日本リーダーパワー史(326)「尖閣問題の歴史基礎知識」② 日中、台湾、沖縄(琉球)の領土紛争の底の【中華思想】と台湾出兵②
日本リーダーパワー史(326)
よくわかる「尖閣問題の歴史基礎知識」②
日中、台湾、沖縄(琉球)の領土紛争の底にある
『中華思想』と台湾出兵との関係、交渉は②
『中華思想』と台湾出兵との関係、交渉は②
前坂 俊之(ジャーナリスト)
●「尖閣問題の歴史基礎知識」ー『中華思想』と台湾出兵①http://maesaka-toshiyuki.com/top/detail/1535
●『尖閣:日本編入の経緯巡り溝』
毎日新聞 2012年09月28日 22時41分(最終更新 09月29日 10時01分)http://mainichi.jp/select/news/20120929k0000m010097000c.html
日中両政府は米ニューヨークの国連総会で27日(日本時間28日)、沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権を巡って応酬した。中国側は「甲午(日清)戦争末期に日本が中国から釣魚島を盗んだ歴史的事実は変えられない」と批判し、歴史問題に結びつけて領有権を主張した。
中国側は、明や清の時代に主権を行使しており、日清戦争末期、清の敗戦が確定的になった1895年に日本がかすめ取ったと主張する。
日本側は違う。85年からの調査で清の領有事実がないことを確認し、95年1月に編入。国際法上、正当に領有権を取得する方法をとった。日清戦争の講和条約「下関条約」の調印は同年4月で、同条約で清から日本に割譲された「台湾及び澎湖(ほうこ)諸島」とは別だとする。
① 両国の歴史ギャップ、コミュニケーションギャップ、パーセプション(認識)ギャップにはその底に古代中国からの『中華思想』『華夷秩序』意識があり、北京を中心とする中原に住む漢民族以外の距離の遠く離れた国、ところに住むのは『化外の民」であり、野蛮人(西洋人は南蛮、蕃族、「禽獣」(動物)と同じであった。
② 「四夷」とはhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A4%B7日本はその「東夷」であり、「小日本」と蔑んだ。台湾出兵、日清戦争の原因もこの歴史である。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%B7
③ 「台湾出兵」までのいきさつをみると、まさに「『中華思想』の「「東夷」であり、日本側の「万国公法」に則った交渉ギャップが如実に出ている。
④ 今回の中国側の態度にもこの『中華思想』(現在の共産党1党独裁、皇帝政治の延長)が色濃く残っているところがうかがえる。
⑤ 野田政権、安倍自民党総裁は近衛文麿内閣の「国民政府を相手にせず」(第一次近衛声明、昭和13(1938)年1月)の対中外交大失敗の歴史くりかえしてはならない』
●清国政府代表と談判〔1874年(明治7)7月27日東京日日(現毎日〕
台湾信報 6月21日ー支那国の蒸気軍艦二隻黄竜の国旗を翻がえしてたちまち我が陣営の海口湾に進入せり。この船には支那政府の官吏及び台湾府の知事、アモイの道台、並びに兵隊等を載せ来れりと云う。我が陣中にてもこれを見て人々議論紛々たり、彼等今日上陸せば談判の次第により定めて必ず変あるべしと、一同思い居りたりしに、その報陣中へ達しあり、
云わく、今日支那軍艦来着せり、応接の上は模様によりまたついに兵端を開くに至らんも計り難し、万一こ由処にてにわかに攻撃に至らば、懸命万里四方みな敵地なれば逃るべき所なし、兵士は勿論工匠諸職人に至るまで、我が日本国人たる者各々身命を投げうって力を尽し命を致し、以て国恩に報ずべし、
努めて卑怯の挙動をなして恥を海外にのこすべからず、これ未だ定まりたる義にあらざれども、一同その心組にてあるべしとありければ、有志はこれを聞きて慨然腕をなでり、勇気面にあふる者あり、また中にはこの頃の炎熱にさえ堪えかねてただ片時も早く日本へ帰りたしと妻子の上を案じ居りたる折からに、この陣触を聞きて愕然として顔色土の如きもあり、今わずかに三千に足らぬ労兵にて支那の大国を相手として戦闘に至らば、我々一人も生きて帰朝は覚束なしと大息づきて萎(しお)れ居るも多かりしが、
その夜は無事に附けて翌二十二日、支那の使節等数名杜寮浜より上陸して直ちに亀山本営に赴むき、・西郷都督に応接せり、
しかれども都督府中の談判なれば、その議論もとより幕外の者の伺い知るべきにあらず。ただ陣中の風聞には、支那使節云わく、台湾はもとより支那の属地なり、このたび貴国より進兵なりしはまったく生蕃人の兇暴を懲らきんがために征討せらるる所ならん、
現下蕃夷請蕃等大概すでに降伏せし赴きなれば、なにとぞ草城●●及び亀山その外諸方の支営ともども、速やかに営を徹し陣払いして引去り下されたしとの事なり
西郷従道都督云わく、予は我が日本朝廷の命を受けて来れり、今蕃虜すでに平定すといえども未だ我が朝廷より凱旋すべきの命なし、我が軍の帰ると帰らざるは日本朝廷の命令によるのみ、支那政府の意に従い難し、足下もし我が軍の営を撤せんごとを欲せば、速やかに貴国政府より我が日本政府へ使節を遣わして掛合いに及ばるべしと、
威儀堂々として談判ありしかば、支那官吏ども答うる所を失いてその日は船に帰りしとぞ。
それより後もたびたび応接ありて議論様々未だ確定せず、本月初旬に至りてこのたび日本より蕃夷征討出兵の諸入費としてヽ支那政府より洋銀二百万円の償金を差し出すべきに付き、なにとぞ総営を引き払い、凱陣致しくれよと云うの談に至れりと。
これ風聞によすといえども、また必ず無根の説にあらざるべし。清国使節上陸の時は、毎に支那兵丁一小隊ずつ警衛せり、その軍粧の笑うべき暴状及び支那兵の恐るるに足らざることは次号に記すべし。
●大半は静穏に帰す〔明治7年8月6日 東京日日〕 -
生蕃十八杜降服の後、1日に清粛に帰し蕃地いずれの所へ往来するにも障碍あることなし、塾蕃人はもと支那の流民なれば、この頃清国政府と議論起りたるに付き、何となく疑わくを抱ぐが如し、生蕃人はかえつて.その意なし。
牡丹高士滑等のもっとも獰猛暴悪と称したる蛮夷すら、すでに爪を隠し嘴を収めて殺戮をほしいまま-さすることあたわず、その他の諸蕃は一層穏やかなるを以て、蕃地は開闢以来今日を以て第一の静謐と云うべし。
従前車城杜寮等の熟蕃人も必ず刀を帯び、槍を提げ、或は弓矢を携えざれば「門外に出を」とあたわず、かつ夜分は決して道路田畝にあることを得ざりしに、わが兵生蕃を討ち懲してより以来、
漁者樵夫田に耕す者も野に牧する者も皆刀を帯びず、弓矢を携えず、近来夜中我が営外に来りて、白糖、烏糖、焼酎ワーと土人の呼売る者多し、思うに今般の我が討蕃は、この島のまさに開化に進まんとするの初階なるべし。清国より出したる兵は、台湾府に屯して、我が動静を伺うと云えり。清国にても防禦の用意しきりなり、この頃、膨湖群島中は新たに砲台を築き、英人を雇いて修営せり。
●四百万テールの償金〔明治7年9月8日 新聞雑誌〕
・ヘラルド新聞に、日本台湾の地を取り、属部とし得ざるを察し、四百万テール(支払の金貨我が一円五十銭)の償金を要すと。思うに償金の事成否果していかなるは知るべからずといえども、現今の況勢を以て見れば、台湾統御の事は将来支那の保する漸たるを得べしと云う。
●日本政府の秘密外交不評{明治7年9月8日 新聞雑誌〕
支那政府自らなす所義に協うと思い、総理街門と日本との応接引合いの書体を以て北京にある各国公使、及び諸種の新聞紙にも示して隠すなきは、東洋政府には例少なき事なり、これに反して日本政府はかつて外国公使、並びに諸新聞にも報示するなし、これを以て推す時は、日本政府の方都合よからぬことと見えたり。
●清国紙の日本報道〔明治7年7月27日 東京日日〕
支那消息 昨日また先月二十七日より今月三日までの上海彙報を得たり。その中天清北京の消息を載せ、上海香港の郵信を録し、台湾の近況を記する者すくながらざれども、一つとして確説なし。
皆云う未だ和戦のいずれに定まるを知らずと。しかしてしきりに砲台を備築し兵勇を操練するを見れば、彼の意戦いにあるに似たり。
しかれどもその民間ノ時事を論ずる者は白から和を企望するの意あが如しへ、今揆録して江湖め仕商に報ず。
本月三日刊行の貴報に、上海構文新報中西洋人日本の事を記するを引きて云わく、日本の使臣阿枯柏氏使を奉じて華に来たれども、中朝の大皇帝かの使臣に観見を准(ゆる)さず。故に不日にしてまさに国に返るべしと云々。また云わく、日本はさいじたる一小島のみ、富みてかつ強さの中国と相抗衡せんと欲するはそもそも何ぞ愚のはなはだしさや、卵を以て石を打つの理を知らざるか、他日もしへいきんを啓(ひら)かば、ついに志を上国に失なうのみならず、恐らくはまた自ずから存することあたわざらんとす、いずくんぞ日本人のために危まざることを得んや。
▲ 日本毎年外国へ出口(うりだし)の糸値およそ八百万元、出口の茶値およそ五百万元なり、しかして中国毎年出口糸の日本より多きこと六双倍なり、また茶の出口は日本に十二倍せり。それに日本は海中の一小島のみ、万々中国に敵せざる事はもとより論を待たざるペし。
▲ 貧富は強弱のよりて判る所なり、今糸茶出口の多寡にても日本は中国の敵手にあらざる事を知るべし、これをいかんぞそれなお中国に抵抗せんと欲するや、これを徳をはからず力を量らずと謂う者はなおその恕詞のみ。(中略)
これみな支那人の論ずる所にしてその文意を見るに、みだりに自ずから尊大にして、我が堂々たる大日本国を蔑視することはなはだし。その中国或は中朝と云い華及び中華と云うもまた自大の語なり。以後これに教え。
●交渉は清国流でらちあかず〔明治7年10月16日東京日日〕
.‥
去る十四日入港の郵船にて、わが全権弁理大臣大久保公支那北京よりの公竃を載せ来れり。ただしその詳なるは聞くことを得ずとえども、清国総理衛門の詭弁する所は最初よりその説を変ぜず、台湾の事件もっぱら蕃地彼我の論を主張し、第一し次柳原公使に答する所の模様と替ることなし、その体はなはだ因循持重にして、言詞文書ともつねに圭角を露わさず。絶えて激論危言あることなし。いわゆる(日に廣)目持久の策にてもあらんかとっこれ昨日録する所の横浜レエコドジャポン新聞に、フランス人の論ずる所と符合せり。
●山県有朋の陸軍将校への訓示〔明治千年10月24日 朝野新聞〕
山県陸軍卿諸将校へ内諭書 陸軍中将兼陸軍卿山県有朋陸軍諸将校に告示す。
それ台蕃の兇虐絶えて人理なきは天人の容れざる所、万国の共に知る所、往年我が琉球藩人命残害を蒙り、小田県民の劫椋にあう。
清国これと壌(じょう)を接し、観望その罪を問うあたわず、措(おい)て度外に附す、これその強伴を愕るのみならんや、けだしまた境域の外たるを以て、その自恣を聴(ゆるす)のみ。・これを以て我が天皇陛下、西郷都督を遣わし、その罪を問い、懲治綏撫以て将来を戒め、ようやく徳化に馴れしめんとす、これただに匹夫のために讐(あだ)を報ゆるのみならず、また公法にあり、道義の関する所にして、万国航旅のために永くこの大患を除く所なり。
客歳全権大使を清国に遣わされし時、特に意を致してか清国政府に知会せしめたり、これその(台湾との)壌地相接するを以て、同盟好和に嫌いあるを以てなり。しかして彼(清国)答うるに、化外権の及ぶ所にあをざるを以てせり。
(その後に)西郷都督の進発する更に福建都督に照会し、また柳原全権公使を北京に駐剳せしむるや、詳らかに処蕃の事情を以てし、親しく総理衛門の諸官と応接せしめたり。それ我の彼に対する鄭重かくの如し。
しかして、彼(清国政府)その言を左右にし、その辞を侮慢にし、すこぶる言を食む者の如し。東洋唇歯の国にして、我豈に干戈(戦争)の事あるを喜ぶや、しかれども勢すでにここに至る。兵権以て彼を制圧するにあらずんば、何を以て我が帝国独立の大権を示さん、廟議すでにここに決す、
しかしてなおおもんばかる所あって特に大久保参議に命じて金権弁理大臣とし、仮すに和戦の大権を以でして、清国政府と談決せしむ、これもとより盟約を重んじ、敢えて和好にかくを欲せざればなり
それ国の強弱は大小にあらず、兵の利鈍は衆寡にあらず、和と不和と練と不練とにあるのみ。いやしくも諸将校以下で一和協力、従来講習する所の長技秘術を尽さば、小以て大に敵し、寡以て衆を制するに足る
●清国側、大久保弁理大臣引留めか〔明治7年11月8日 東京日日〕
昨日記載せし如く我が大久保弁理大臣は既に北京を出立ありしを、清国総理衝門に於ていかなる変議の起りしや、にわかに使を馳せて弁理大臣を引き止めたりとの説あり。或は云うこれ一昨夜の電報也と。この説もし信にしからば必ず大いに局面を変改するに至らんか。しかして必ず凶兆にはあらざるべし。
●台湾事件談判妥結、岸田吟香の祝辞〔明治7年11月10日東京日日〕
弁理大臣大久保公の勅を奉じて清国北京に入りたまいし以来、我が日本全国の人民みな佇立(ちょりつ)して談判の結局和戦いずれに決するやを待たざる者なし。しかるに今この佳消息
を得る、実に国家万民の幸福これに過ぐる者あるペからず。我が人民をして益々開化文明に進ましかべく、すなわち国家隆盛の基礎これよりして確立すべし、これ我が弁理大臣独立自主、国の権利を恢張し天理人情の至当なる処置を以て、そのまさに務むべきの正義を尽し、清国総理衝門と論弁せられし
よれ遂にこの美挙に至りし所にして我が帝国の光輝を増し栄誉を欧美各国に博するに足る
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