日本リーダーパワー史(461)西郷隆盛論③王陽明学の始祖は中江藤樹、 吉田松陰、西郷隆盛と引き継がれ明治維新が成就した
「敬天愛人」民主的革命家としての「西郷隆盛」論③
<中野正剛(「戦時宰相論」の講演録より>
―日本での王陽明学の始祖は中江藤樹であり、
熊沢蕃山―大塩平八郎―佐久間象山―吉田松陰―
高杉晋作―西郷隆盛と引き継がれ、明治維新、
日本の近代民主革命が達成された。
中野正剛による「西郷南洲」論―<彼と英雄主義>
―わが国において南洲翁を啓発した王陽明学の始祖は
中江藤樹先生であります。
藤樹先生は幼にして父を喪い、伊予の大洲で叔父さんの家に養われて教育を受けられました。
その叔父さんは藩中でも有力な武士で、その家庭にはしばしば藩中の大身の武士達が出入して、夜更くるまで会談したこともあったそうであります。藤樹先生は幼な心に藩中お歴々の立派な侍たちが会談するから転は定めし有益の話が多かろう、後学のためにもなろうと次の間から聴き耳をたてて談話を窺ったのであります。
しかるに驚くべしこれらお歴々の武士達が話すことの卑俗、実に純真なる少年をして顰蹙(ひんしゅく)せしめずにはおかなかったのであります。そこで藤樹先生幼な心に思うよう、自分は文武の道を修めて立派な武士になりたい志願を有していた、しかるにその志の標的たる立派な武士なるものが、こんな見劣りはてたやからである。文武に出精してこんな武士になることが、抑々(そもそも)何の価値があろうかと。
たまたま大学を読むと、天子よりもって庶人(庶民)に至るまで、這身を修むるをもって本となすの一語があったのが、藤樹先生は始めて会心自覚、手の舞い足の踏む所を覚えず・「男子一生の偉業は功名富貴に非ず、顕位栄達に非ず、まさに胸中玲瓏(れいろう)の鏡を磨き、心裏清明の泉を面責して自己の真善美を究むるにあることを悟了せられたことは、有名な話であります。
この極めて平易な、極めて穏やかな発憤の中に、徳川幕府の勢威の下に卑屈していた人格の絶対権威を呼び起して、後世の英雄豪傑を蹶起せしむべき荘厳なる楔機を蔵していたのであります。
藤樹先生の一念がここに定まると、もう矢も楯もたまったものでありません。ただ一直線に聖賢の域に向って突貫し、滔々(とうとう)たる世の中の官位栄辱のごとき、全く眼に映らなかったのであります。
藤樹先生は始め伊予の大洲侯に仕えておられたのでありますが、二十七歳にして儒臣の職を辞し去り、遠く近江国小川村(滋賀県高島市)に帰って、もっぱら老母わく、藩侯にお仕えして書物の講釈をするのなら、天下に学者ほ多いから、必ずしも藤樹を要せられまい。
ただ故郷にある老母にとりては、藤樹は不肖なれども一人の愛児である、この自分の他に自分に代りて母に孝養を尽し得る著はない。
自分はその切実なるところにしたがって自分の道を行いたいと。これが藤樹先生が故郷に帰られた要旨であります。
進むも退くも一に道の切実なるに従うので、その行動も同様ではありませんが、身を挺して道に殉ずるの一念に至っては、その根拠を同じうするものであります。
藤樹先生が儒臣の職を辞して小川村に帰って後は、丸腰の一野人中江与右衛門であります。
この一個の中江与右衛門は生計の途を立つるために小さな居酒屋を開き、自ら小売商人として働く傍ら、門前の百姓の子を集めて聖賢の途を講じたのであります。
いわゆる門を出でずして教えを天下になすとは藤樹先生のことでありまして、場所は居酒屋の六畳の部屋、相手は門前の鼻垂れ小僧でも、藤樹先生の肺肝より流れ出ずる熱誠は、芝蘭(しらん)の幽谷に生ずるがごとく自ら四辺を薫化し去り、
熊沢蕃山(くまざわばんざん)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E6%B2%A2%E8%95%83%E5%B1%B1
http://homepage3.nifty.com/gochagocha/SubSubject/JinbutuKumazawaBanzan.htm
のごとき英傑も、招んかずしてその門下に慕い寄り、
後世、大塩中斎(大塩平八郎)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A1%A9%E5%B9%B3%E5%85%AB%E9%83%8E
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A1%A9%E5%B9%B3%E5%85%AB%E9%83%8E%E3%81%AE%E4%B9%B1
のごとき倣岸なる学者も、覚えず藤樹書院の前に涙を流して首を垂れ、
その他、佐久間象山、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E8%B1%A1%E5%B1%B1
吉田松陰、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%9D%BE%E9%99%B0
高杉晋作、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9D%89%E6%99%8B%E4%BD%9C
西郷隆盛、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E9%9A%86%E7%9B%9B
いずれも藤樹先生によって提唱せられた、日本独特の王陽明学に陶冶されるに至ったことは、実徳の人を感奮興起せしむる、実にその絶大なるに驚喫せざるを得ないのであります。
かの西郷南洲翁は参議・陸軍大将の衣冠と軍服とをかなぐり棄て、一個武村の吉之助として私学校の講堂の荒席の上に座り込んだ姿と、藤樹先生が小川村の与右衛門として、百姓の仲間に聖賢の道を講じた姿とは、形こそ異れ、共通の心覚が眼の前に見えるようであります。
衣冠を着けたり、大小を横たえたりしている人の心には真の通念は吹き込み難いのであります。
藤樹先生が百姓に仕うるの心、南洲翁が薩南の健児に訴える心、これらは皆、釈迦(しゃか)が乞食坊主の群に下り、孔子が子弟を伴いて陳祭の野に飢え、耶蘇(キリスト)が貧民の間に説教すると同じ境地にあるものでありまして、吾人が普通選挙を唱えた根本精神もまたこの外に出でないのであります。
藤樹先生の流風を汲みながら、経済、治水、産業の学によって、聖賢の志を行わんとしたのほ熊沢蕃山であります。蕃山は藤樹先生の門下に 跪(ひざまず)いて聖賢の心を修得したものでありますが、蕃山おもえらく、孔孟の道は仁義に尽く、人を慈しみ、百姓を憐れむは仁の心であろう、
しかし飢餓に迫れる百姓、親を養い得ない孝子、不遇に泣く節婦、それらは天下に充ち満ちて、とても一人二人に慈しみ憐みても、これを救済いからである。
おれの仕事は貧乏人に銭をくれてやることでない、幼児の頭を撫でてやることでもない、おれは総括的に天下を見渡して、かくのごとき幕府と諸侯との政道を正すことを仕事とせねばならぬ。
経済治水産業を人民に教えて、彼らの窮乏せる環境を改善してやらねばならぬと。これが蕃山の志であって、「おれが築いた堤防がいかなる大洪水にも壊れないのは、おれの工事の一鍬ごとに、藤樹先生によりて得たる仁愛の心が彫み込まれているからである」と豪語したのは、熊沢蕃山の気宇の大なるところであります。
これに反しましてもっぱら環境形勢に刺戟せられ、蕃山のごとく天下を大観するあたわず、藤樹先生の学問を、最も思い詰めた過激な形に現わして飢餓民のために暴動を起した者は大塩平八郎であります。
蕃山は民をして飢えさせないために経済治水の学を講じたのでありますが、大塩は飢えたる民を黙視するのに忍びず、猛然として激発したのであります。その表現の形式は異りますが、民を憐む衷情(ちゆうじよう)に至っては一つであります。
かの大塩中斎が天保の大飢饉の際、餓草野に横たわるを見るに忍びず、これが救済を富豪に説きて富豪に侮辱せられ、官権に訴えて官権に迫害せられながら、なお日夜心を砕きて東奔西走し、遂に命より大切なる蔵書までも売り尽して貧民を賑わしたのは、まさしく藤樹先生の仁慈の心に促されたものであります。
しかるに一夜、棄児を眼前に見るに及び、その悲痛なる泣き声はすなわち我が胸裡の泣き声であると叫び、今はよそ事に非ず、我が心これがためわん傷すと称して、遂に蹶起するに至ったのは、余りに差し迫りたる行動なりとはいえ、
藤樹先生が職を辞して故郷に帰ったこと、南洲翁が一万五千の子弟の前に、その一心を投げ出したことと、共通の心境がほの見ゆるではありませんか。
つづく
日本リーダーパワー史(460)「敬天愛人ー日本における革命思想源流の陽明学の最高実践者
「西郷隆盛」論・ 中野正剛著②
http://maesaka-toshiyuki.com/top/detail/2381
関連記事
-
『国難逆転突破力を発揮した偉人の研究』★『徳川幕府崩壊をソフトランディングさせた勝海舟(76歳)の国難突破力①『政治家の秘訣は正心誠意、何事でもすべて知行合一』★『すべて金が土台じゃ、借金をするな、こしらえるな』★『借金、外債で国がつぶれて植民地にされる』★『昔の英雄、明君は経済に苦心し成功した』★『他人の本を読んだだけの学者の学問は、容易だけれども、おれらがやる無学の学間は、実にむつかしいよ 』
2012/12/04 /日本リーダーパワー史(350)記事再録 ◎ …
-
『稲村ヶ崎サーフィン・モンスターウエーブ動画特集⓶』★『稲村ケ崎ビッグサーフィン(2018/9/29am720-8,30)-台風24号の大波を乗りこなすサーフィンーテクニック①』★『台風19号接近中の鎌倉稲村ヶ崎サーフィン (2019/9/10am7)-ついに来ましたビッグウエーブ、約50人の命知らずのサーファーが『決闘中!』
稲村ケ崎ビッグサーフィン(2018/9/29am720-8,30) …
-
日本リーダーパワー史(656)「大宰相・吉田茂の見た『明治』と『昭和前期』のトップリーダーの違い」日本は、昭和に入ってなぜ破滅の道を歩んだのか。 『栄光の明治』と、『坂の上から転落した昭和の悲惨』
日本リーダーパワー史(656) 「大宰相・吉田茂の見た『明治』と『昭和前期』 …
-
『全米を熱狂させたファースト・サムライのトミー(立石斧次郎)』――
1 <日本経済新聞文化面2004年8月2日朝刊掲載> 前坂 俊之<静岡県立大学国 …
-
『オンライン/日本はなぜ無謀な戦争をしたかがよくわかる講座』★『今から90年前に日本は中国と満州事変(1931年)を起し、その10年後の1941年に太平洋戦争(真珠湾攻撃)に突入した』★『その当事者の東條英機開戦内閣の嶋田繁太郎海相が戦争の原因、陸軍の下剋上の内幕、主要な禍根、過誤の反省と弁明を語る』
2011/09/05 日本リーダーパワー史(188)記事再録 日本の …
-
百歳学入門(173)-『生死一如』★『百歳天女からの心に響くメッセージ』―60,70/洟垂れ娘への応援歌」★『108歳 蟹江ぎん、107歳きんギネス長寿姉妹』★『「人間、大事なのは気力ですよ。自分から何かをする意欲を持っこと」』★『悲しいことやつらいことをいつまでも引きづらない。クヨクヨしないことよ。』
百歳学入門(172)-『生死一如』 『百歳天女からの心に響くメッセージ』―60 …
-
★(まとめ記事再録)『現代史の復習問題』★『ガラパゴス国家・日本敗戦史③』150回連載の31回~40回まで』●『『アジア・太平洋戦争全面敗北に至る終戦時の決定力、決断力ゼロは「最高戦争指導会議」「大本営」の機能不全、無責任体制にあるー現在も「この統治システム不全は引き続いている』★『『日本近代最大の知識人・徳富蘇峰(「百敗院泡沫頑蘇居士」)が語る『なぜ日本は敗れたのか・その原因』
★(まとめ記事再録)『現代史の復習問題』★ 『ガラパゴス国家・日本敗戦史③ 』1 …
-
『リーダーシップの世界日本近現代史』(281)★『空前絶後の名将・川上操六陸軍参謀総長(27)『イギリス情報部の父』ウォルシンガムと比肩する『日本インテリジェンスの父』
2011/06/29/ 日本リーダーパワー史( …
-
『オンライン講座/バイデン氏当選、トランプ大統領往生際の悪さの研究(下)(2020年11月15日までの経過)』★『1月20日以後はトランプ氏は脱税容疑などで逮捕か、自己恩赦か!?』★『波乱万丈の裸の王様物語」のおわり』
、トランプ大統領往生際の悪さの研究(下) 前坂 俊之(ジャー …