前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

百歳学入門(70)日本の食卓に長寿食トマトを広めた「カゴメ」・蟹江一太郎(96歳)の長寿健康・経営10訓①

      2018/02/17

 百歳学入門(70

 

日本の食卓に長寿食トマトを広めた「トマトの父」

・カゴメの創業者蟹江一太郎(96歳)の

長寿健康・経営10訓① 

前坂 俊之

(ジャーナリスト)

今、出版界は「アラウンド90市場」に沸いている。90歳代の著者本がヒットして、出版ラッシュンなのだ。5月になくなった新藤兼人(100歳)、女性報道写真家・笹本恒子(97歳)、生活評論家・吉沢久子(94歳)、詩人・柴田トヨ(100歳)の各氏の本がいずれも数十万部のベストセラーとなって、次々に90歳代の著者本が出されている。

 

いまや、日本人の平均寿命は男性では79歳。女性で86歳。90歳以上の高齢者は百万人を突破して、人生90歳が当たり前となる人類が初めて体験する「超高齢社会」の未知なるゾーンに突入である。 

そんな中で、90歳代を元気に、生涯現役で輝いた「ノナジェナリアン」(90歳人)の生き方に学ぼうという姿勢である。 

このブームは「日本の経営者」の間にも広がっている。90歳代でも「生涯現役」として活躍した長寿経営者は、意外なことに食の関係企業に多い。グリコ創業者・江崎利一(97歳)、カルピス創業者・三島海雲(96歳)、日清食品創業者・安藤百福(96歳)、坂田種苗(97歳)らである。

「トマトの父」といわれる蟹江一太郎(96歳)はこの最高モデルであり、いくたの教訓がある。

 

 

名言①「でんでん虫、そろそろ登れ、富士の山」

 

 蟹江一太郎は、1875年(明治82月、愛知県知多郡名和村(現・東海市)の農家の長男に生まれた。8歳で母親が亡くなったため10歳で小学校も中退し、当時始まったばかりの東海道本線敷設工事で働きながら、家計を助け近所でも評判の少年だった。

そんな健気な一太郎少年を隣村の大百姓の蟹江甚之助が気に入って18歳で蟹江家に養子に入った。

20歳で、3年間の兵役義務によって名古屋の第三師団歩兵第六連隊に配属され伍長にまでなる。除隊が近づいたある日、上官の西山中尉が「これからの日本の農業は米やイモや大根ばかりではやっていけない。誰も手がけていない西洋野菜などを作って現金に換えてはどうか」など将来のアドバイスをした。この一言が「トマトの父・蟹江一太郎」の生むきっかけとなった。

明治32年、他人の忠告に耳を傾け、まじめで正直一途な性格ながら、チャレンジ精神旺盛な一太郎は荒尾村に戻り、早速、義父の甚之助に相談して、一家で西洋野菜つくりに取組んだ。

ところで、当時の日本の食生活では西洋料理はまだ一般家庭には入っていなかった。西洋野菜はレタスやピーマン、トマト、キャベツ、タマネギ、ジャガイモなどだが、その形、原色、臭いなどが敬遠され、特にトマトは酸味が強く強烈な臭いで食用ではなく、その真っ赤の原形が「観賞用」に珍重されていたほど。

 

名言②「どんなにいい商品でも、需要がなければ商品価値はゼロ」

 

蟹江は名古屋市の農事試験場からキャベツ、レタス、ピーマン、パセリ、トマトなどのタネを入手して栽培を始めた。トマトが初めて採れた時、一家で試食した。

 

カボチャのように筋が入ったトマトで、強烈な色ときつい臭いに全員が鼻をつまんで食べたが、すぐ吐き出してしまった。

 

西洋野菜がたくさん収穫されると、名古屋市内の市場、八百屋や西洋ホテルや西洋料理店まで数十キロの道のりを大八車を引いて売り歩いた。

 

しかし、初めて目にした西洋野菜への拒否反応は強く、トマト以外の野菜はなんとかさばけたが、トマトは売れ残る日が続いた。

 

「何とかトマトが売れないか」「売れ残ったトマトをどうするか」―農事試験場にも通って相談して、米国ではトマトソースなどの加工商品を出していることを知った。

早速、西洋ホテルから取り寄せてそれを真似て、一家総出でトマトを大きな釜でゆでて裏ごししてトマトピュ―レを作った。一太郎が夫人と二人で作ったトマトソースはいろいろと調合を変え、甚之助らにも賞味してもらい、一番平凡でくせの少ない味を作ったのである。

 

トマトピューレーとは水を加えずにトマトを煮つぶし、裏漉しにしたものを煮つめて容量を四〇%まで濃縮した一次加工品である。これに塩、砂糖、スパイス等を加えて調味した二次加工品がトマトソースである。

 

蟹江には当初、両物の区別はつかず、このトマトピューレーをトマトソースと思っていた。トマトケチャップはピューレーにタマネギ、ニンニク、ナッツメグ、コショウなどを添加したもの。

 

蟹江は出来たトマトピュ―レを名古屋の西洋料理店に持ち込んで、試食してもらい売り込みに成功した。その後も一太郎は夫人と二人で苦心惨憺していろいろと調合を工夫して、一番くせの少ない味のトマトソースを作った。

 

 1903年(明治367月、蟹江の家内工業的なトマトソースづくりが本格的に始まり、明治41年にはトマトケチャップづくりにも成功し、蟹江のトマト加工品は、近隣町村の地域おこし、地域産業おこしとなり、近代的な産業に発展していった。

 

                   (つづく)

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究 , , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本メルトダウン脱出法(739)「日中首脳の対立は似た者同士だから? 根っからの反日ではない習近平、日中関係の新常態は築けるか」●「長期展望、日経平均長期上昇シナリオは終わったのか?」

 日本メルトダウン脱出法(739) 日中首脳の対立は似た者同士だから? 根っから …

no image
速報(234)●『【4号機倒壊で放出する放射性物質の量】最大の場合10倍を超える 』小出裕章(MBS)』ほか3本

速報(234)『日本のメルトダウン』 ●『【4号機倒壊で放出する放射性物質の量】 …

no image
知的巨人の百歳学(124)ー『天才老人・禅の達人の鈴木大拙(95歳』-『長寿の口癖は「わしは死神と競走で仕事をする」★『死を恐れるのは仕事を持たないからだ。ライフワークに没頭し続ければ死など考えるヒマがない。死が追ってくるより先へ先へと仕事を続ければよいのじゃ』

知的巨人の百歳学(124)  『天才老人・禅の達人の鈴木大拙(95歳) …

no image
『5年前の記事を再録して、時代のスピード変化と分析ミスをチェックする』-『2018年「日本の死」を避ける道はあるのかー 日本興亡150年史』(3)<『2050年の世界」で日本は衰退国ワーストワン になるのか!>

★『2018年「日本の死」を避ける道はあるのか ー―日本興亡150年史』③― < …

『Z世代のための安保防衛(戦争)論の歴史研究講座』★『世界・日本リーダーパワー史(537)三宅雪嶺(第一回文化勲章受章)の「日英の英雄比較論」―「東郷平八郎とネルソンと山本五十六」

 2015/01/15日本リーダーパワー史(537)記事再録 三宅雪嶺 …

no image
 『日本と世界のソフトパワー/コンテンツ対決』―『「君の名は。」アカデミー賞に近づいた?LA映画批評家協会のアニメ映画賞を受賞』●『5つ星!『君の名は』を英メディアが大絶賛』★『「君の名は。」中国で大人気も、日本はまったくもうからない!?ネットでは』●『中国、トランプに対決姿勢 「iPhoneが売れなくしてやる」と宣言』★『世界で最も稼ぐユーチューバー、2連覇の首位は年収17億円』◎『スナップチャットで年収5千万円 元ウェブデザイナーの27歳女性』●『8割が偽物? 中国・アリババと4万人の盗賊 』

 日本と世界のソフトパワー、コンテンツ対決 「君の名は。」アカデミー賞に近づいた …

no image
百歳学入門(156)生死一如、生きることは毎日死に向かって行進中。 「生き急ぎ、死に急ぎ、エンディングス トーリー」を考える。『 健康寿命が真実を示す~日本は寝たきり年数ワースト1位!?』●『どうなる? 日本の「死」と葬儀』

百歳学入門(156) 生死一如、生きることは毎日死に向かって行進中。 「生き急ぎ …

ヨーロッパ・パリ美術館ぶらり散歩』★『ピカソ美術館編➅」ピカソが愛した女たちー《ドラ・マール》の傑作2点の明暗

『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(117)』  &nb …

no image
日本リーダーパワー史(143)国難リテラシー・66年前の大日本帝国最期の日―昭和天皇・政治家・軍人はどう行動したか①

 日本リーダーパワー史(143)   国難リテラシー・66年前の大日本 …

no image
速報『日本のメルトダウン』(3・11)を食い止めるぞ、12日目⑥

速報『日本のメルトダウン』(3・11)を食い止めるぞ、12日目⑥ 前坂 俊之(ジ …