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日本リーダーパワー史(604)『安倍・歴史外交への教訓(10)「世界史の中での日韓関係のパーセプションギャップ⑤」ー「日本の対中国、対朝鮮外交は、ほとんどウソで固められてきたといって過言でない。これを知ったうえで、戦後の外交を再検討、再出発する必要がある。(大宅壮一)

      2015/11/16

  日本リーダーパワー史(604)

『安倍・歴史外交への教訓(10)

「世界史の中での日韓関係パーセプションギャップ⑤」―

「外交とはウソをつくことである」ともいうが、とくに日本の対中国、対朝鮮外交は、ほとんどウソで固められてきたといっても過言でない。こういうことを頭に入れて、戦後の外交を再検討、再出発する必要がありはしないか。【大宅壮一)

エスノセントリズム(英: ethnocentrism、自民族中心主義)のギャップ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%8E%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0

http://www.ammanu.edu.jo/wiki1/ja/articles/%E3%82%A8/%E3%82%B9/%E3%83%8E/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%8E%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0.html

韓国との慰安婦問題の背景には日韓のパーセプションギャップ、エスノセントリズム

(英: ethnocentrism、自民族中心主義、自文化中心主義)、戦争、外交失敗の歴史がある

私は明治以来の日中韓150年戦争史という連載をこのブログで、5年ほど前から書いている。そのために、日中韓の外交史、戦争史、コミュニケーション史などの歴史文献をいろいろ読んで勉強しているが、なかなか平易に書かれた良くわかる本がない。徳富蘇峰の「近世日本国民史」などはその最適本だが、文語体なので読みづらい。福沢諭吉の中国、朝鮮論なども、尾崎行雄の中国論も同じく文語体なので読み読みづらい。

そんな中で大宅壮一の「炎が流れる」(第3巻、文芸春秋社、1964年)を読んで、これが一番良くわかると感心した、『昭和のマスコミの帝王』と言われた大宅壮一だけに『日韓併合の舞台裏』「朝鮮統治の2つの世論」「根強く残る対日敵意」など150Pにわたって、分かりやすくデータ豊富に日韓500年対立史「反日のルーツ」をまとめている。そのポイントを紹介する。

以下は「島国からの脱皮」ー大宅壮一「炎が流れる」

(第3巻、文芸春秋社、1964年)より

 ウソで固められた日韓・日中外交

「外交とはウソをつくことである」ともいわれているが、とくに日本の対シナ、対朝鮮外交にいたっては、ほとんどウソで固められてきたといっても、いいすぎではない。

このウソに2種類あった。

1つは、通訳がわざと誤訳したことで、

もう一つは、外交文書を改作したり、偽造したりしたことである。

双方の意志をそのまま相手国の主権者につたえたのでは、国交をつづけることができなくなる恐れがあるからだ。それというのも、この時代のアジアの国々やその主権者たちは、たいてい自尊心肥大症にかかっていたが、これはシナの中華思想、周囲の国々をすべて野蛮国あつかいするところから出たもので、朝鮮も日本も、多かれ少なかれ、この思想に感染していたのだ。

第一次〝朝鮮征伐“に失敗して、国力、体力ともにすっかり消耗してしまった秀吉に、第二次〝朝鮮征伐〃を決意させたのは、前に述べた西笑承兌(さいしょうしょうだ)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%AC%91%E6%89%BF%E5%85%8C

だといわれている。明帝の講和文のなかに、秀吉を「日本国王に封ずる」とあったのを、承兌が秀吉の面前で、その通り読みあげたのがいけなかったのである。ということは、この種の外交文書を読む場合に、適当にかげんすることがこれまで慣例になっていたということだ。

これを常習的におこなっていたのが対馬藩である。琉球と同じように、産業らしいもののない対馬津では、日本、朝鮮、シナの三角貿易によって藩の経済をささえてきたのであるが、〝朝鮮征伐″でそれがすっかりダメになった。なんとかして日朝の国交を回復したいと思い、朝鮮の漁民をつかまえ、これにそのむねを記した文書を持たせて送りかえしたところ、朝鮮のほうから、つぎのような返事をよこした。

「壬辰(〝朝鮮征伐″の年)以来、わが国には天朝(シナ)の軍隊が駐留し、その管理下におかれているので、勝手に講和できない。貴国としては、旧悪を改め、誠意をつくし、天将(駐留軍司令官)の疑いをとくほかはあるまい」

そのうちに、朝鮮のほうでも、講和の意欲がわいてきた。というのは、明の駐留軍が乱暴をはたらいて、手におえなくなったからだ。

1605年(慶長十)というと、〝関ケ原の役″の五年後であるが、家康は朝鮮の捕虜三千人を送りかえした。これに便乗して、対馬藩では再度朝鮮に講和を求めた。そのさい、朝鮮側の示した条件は、

一、まず家康のほうから朝鮮に国書を送ること

一、秀吉の軍隊が朝鮮に攻めこんだとき、朝鮮の先王の陵をあばいたが、その犯人をつかまえて送ること

対馬藩でこれをどう処理したかというと、第-の要求には、家康の名による国書を偽造し、第二の要求には、適当な囚人を物色して、陵をあばいた犯人に仕立てて送った。朝鮮側でこの犯人を調べたところ、白状しない、それに年齢があわないので信用しなかった。しかし、これでいちおうメンツが立ったので、朝鮮側も講和にのり出してきた。

かくて、二年後に日鮮の国交が回復した。その後、修好を深めるため対馬藩主・宗義智

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E7%BE%A9%E6%99%BA

が朝鮮に出した手紙のなかで、「家康が大阪城を攻めて豊臣家をほろぼしたのは、朝鮮の仇を討ったのも同じだ」と書いているが、これに朝鮮側はつぎのように答えている。

「大阪の戦争は、日本国内の勢力争いで、別にわが国の恨みを報いてくれたわけではない。

しかし、秀吉の悪業きわまり、天理に背いているので、家康をしてこれを誅滅せしたのであろう。したがって、わが国がその功を認め、祝賀の使いを出すことは、理由のないことでもない」

のちに、幕末の探検家・近藤重蔵

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%97%A4%E9%87%8D%E8%94%B5

が、対馬藩に伝わっている朝鮮国書の写しと、幕府で保存しているものとを照らしあわせたところによると、内容がずいぶんちがっていたことがわかった。

対馬で改作した国書の原本は、明治の国史・国文学者・小杉すぎ邨博士が所蔵していると辻善之助博士が書いているが、いまどうなっているかわからない。

将軍の称号も〝日本国王にしたり、〝日本国主〟にしたり、使いわけをしたようである。

のちにはもっぱら〝日本国大君〟と書くことにしたが、六代将軍家宣のとき、新井白石

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E4%BA%95%E7%99%BD%E7%9F%B3

の意見にしたがって、〝国王“で通すことに改めた。

いずれにしても、半島との交渉、貿易を長く独占していた対馬藩が、往復文書その他の面で、いろいろと小細工をしていたことは、幕府側にもよくわかっていたはずである。実利主義者の家康なども、わざと知らないふりをしていたのであろう。

このことは、一万三千石の対馬藩が日鮮国交回復あっせんの功によって、十万石の格式を与えられていたのを見ても明らかである。

こういうことを頭に入れて、戦後の日本の対韓国、対中国、対台湾の国民政府の外交を再検討、再出発する必要がありはしないか。

 - 現代史研究

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