されており,この攻撃の行われた時刻と様態とが裏づけられている。
あいまいかつ未確認の諸説の中では,目下のところ,以上が交戦初日の白昼の魚雷攻撃艦隊の行動のすべてのようだ。ナヒモフについては,正確なところが伝わっていない。東郷の報告書によれば,ナヒモフはその夜に,水雷艇による損害を受けたが,その翌朝もまだ海上に漂っているところを目撃されている。
しかし,これはナヒモフの艦長のものとされる説明とは食い違っており,艦長が早まって艦を去ったことになるが,名前の誤認ということも考えられよ
う。ポロジノの報告書は詳細なものであり,矛盾がない。数時間に及ぶ集中砲撃を浴びて航行不能になったポロジノ-「同檻に第2艦隊は集中砲火を浴びせていた」-は魚雷攻撃によってとどめの一撃を受けた。
「第5駆逐艦隊はこれから最後の一撃を加える』という信号を送りながら前進
した」。私は,事態がこのように続く可能性があることを,18年前,わが海軍大学の教官が予測していたことを思い出す。かといって自明の理に気づくのに,なにも特別な知恵が必要だったというわけではない。戦艦が戦闘力を失っているのでない限り,魚雷攻撃艦艇が白昼攻撃を仕掛ける可能性は常に低かった。たとえ敵の戦艦が戦闘力を失っている場合の攻撃でもより大型の艦の射撃により援護されることだろう。
今回もそうで,「巡洋艦千歳は,わが駆逐艦が前進する間中,砲撃を続けた」と
いう記述がある。ここには,一貫して昔の焼打船を思わせるものがある。駆逐艦が活発な攻撃を開始したのは日没後だったのだ。
東郷がロシア艦隊の陣形のどの部分に対し,どのように主力攻撃を仕掛けたのかを,はっきりと正確に知ることができれば,これほど興味深いことはなかろう。いまだあいまいな部分はあるものの.東郷が敵縦陣の先頭をたたいたことがだんだん明らかになってきたようだ。
それによって敵に進路変更を強いるためで,すでに見てきたように,集中砲火を浴びたポロジノは縦陣の先頭付近にいたものと見られる。これがロシア艦隊を混乱に陥れたと思われるが,またこのことはネルソン提督の言を裏づけてい
るようだ。紙面の都合で前回コリア一誌に寄稿した文章から引用すれば,「ロシア艦隊の戦列の先頭を攻撃することでロシア側を出し抜き,混乱をもたらす」ということだ。
ロシア軍は敵の思惑通り混乱をきわめ,分断された艦艇や集団に対する敵の集中攻撃をますます容易にした。これは,日本側が戦艦の数で劣るとはいえ,装甲艦の総数ではるかにまさっていたことによって,生かすことができたチャンスだった。事実,日本軍は艦艇の数にまさっていたことで,
連携行動能力をいっそう有利に使うことができたのだ。なぜなら,連携行動の可能性は数の力によって広がるものだからだ。今日にしている実例から正しい推論を引き出すとすれば,これはくり返し言われながら無視されている警告を再び示すもののようだ。つまり,艦隊の構成を決める際には,個々の艦艇の大きさ同様,その数も考慮しなければならないということだ。私はこのことを,ある力を1隻の艦に持たせる方が,その力を2隻の艦に分けるよりも効果的だということと矛盾するのを十分に承知の上で言うのだ。部分的には、今回の日
本軍の成功は,運動の柔軟性を保つにはあまりにも集中し過ぎた個々の艦艇の力の優位に対する,巧みに連携された数の優位の勝利ということになる。
いったん生じた混乱は,多数の魚雷攻撃艦艇が,すでに退却し始めたロシアの縦陣の先頭を横切るように投入されたことで,巧みに増大された。この役目には,その速力が何より適していたのだ。これにより,一般には包囲運動と呼ばれる動きが始まった。
すでに陣形も士気もくじかれた一団の艦が,闇の迫りくる中,恐るべき水雷艇の大群に向かって前進すれば,さらに混乱が深まることが十分に考えられる。前衛に混乱が存在するとき,後ろの艦が前の艦に迫ってくるにつれて混乱が急速に後衛の各艦に伝わる傾向がある。これこそまさに,ネルソン提督の言葉を生んだ状況だ。われわれの多くは,モービルでファラガット提督の縦陣の先頭の艦が,水雷の列の恐怖に襲われたときのことを思い起こせばよい。さて,日本海海戦の場合は,今や夜が額づいたことによって,魚雷攻撃艦艇にとっては
二重に好都合となった。夜陰に乗じることができるばかりか,敵はもはや完全ではなく傷っいている。
とはいえ,魚雷攻撃艦艇がよい働きをしたのは確かとしても,証言から判断すると,決定的効果をもたらしたのは大砲であり,駆逐艦はもはや総崩れになった敵を一網打尽にし,これを壊滅させることで,主に騎兵の役割を果たしたことがしだいに明確になってきたようだ。
駆逐艦は多くの場合,ネルソン提督流に言えば,日本軍がすでに「自分の船」と見なしていい艦を沈めたとも考えられよう。この包囲行動には,後衛ばかりか前衛に位置していたと見られる装甲艦の一部も加わっていたとされている。各艦の分散と運動の連携-これは分析と総合に対応するものだが-は数の力があって初めてなし得ることであり,個々の力だけでなく,数の力が必要であることを改めて強調するものだ。
その後の経緯はと言えば,これはもはや典型的な追跡の様相を呈していた。混乱をきたした敵は,追撃を受けて散り散りになり,個々に制圧され捕獲された。この戦闘から後2日間にわたって続いたこの海戦に付随するいくつかの局地戦について,東郷提督は数回にわたる急送公文書の中で簡単に触れている。
ただ,この種の概論の中では,それらに触れる必要もあるまい。ここでは,まだ敵がわずかでも力を残しているなら,追いつける限り逃げる敵を見逃してはならないという,言い古された軍事的格言が忠実に守られていたということを記しておけば十分だ。日本軍はその完全な勝利にふさわしい働きをしたのだ。
要約すれば,訓練の面でも経験の面でも日本軍が圧倒的に優勢だったことが証明されたことを考慮に入れた上で,東郷の艦の使用法と現在までに報じられている戦闘の詳細から見て,海戦の主たる目的のためには,戦艦と大砲の優位性がゆるぎないことが明らかになったようだ。その反対に,日本側のものとされるある報告によると,ポロジノを失った後,その結果生じた混乱の中で残っていたロシアの戦艦は,すでに大損害を被っていたにもかかわらず,日没後サーチライトを使って2個戦隊から成る敵駆逐艦隊の攻撃を2度にわたって撃退
したようだ。
しかも,この戦争における日本軍の攻撃は,これまで容易には撃退されなかったのだ。もしこの事実が公式に確認されるとすれば,意気軒昂ですきのない水
兵を配した無傷の戦艦なら,結局魚雷攻撃を受ける可能性は,一般に軍隊が受ける他の損害と同じぐらいの比率しかないということを,ほぼ実証することになろう。ちなみに,魚雷攻撃艦艇はいわば機械の箱で,構造が繊細な上,石炭の搭載量が少ないことから,自国の領海域で常に大豊投入され,効果を発揮することになろう。
今回の場合,その利点は日本側にあったが,そのことは東郷の位置どりの選択にも影響を与えているものと思われる。このことだけを考えてみても,広い意味の海軍政策においては,魚雷攻撃艦艇の役割は,局地的には攻撃的であっても,防御的なものだということを証明している。
今回の一連の戦闘で,潜水艇の起用を確実視させるような,もしくはその可能性を疑わせるような兆しは私には何も見当たらない。だが潜水艇が使われたと考えたい人が,なんらかの損害を潜水艇によるものだとしても,それを否定する確かな根拠もないように見える。
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