高杉晋吾レポート⑫「脱原発」「脱ダム」時代の官僚像ーー元、淀川水系流域委員長 宮本博司氏インタビュー(中)
高杉晋吾レポート⑫
ダム推進バリバリの元国交省エリート、宮本博司がダム反対に変ったのは?
「脱原発」「脱ダム」時代の官僚像
元、淀川水系流域委員長 宮本博司氏インタビュー(中)
高杉晋吾(フリージャナリスト)
宮本氏の淀川水系流域委員会参加のいきさつ
高杉,
その経過を時系列で見ますとどのくらいの時間がたっていますか・
宮本
2001年1月、淀川流域委員はスタートしました。その後、いくつかの経過があって2006年、私は国交省を辞めました。
高杉
宮本さん。国交省を止めるってどう考えても国交省と宮本さんの間で何か有ったからやめたとしか考えられませんね」
宮本氏は其の疑問に答えなかった。だが私は下記の文章で宮本氏が国交省を止めた背景を読み取ることができた。
( 注、その経過については「どうしてもダムなんですか?―淀川水系流域委員会奮闘記」古谷桂信著―岩波書店2009年11月刊。今本博健京都大学名誉教授が発言している 。
(p42) 「2005年6月、宮本さん。本省へ」
今本、国交省本省は『淀川水系流域委員会を何とかしてつぶしてやろう』と思っていました。坪香君、宮本君、二人の近畿地方整備局の河川部長は、最初からの約束通り、委員会の自由な審議を守ってくれました。本省からの圧力を跳ね返し、淀川流域委員会の防波堤になってくれたのです。しかし2005年6月、本省は宮本君を防災課長として本省に呼び返しました。防災課長は緊急災害時に30分以内に首相官邸に駆けつけないといけないのです。宮本君を淀川から引き離し、関東に幽閉するためのポストですな。
そして2005年7月1日、『淀川水系五ダムについての方針』が唐突に出されました。河川管理者(国交省近畿地方整備局)から委員会に連絡があったのはその前日のことです。『余野川ダム』と大戸川ダムは当面実施しない。川上ダムと天ケ瀬ダム再開発は必要。丹生ダムは治水専用の流水型(穴あき)ダムとして建設する』という内容でした。寺田委員長は発表のその日に抗議声明を出しました。
国交省はこの抗議を発表した宮本さんを更迭し、後任に近畿地方整備局河川部長である谷本光司氏を派遣した。谷本氏は前職は水資源機構関西支部副支社長でした。谷本さんは、そのころすでに、『私は淀川のお目付け役できています』と公言していました。その谷本さんが、河川部長になったということは、いよいよ霞が関が直接淀川に住民主導ではなく国家主導の牙を向け始めたということです。」
今本さんはこの様に語っている。
滋賀県知事に嘉田由紀子氏当選
つまり財界のダム作り推進を何としても実現したい国交省本省は、淀川水系流域委員会の「河川法改正は『ダム作りを基本にするのではなく、住民の意見をちゃんと反映したうえでやって行こう』と云う淀川水系流域委員会の住民主導の方針に危機感を抱き、住民主導の方針を貫く宮本氏の動きを封じるために、宮本氏を本省に閉じ込め、彼の幽閉を進め、谷本氏を淀川のダム推進のための監視人として派遣したのである。
ところがこの事態を再び逆転させる問題が発生した。
一つは淀川水系流域委員であった嘉田由紀子氏が、2006年7月2日、滋賀県知事選に出馬し、大方の下馬評を覆して当選してしまったのである。
嘉田氏は「防災ではなく減災、ダムではなく地域で水害を受け止める」という宮本氏と意見を共にし、その方針を強く主張していた。
当時の滋賀県国松善次知事は「流域委員会がダムの効果は限定的だ」と主張しても、頑として財界の意向に従ってダム推進を主張していたのであった。だから流域委員会に反対する河川行政が行われていた。
嘉田さんはこの状況を琵琶湖博物館長として琵琶湖や淀川水系の現実を研究し熟知する立場で、宮本氏の国交省への幽閉と、その後の国交省辞任にショックを受け、国松県政への憂慮と批判を強めていた。だから県政を変える必要を誰よりも強く感じ、悩みに悩んだ末に知事選への出馬を決心したのである。
滋賀県県知事選挙に流域委員会の嘉田由紀子氏が当選したことは淀川水系流域の河川行政の民主化に大きな展望を切り開くものであった。
2007年、第三次委員会発足、宮本氏、委員長に就任。
〔注、「どうしてもダムなんですか」淀川流域委員会奮闘記、古谷桂信著。岩波書店刊。〕
宮本、
近畿地方整備局では、当時、動いていたダムが五つありました。北から丹生ダム、大戸川(だいどがわ)ダム、天ケ瀬再開発ダム、川上ダム、余野川ダムの五つです。このダムについて、「それらのダムはどうしても要るのか」、と私が流域委員会の役員の時に質問したが国交省は、どう説明しようとしても説明できなかった。そこでそのダムについて中止を発表しようとした。
高杉,
そのあたりのいきさつをもう少し具体的にお話ししてください。委員会の管理者は説明したい内容をなぜ説明できなかったんですか。
宮本、
もともと淀川では二百年に一回という洪水規模を基礎に高水の実態を計算していた。それを、基礎に計画高水量を計算してダムの規模を作っていた。
私たちの流域委員会では「建設省は、二百年に一回という洪水の計算でこれから何十年もかかってダムを完成させる計算だが、そのことは、現在生きている人たちの命を守るということにはつながらないではないか。
我々の治水対策の目的は、現在生きている人たちの命を守るということじゃありませんか?
いつ起きるかわからない、そしてどんな規模の水害が起きるかわからない水害に対して、立つはずがない予測を前提にダムの規模など決めること自体が馬鹿らしい話だ。成り立たない予測をを、好き勝手に国交省は決めている。
二百年に一回の洪水が対象だというが、五百年に一回の規模の洪水が起きるかもわからない。そうなったら二百年に一度の規模のダムはたちまち破壊されてしまう。住民の命を守ることはできない。
高杉、
今回の東日本大震災でも予想を超えた津波が来た瞬間に、「百年の安全を確立した。市民は安心だ」と歌まで作って釜石市民に自慢していたが、そういう馬鹿らしい予想によって作った湾口防波堤が瞬間に崩壊し、釜石市や大船度市は壊滅した。釜石市民は1400人の死者行方不明者を出した。
宮本さんはこの事態を淀川流域委員会で見通していた訳ですね。
宮本
国交省は、計画高水では足りない分はたくさんのダムを作って足りない分を補うという言い分で多くのダム計画を作った。其のうちのワンノブゼムが、たとえば大戸川ダムであり、川上ダムと云う訳ですよ。
二百年に一度の大洪水に備えるというが、この数字のからくりは?
宮本
それができたところでそれ以上の災害が生ずれば全く効果はない。ダムを作ることの効果は二百年に一度以下の洪水には効果は有ったとしても、それを超えた場合には全く役に立たないばかりか、堤防は破堤し、大洪水を招き、大勢の人が死んで、財産を失う。却って被害が大きくなるじゃないか。
その中で、われわれ流域委員会は
「いま生きている人たちの命を守るためにはどうしたら良いのか」
それよりもやるべきことがある。今ある土と砂の堤防を、最低限補強しなければいかんでしょう。なおかつ、国交省や業者がやろうとしている、ダムによって、川の中に洪水を治めきるということは不可能なんだ。それで抑えきろうとしても、できない。やれば失敗する。失敗したら壊滅的な被害になる。
住民の命を守るためには、机上の数値計算でダムや河川に水を閉じ込める治水ではなく、霞堤野越しなどで、洪水の力を肯定しながら、その力を柔軟に分散する野越や霞堤等の旧来の治水方式等の発展的な見直しが必要です。
そのために衆知を集めて古い要素も含めた新しい方式を考えなければならない時代に入ったと思います。
大戸川ダムで予想した以下の規模の洪水が来たらクリアするかもしれないが、それ以上のものが来たら駄目ですよ。却って惨憺たる被害が生じますよ。
(高杉注、この淀川水系流域委員会の主張がそのまま今回の東日本大津波で発生し証明されている。チリ津浪では成功し、湾口防波堤を大々的に宣伝したが、それ以上の東日本大震災では湾口防波堤は惨憺たる結果に終わり釜石市は1300人以上の死者行方不明者を出した)
高杉,
その通りの結果が東日本大震災の大津波で証明されていますね。全く淀川流域委員会、そして貴方の主張に賛成ですね。
宮本、
私は本省の役人でしたから、こういう流域委員会の主張に対して当然説明できない。河川法では計画原案は国交省が提起するが住民に説明できないものは当然計画の推進は不可能と云うことだから私は本省の河川局まで説明し了解を取った。
だから中止にしようとした。その途中で私は東京に異動させられた。そのあたりから中止しようとしたダムを復活することになりまして、大戸川ダムが復活しようとした。
大戸川ダム復活の訳のわからないへ理屈
ところが、その復活の理屈は、本当の数字の辻褄合わせです。私は驚天動地です。
「それは違うでしょう」とやった。その結果として国交省は我々の委員会を無視した。だが滋賀県と大阪と京都の知事が〔そういう理屈では大戸川ダムはできない〕と云うことになった。
高杉
嘉田さんは素晴らしいね。他の知事も、その件に関してはまともだった。
宮本、
そこで話は戻りますが、ダムの必要性について説明できなかったということですが、その具体的な内容を御話ししたいと思います
説明できなかった内容はこういうことなんです。国は計画規模を「二百年に一回の洪水に対応するダムの規模」と決めますね。
何で二百年に一回なんだと。この説明が国にはできないんです。
高杉,
そうですか。何となく二百年に一回の規模の洪水に対応するダムだと国交省が云えば、「なるほどそうか!」とわかったような気になりますね。実はそこに大問題があると,国交省が説明できないんだと、元国交省のダム担当の最先端であり最も中心にいた宮本さんが云われるんだから、信ぴょう性がありますね。
なぜ「二百年に一度」等の洪水を洪水対策の基準にするのか?
宮本、
二百年に一回の洪水に対する治水か、150年に一回の洪水に対する治水か.その数字こそがダムを作るのか、要らないのか、その起点になる数字なんです。
高杉
そうですね。考えてみれば、そこのところが分かったようで分からない。実はそこのところに自分の命がかかっている核心の問題がある。国民が真剣に考えなければならない核心の謎なんですから、国交省も真剣に国民に説明する必要がありますね。
宮本、
その通りですよ。計画規模は二百年に一度とか百年に一度の洪水を基準に、その分の洪水をカットするための洪水対策を施すというわけです。「基本高水はこうだ。だから計画高水はこうだ。この計画規模を三百年に一回にしたらどうか?
百五十年に一回にしたらどうか?するとダムがもっと幾つも要るとか、要らないではないかとか、いくらでも変わってしまう」。
この計画規模は治水対策にとっては決定的な決めごとなんです。この決めごとによってダムがたくさん要るのか要らないかということを決める決定的な数値なのに、なぜんに百年に一度という数値になるのかという説明ができない。
数値を基本に治水政策を決めるのは空理空論であると思います。そういう治水対策の考え方ではなく、地球の状況に応じて、我々の予想を超えた、いろんな雨が降る。そういう予測を超えた天候によって一体何が起きるのか?
そんな「予想がつかない雨が降り天候が起きる。その「起こったこと」によってどれだけ住民の命が危なくなるのか?そういう考え方で治水対策をやって行こうじゃないか!
大戸川ダムの場合
高杉,
貴方が言われた批判の言葉の中に、国交省の治水対策は妙な「割り切り」とか「前提」があると云うことに対する批判がありますが、「前提」「割り切り」と云う言葉の説明をしてください。
宮本
たとえば計画規模から雨を出しますよね。雨を出す時に、いろいろな統計解析をします。その統計解析手法によって答えが色いろと出てきます。たくさんある答えの中で、これにしましょうと答えを割りきってしまう。
実際は割り切れるものではないですよ。いろいろある答えのこの部分を拾って、他の部分を捨てたのはなぜかわからない。だから答えがないはずなのに割り切って答えを出してしまう。これが一つです。
それから前提と云うのも例えば、雨が降ったときにどれだけの雨が降って、その土地にどれだけの浸水が起きるのかというのは土地利用の変化によって変わってくる。森林状態が変わったら。だけど、これは今の状態で計算してしまう。
これは百年後も変わらないという前提でやっている。
それから百年に一回という大洪水になったら、水だけが出てくるのではなく、土砂が崩壊してくる。その量は馬鹿に出来ない量になる。ところがそんな計算もしない。とにかく割り切り前提がたくさん入っている。
(高杉注、なぜ国交省は「割り切り」や「前提」を作るのか?その国交省の動機はどこにあるのか?そこが問題の核心であり謎である。その核心や謎の動機は、〔割り切り〕や〔前提〕が鉄、セメント、ゼネコンなどの利権や投機活動のために有利になること、住民の命のためのものではないことと考えればすべて辻褄が合う。)
私は自分でそういう「割り切り計算」、「前提」をたくさんしていましたから、分かっています。こういうことで、まともに住民に説明して納得を得ることはあり得ないですよ。だからこういう考え方はやめたんです。
国交省の大ボラ。大戸川ダム、ない場合とある場合の比較
宮本、
その実例として大戸川ダムの話をしましょう。大戸川ダム予定地は琵琶湖から流出口の左岸に大戸川という支流があります。琵琶湖の出口から瀬田川が流出しています。すぐ左岸の支流が大戸川です。信楽山地の高旗山(標高710m)を源とする大戸川は、甲賀市信楽町から大津市南部を流下して瀬田川に合流する、
流域面積190k㎡、流路延長38kmの一級河川です。そして瀬田川は、天ヶ瀬ダムで宇治川と名前を変え、やがて桂川、木津川と合わせて淀川となります。
大戸川ダムはこういうところに作る計画です。
此処で一番わかりやすいのは、最終的に大戸川ダムが要るかどうか揉めたとき、国交省が出してきた資料がこれです。
大戸川ダムがある時、ない時の比較図です。
大戸川ダムがない時。被害額は 約19兆4800億円。
浸水面積 約10,100ha.
浸水戸数 約32万3千戸
大戸川ダムを造った場合、被害額は ゼロ円。
浸水面積 ゼロha
浸水戸数 ゼロ
これは今までしたら「なるほどなあ!」と。「そうか!こんなに効果があるなら少々の金を出してもダム造ってもらうか!」となるわけですよ。ところがこの図だけ見ていると「なるほどとなるが「実際にダムができた場合に実測した水位と、ダムがない場合の水位は、どれだけ違うんですか?」と聞くと、国交省の検証でもダムがない場合は17cm―19cmだけ水位が高くなると云うんです。
その差が国交省の宣伝では19センチ水位が高くなれば堤防が壊れて19兆5千億円の被害になるし、19センチ低ければ被害はゼロになる、ということなんです。
高杉,
はっはあ!そういうことなんですね。後でお見せしますが釜石の湾口防波堤もある場合とない場合の比較を大津波の前に宣伝していますが、今回の大地震、大津波でその嘘が直ちにばれてしまった。この図が最新のものです。
堤防を作ったらダムは要らなくなる。堤防の補強はなし
宮本、
そうですか!大戸川ダムも同じような問題に直面したんですよ。この問題が核心です。
この白い線が計画洪水位と云うんですね。この計画洪水位と云うのは河道が全部完成したときに流れる水位なんですよ。国交省はこれよりも低い堤防の箇所までは補強します。此処まで水が来ても大丈夫ですと。ところがこれよりも19センチ高いところまで水が来た場合は、堤防は壊れますと云うんです。
私たちは当然のことながらこれより高いところまで水が来るんだから補強しろと云うんですが国交省はなぜか基本的には補強しないと云うんです。そこでびっくりするような論理を国交省は展開します。此処よりも高いところに水が来たら、補強していないから破堤する。だからダムを作ります。
人命を守るためには堤防を直ぐに補強することが必要なのに、人命を守る堤防の補強をすると、ダムは要らなくなる。ダムがつくれないと困るから、堤防の補強はしない。補強しないんだからダムを作ると強弁するんです。
理屈も筋もない。ただ「財界がダムを作れというから、堤防も補強せず、ダムを作る」というダム至上主義です。
人命は堤防の補強で救えるのに、ダムを作るという至上命令に従って堤防の補強はしないというのですから。今、人の命を救うためにはとりあえずの対策として命を守る堤防補強は必要でしょう。今人の命を救うことが治水の根本ですから。国交省はダムを造るために堤防の補強をしないという。
補強すればダムは要らないということになるからだ。人の命よりもダム作りを優先する考え方が見え見えだ。でもダムができて200年に一度の水位では無く、それを超えたらものすごい被害が出る。
高水論の数字争いはダム派が仕掛けた「猫じゃらし」?
高杉,
ダムを作るために故意に堤防の補強をしないという理屈は、何度考えたところでそういう論理は成り立つはずがないね。唯一、ダムを作ることだけが至上の目的になったへ理屈だ。いくらなんでもそういう理屈が成り立たないのはわかり切っているのに、何でそんなことを言えるのかね?絶対に普通の神経を持った人間ならば言えない論理だね。
宮本、
だからそれが〔割り切り〕なんですよ。これは完全に数字だけの辻褄合わせですね。所がすべてのダム計画は同じことです。ダムを作るという至上課題に沿って屁理屈を並べてダムが必要だと住民に迫る。
高杉,
その相手にしてはならない数字遊びを反対運動に迫って、人命を救うためではないでたらめの数字の『正否』を空理空論好きリーダーが正否を争い始める。それがいわゆる高水論争なんですね。「19センチの差が正しいかどうか?」なんて全く実態のない幻に向かって喧嘩しているようなものですね。幻を斬っても血も出ない。相手は幻ですから、無限に斬り続けても喧嘩にならない。それを私は「猫じゃらし」と呼んでいる。そんな数字に引っかかって運動が泥沼に入り方向を見失う。
宮本,
そういうことですよ。
高杉、
あんまりそういう話だと、いくらなんでももう少しまともな説明をするだろうと思ってしまいますよね。私も一切国交省の言い分を信じてはいませんから、国交省はでたらめを言っていると考えています。だからその幻の数字に対して『正しい数字』などあり様がない。国交省でダム作りの先頭を切っていた宮本さんが、そこまであからさまに国交省の高水論のでたらめさを言われると、驚きを通り越して自分の頭を信じられなくなるね。そういう国交省の高水の数字とじゃれているようでは反対運動も困るんじゃありませんか?幻に斬りつけても空を切るだけだ。
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