『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑯ 『日本の最も長い日(1945年 8月15日)をめぐる死闘―終戦和平か、徹底抗戦か①』
2017/07/13
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑯
『日本の最も長い日―日本帝国最後の日(1945年
8月15日)をめぐる攻防死闘―終戦和平か、徹底抗戦か①』
ポツダム宣言 前坂 俊之(ジャーナリスト)
●「終戦」を死闘の末になんとか勝ち取った首相官邸と外務省
条件つきで連合国の「ポツダム宣言」受諾を宣言した日本政府だったが、バーンズ米国務長官
の回答をめぐって、終戦までの三日間、日本の中枢部は血みどろの戦いを展開していた……。
昭和二十年八月十四日正午、天皇の「無条件降伏」の聖断が下った。東郷茂徳外相
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%83%B7%E8%8C%82%E5%BE%B3
は閣議のため首相官邸に向かう途中、何度となく悲嘆と感激の涙にくれた。いま、日本の歴史はじまって以来、初めて「国が滅ぶ」という最悪の事態を迎えている。長い戦争で無数の人命も失われている。
政府は、国民を絶望と不幸の奈落の底へ突き落としてしまった。だが、滅亡のギリギリの瀬戸際で継戦を食い止め、国民の苦しみを少しでも和らげることができた。
もしこのまま戦争が継続されれば、間違いなく死傷したであろう数十万人の命を救うことができたのが、唯一の救いである。
東郷は一生の仕事をなし遂げた、そのことに喜びと幸せをかみしめていた。「自分はこれから先どうなってもよい」と感じていた。
午後十一時、終戦の詔書の公布手続きは完了した。
詔書発布と同時に東郷外相はスイスの加瀬俊一公使(外相秘書官の加瀬俊一氏とは同名異人)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E7%80%AC%E4%BF%8A%E4%B8%80
_(1920%E5%B9%B4%E5%85%A5%E7%9C%81)
に対して、日本政府の〝降伏受諾″の詔書をスイス政府を通じて連合国政府に通報するよう訓令を発し、スウェーデンの岡本季正公使に対しても参考に電送した。
詔書の電文草案はあらかじめでき上がっており、すでに決裁ずみで、ただちに発電され、午後十一時には一切の手続きが完了した。日本の実質的な終戦は、この八月十四日午後十一時だった。
東郷がホッと安堵していると、阿南惟幾陸相があいさつにきた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%8D%97%E6%83%9F%E5%B9%BE
「陸軍大臣として君とはずいぶん議論をたたかわしたが、あくまでも国を思う気持ちか
らで他意はない。無事、決着がついて安心しました」
阿南はさっばりした表情で、笑顔さえ浮かべていた。米軍の空襲は日本全土におよ
んだ。
「日本の一番長い日」で決定的に対立したのはこの東郷と阿南であった。「ポツダム
宣言即時受諾」の東郷外相。「断固反対」の阿南陸相。両者は激しく対立し、一歩も譲
らず激論に火花を散らした。
それは猛烈なツバぜりあいであり、死闘でもあった。それだけに相手の立場は痛いほ
どわかり、お互いに最大の敬意を払っていた。
昭和二十年四月、天皇から鈴木貫太郎大将に組閣の大命が下り、外相就任を要請
された東郷は、「一刻も早くこの戦争を終結させる」ために入閣を受諾した。就任して
間もなくの外務省員に対する訓示で「われわれは最悪の事態に直面することを覚悟し
なければならない」と決意を述べ、省内の一致協力を求めた。
そのため東郷は、すでに外務次官を経験している大物外交官の松本俊一駐仏印大
使
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E4%BF%8A%E4%B8%80
を呼び戻し、自分の右腕として次官に据えたのだった。
外相に就任してわずか四カ月、どうにか大任は果たせたと思えた。それにしてもポッ
ダム宣言受諾から一週間、「バーンズ回答」を手にしてから三日間、日本が戦争をし
てきた期間からすればわずかな時間であるが、日本にとっても長い長い時間であっ
た。
・深夜の「バーンズ回答」文の内容は・・・
昭和二十年八月十日、条件付ながらポツダム宣言受諾を通告してきた日本政府に
対し、連合国は十二日に回答(いわゆる「バーンズ回答」)を送ってきた。
バーンズ米国務長官が午前零時十五分(日本時間)から、サンフランシスコ放送を通
じて送ってきたもので、日本では午前一時前、まず外務省ラジオ室が傍受し、やや遅
れて同盟通信社がキャッチ、参謀本部も午前零時四十五分に第五課の成城分室が
傍受していた。
首相官邸でもほぼ同時刻に連絡を受けた。
この夜、迫水久常内閣書記官長は、広島に原爆が投下されて以来ほとんど眠って
いなかったため、九時ごろから官邸の仮ベッドでまどろんでいた。
その迫水書記官長が電話で起こされたのは十二日午前零時半過ぎだった。
相手は同盟通信社の長谷川才次局長だった。連合国側の「回答」が、サンフランシ
スコ放送を通じて、たった今から放送され始めた、という。
「どんなあんばいか…」。迫水は聞いた。
「まだ全文は分からないが、どうもあまりよい形ではなさそうだ」
とりあえず迫水は松本俊一外務次官に電話を入れ、至急、首相官邸に来てくれるよ
う伝えた。
迫水が不安にかられ、あれこれと思いをめぐらしているうちに、同盟通信の安達企画
部長がタイプされた回答の全文を持って駆けつけてきた。午前三時だった。
迫水はさっそく安達部長とともに回答文に目を通した。そして迫水の不安は落胆に変
わった。このときから三日間、首相官邸は、この「バーンズ回答」をめぐって最後の大
揺れを起こすのである。
迫水書記官長からの電話とほぼ同時の午前二時ころ、東京・霊南坂の外務省官邸
にいた松本次官のもとにも、外務省ラジオ室から回答が放送されたことを伝えてきて
いた。
松本は渋沢信一条約局長を至急登庁させるために自宅に車を出すよう指示し、自ら
は首相官邸に急いだ。
迫水はその著『機関銃下の首相官邸』で書いている。
「私は英文のものを通読して先方の回答は、わが方の条件を真正面から承認しては
いないことは残念であるが、けっしてこれを否定しているものではないことを知って、
ほっとした心持ちになった。
しかし、こういう回答のあり方では、陸軍はじめ抗戦論者にいろいろ論拠を与えること
になるであろうと考えると、すこぶる憂うつであった」
深夜の首相宮部は一挙にあわただしくなった。やがて松本俊一外務次官も関係の係
官を同道して車を飛ばしてきた。
バーンズ回答は日本が出した四条件〈①国体の護持、②日本本土への保障、占領
はしない。する場合も限られた地域とする、③武装解除は日本の手で行う、④戦争犯
罪人は日本側で処分する)の承認を巧みに避けながらも、日本側に希望を残すという
名文であった。
つづく
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