片野勧の衝撃レポート(75)★原発と国家―【封印された核の真実】⑪ (1974~78)ー原発ナショナリズムの台頭(下)カーター米大統領の核拡散防止政策
2016/04/16
片野勧の衝撃レポート(75)
★原発と国家―【封印された核の真実】⑪
(1974~78)ー原発ナショナリズムの台頭(下)」
■なぜカーター大統領は核拡散防止を主張したか
片野勧(ジャーナリスト)
私は、もう1人の元外交官太田博さん(79)を東京・永田町のオフィス・NPO法人「岡崎研究所」を訪ねた。2016年2月2日。時計の針は午後4時を指していた――。
太田さんは矢田部さんの後輩で現在、岡崎研究所所長・理事長。創設者・岡崎久彦氏(元サウジアラビアとタイ王国で特命全権大使)の死去に伴い跡を継ぐ元駐タイ大使。当時、東海村再処理施設運転で日米交渉に当たった外務省科学課長だった。
太田さんは東京大学教養学部を卒業後、1960年に外務省に入省する。駐米大使館参事官、駐韓国特命全権公使、サウジアラビア特命全権大使、タイ駐特命全権大使等を歴任し、1999年10月、退官。
私は秘書に案内されて部屋を通されると、太田さんは笑顔で迎えてくれた。取材のために私はICレコーダーとビデオカメラを回す準備をしたら、「カメラの前だと、本当のことが言えないですからね」とおっしゃった。しかし、私は「正確に記録したい」という意図を伝え、公表する場合には必ず了承を得ることを条件にインタビューの録音を許してもらった。
――なぜ、カーター大統領は核拡散防止を主張されたのですか。太田さんはまず、その背景から語り始めた。
「1953年12月8日、アイゼンハワー米大統領はニューヨーク国連総会で『平和のための原子力(アトムズ・フォー・ピース)』と演説し、原子力の平和利用の方針が打ち出されました。しかし、これが大きく変わったのが1974年のインドの核実験で、アメリカはもとより全世界に衝撃を与えました。それとともに核拡散防止についての動きが高まり、それにのった形でカーター大統領が登場してきたというわけです」
理路整然とした冷静な語り口。一国を背負ってきた外交官らしい思慮深い印象を受ける。さらに言葉を継ぐ。
「問題は平和利用というときに、濃縮ウランと再処理を入れるかどうかです。濃縮ウランが広島型原爆、プルトニウムが長崎型原爆です。アメリカは濃縮も再処理も認めるべきではないという。しかし、日本は東海村再処理工場がいよいよ試運転の段階に差しかかっていたものですから、アメリカの要求を呑むわけにはいきません。濃縮をアメリカにしてもらっていたものですから、日米原子力協定で再処理するかどうかはアメリカの許可が必要でした」
■日本は核拡散防止では優等生
東海村再処理工場の正門にはためく星条旗。アメリカは再処理を平和利用の一部とは認めないと日本に“待った”をかけてきたのである。一方、資源小国日本。エネルギー政策をどうするかというときに、石油ショックが起こった。太田さんの証言。
「それは1973年ですかね。石油の99%を輸入に頼っていた日本が、石油の供給が止められるかもしれないという状況にあって、エネルギーの自給率を上げなければならない。そういう中で目をつけたのが原子力でした。日本のエネルギー安全保障の観点からも原子力は非常に重要な位置を占めていました。そこにアメリカが“待った”をかけてきたものですから、日本はものすごく反発したわけです」
1977年3月下旬。福田・カーターの日米両首脳会談を終えた首相福田は強い口調でこう憤慨していたという。「日本は平和利用に徹している。核拡散に危険なんてない。疑うとは心外だ」と。太田さんは、さらにこう語る。
「日本は核拡散防止では優等生でした。核拡散防止は日本の重要な国策であって、核拡散防止のためにはIAEA(国際原子力機関)の査察をちゃんと受け入れています。日本は再処理から出てきたプルトニウムを軍事に転用することは絶対ないし、100%保証しますとカーター大統領に言いましたね」
■なぜ日本はNPT批准に遅れたのか
――ところで、日本はNPT(核拡散防止条約)に署名(1970年)してから批准(1976年)するまで6年余りの歳月を要した。なぜなのか。太田さんの言葉。
「政府がNPTの批准をためらったのではなく、一部自民党(青嵐会)の保守議員の中に、将来日本も核武装の選択の余地を残しておくべきだという議員がいて、十分納得してもらわなければならないということで、時間がかかったのです」
唯一の被爆国として日本はNPTを率先して推進し、核軍縮と核不拡散をリードしているような印象を受けるが、実態はそれほど単純なことではなかったらしい。
私は単刀直入に、このNPTの目的を尋ねた。太田さんは迷わず答えた。「核拡散防止条約の当初の目的は日本と西ドイツが核武装するのを防ぐためでした」と。
第2次世界大戦で敗戦した日本と西ドイツは戦後、目覚ましいスピードで経済復興を遂げた。両国のGDP(国内総生産)はアメリカに次いで世界第2位と3位になっていた。科学技術の発展も著しく、日本と西ドイツは核開発を検討してもおかしくないという指摘がアメリカなどから出されていた。
――当時、駐日大使はマンスフィールド氏だったが、その大使とは交流されていたのですか。太田さんの述懐。
「マンスフィールド大使よりも大使館の科学アタシェのジャスティン・ブルーム参事官です。この人とはしょっちゅう会っていました。彼は日本の立場に同情的で、アメリカがここに至って再処理を止めろ、というのは言い過ぎだと言っていました」
ブルーム氏は元アメリカの大使館科学技術担当参事官で、自国のシステムと比較しながら、躍進する日本の技術力を正確に分析したリポート『日本の驚異 最強の技術力はいかにしてつくられたか』(科学技術問題研究会訳、三田出版会)などの著書がある日本通の参事官。
「科学技術のことに関してブルーム参事官を全面的に信頼していたマンスフィールド大使も賛意を表明し、国務省に進言してくれたんでしょうね」
温厚篤実。柔和な物腰の太田さんは、私の質問に対して先入観なく、率直に答えてくれた。「しかし……」と話を継ぐ。
「日本に再処理を認めてしまうと、他の国に説明できない。例えば、当時、核拡散防止条約に加盟していないブラジルなどが濃縮と再処理をやろうとしていたのですが、そういう国に対してアメリカは何と説得できるのか」
日本への再処理容認が“アリの一穴”となって、非核保有国に再処理やウラン濃縮技術が拡散するのでは?――こんな懸念が今もアメリカの核不拡散政策の根底にあるのだろう。それにしても国益を重んじながら、相手によって使い分ける大国外交。その現実を思い知らされたと太田さんは振り返る。
■カーター大統領「事務方で話し合え」
「ところで……」。話は一転、1977年3月下旬の日米首脳会談へ。「そのときに福田さんが強い口調でカーターさんに『なぜ、(再処理を)許さないのか、けしからん』と言ったんですよ。カーターさんはビックリしちゃって、『事務方で話し合え』と言いました。それで交渉が始まり、まず4月に課長レベルの会議が行われました」
同年6月の局長レベルの会議。そのとき再処理で問題になったのは、「混合抽出法」が技術的に可能かどうかだった。「混合抽出法」というのは使用済み核燃料をウランとプルトニウムに分離して抽出する「単体抽出法」に対して、そのような分離をせずにさまざまなものが入り混じったまま抽出する方式をいう。
「単体抽出法」なら純度の高いウランとプルトニウムが取り出せるので軍事転用がしやすい。しかし、「混合抽出法」で取り出したプルトニウムの混合物は核兵器に使えない。ただし「混合抽出法」は技術的にも難しく、コストもかかる。
アメリカ側は再処理施設の運転条件としてプルトニウム単体ではなく、ウランを混ぜて取り出すこの「混合抽出法」を提案していた。核兵器の転用に一定の歯止めをかけるためだった。
単体抽出法を混合抽出法に切り替えるとすれば、実現までに3年かかってしまう。しかし米側が提案してきた以上、日本側として技術的側面を検討することを拒否するわけにいかない。そこで7、8月、東海村で混合抽出法が技術的に可能かどうかの日米合同の研究が行われた。
2カ月の短期間で結論が出るはずがない。結局、米側も混合抽出法にこだわらず、交渉が続けられることとなった。
1977年8月29日。外務省での第3回目の日米交渉。日本側代表は宇野宗祐科学技術庁長官。アメリカ側は特別代表ジェラード・スミスだった。スミスは核拡散より核軍縮の専門家だった。その場にいた太田さんは、こう回想する。
「スミスさんが日本側の主張を呑んだ時は驚きました。もちろん、いろんな条件を付けて。たとえば、量は使用済みで2年間最大で99トンまで。またプルトニウムとウランを混ぜて原子炉で、その燃料を燃やすプルサーマルはやらないこと。こういう条件のもとでなら再処理してもいいといったものですから、日本側は一斉に『おおー』という声が上がりましたね」
――当時、日米間の最大の懸案であった貿易摩擦も微妙に影響し、交渉の土壇場で再処理実施を容認したのでは? 太田さんは即座に反論する。
「カーターさんが貿易摩擦と取引するということは考えられませんね。実際、なかったです。カーターさんは海軍出身で原子力潜水艦の乗組員で、原子力のことはよく知っていると自負していましたから」
■日本の再処理を例外的に認めたアメリカ
日本の核燃料再処理を例外的に認めた米国。それでも「日本は軍事利用するのではないのか」という疑問は残ったのでは? 太田さんの話。
「IAEAは綿密な査察体制を組んで、だれが見てもプルトニウムの軍事利用はないと検証していますから、日本の核兵器転用の疑念はありませんでした。東海村の再処理運転開始に際しても、そのような疑念はなかったですね。しかし、日本ではありえないことですが、たとえば北朝鮮のように査察を追い出して再処理施設からプルトニウムを取り出し、原爆実験を行うと言われていますから、そういう疑念もあったかもしれませんね」
「ただ……」。太田さんは言葉を選びながら当時を振り返る。
「キッシンジャーが、日本が経済的に発展して経済大国になったら、必ず軍事大国になると言っていました。その軍事大国の中に核武装ということを念頭に置いていたのでしょうね。核兵器の性格からいって、日本が将来、軍事大国になったときに核を持つのは、ごく自然なことではないのか、と」
私は北朝鮮の核査察の追い出しや核実験の話を聞いていて、核の再処理や濃縮ウランは決して過去の問題ではなく、現代の北朝鮮へとつながっていく問題でもあることが分かってきた。
――ところで、将来、日本も核抑止力の観点から核をもってもいいのでは、という声も聞かれますが……。
「今、日本はアメリカに頼っています。しかし、もし将来、仮に中国が核で日本を脅すとします。日本は核を持っていませんから、それに対抗できない。何で対抗できるかというと、アメリカの“核の傘”です。しかし、日本がアメリカの核に頼れなくなれば、核武装論が現実味を帯びてくるでしょうね。そうさせないために日米安保は絶対に必要なのです」
■「事故原因は無知と慢心」国会事故調
――最後にもう1つ、質問を。日米再処理交渉の決着から1年半後の1979年3月28日、米スリーマイル島で原発事故が起こり、アメリカは新しい原子炉を凍結しました。それから37年たって福島第1原発事故が起こった。にもかかわらず、日本は再稼働を進めていますが、これに対してのお考えは?
「まずは安全性が第1です。同じ事故を二度と起こさない。そのために原子力安全委員会は極めて厳しい規制基準を設けたわけでしょ。それをクリアーすれば、再稼働してもいいだろうと思う。重要なのは安全性です。それでも千年に一度の津波が来たら、どうするか。そこまで行っちゃうと、人間の技術で100%、安全は確保できないでしょうね」
取材を終えて帰る準備をしていると、太田さんは何気なく言った。「でも、故郷を奪われた福島の人々のことを考えると、やはり原発は問題ですね」と。
太田さんの、この言葉が問いかけているのは、何だろう。核をめぐる「現実」と「理想」――。それにどう向き合うべきなのか。
私はここ5年近く、ずっと福島県に入って取材を続けている。東京電力福島第1原発事故で故郷を失い、健康への不安を抱える福島の人々の取材を通して、“核”とは何なのか。安全対策は大丈夫なのか。想定できたはずの事故がなぜ起こったのか。
国会事故調査委員会の報告書にこんなくだりがある。
「(それは)およそ原子力を扱うものに許されない無知と慢心であり、世界の潮流を無視し、国民の安全を最優先とせず、組織の利益を最優先とする組織依存のマインドセット(思いこみ、常識)であった」
(かたの・すすむ) つづく
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