日本リーダーパワー史(302)今、ジャーナリストは戦時下の認識を持ち>原発報道と日中韓歴史認識を『国際連盟脱退』と比較する⑨
日本リーダーパワー史(302)
–3.11福島原発事故から1年半―⑨
<今、ジャーナリストは戦時下の認識を持ち>
―原発報道と日中韓歴史認識ネジレを『国際
連盟脱退』と比較することが大切⑨―
前坂 俊之(ジャーナリスト)
「国際連盟脱退・唯一脱退に反対した時事新報の見識」
ところで、連盟脱退について『朝日』『毎日』や他の新聞と画然と異なり、一貫して反対し続けた『時事新報』についてはほとんど知られていない。
1933(昭和八)年2月の『時事』の脱退反対の社説は連日掲載されており月間12本にのぼった。
1・・「脱退は誰でも出来る。脱退しないのが外交」
「脱退は誰でも出来る。脱退しないのが外交」と論陣を張り、最後まで反対した。時代になびき、ヒステリックに孤立化を叫び、国際社会に背を向けるキャンペーンを張った『朝日』『毎日』とは際立った差を見せつけた。時事の冷静な主張は今ふり返ってもさん然と輝いているし、時代を見抜くジャーナリストの見識を示している。
時事新報の社説のタイトルは――。
一月十一日 「日支紛争と連盟の打開策」
二十六日 「外交質疑演説の誤伝――報道の不可分」
二月 一日 「連盟脱退の前に外交あり――何故の閣議か」
二日 「脱退未然の外交に就いて――之より本舞台」
九日 「双方交渉の限を尽くす可し――日本と連盟」
十一日 「国際連盟反省の余地如何――事務総長書簡」
十二日 「第四項適用と脱退問題――遂に四項に到る」
十四日 「静に第四項を見る可し――言、文慎重なれ」
十五日 「真の大国民は冷静なれ―対連盟の危機」
十六日 「元老重臣会議の観点――脱退か留盟か」
2
十七日 「勧告は単に勧告のみ――少しも怖れず」
十八日 「脱退か留盟か議論を尽くせ――国論一致の途」
二十一日 「遂に連盟脱退に一決す――大責任と決心」
二十五日 「日本と連盟の最後の日――大地を踏んで行く」
その内容をみてみよう。
2・・脱退するは易く、脱退せざるは難し
「連盟脱退前に外交あり」(2月1目)では、「脱退は最も雑作なき行動で書生にも出来る外交結末である」と断定し「外交的には、脱退するは易く、脱退せざるは難いのである。而して吾々は政府に対し、その易きに就く前に、難きに赴かんことを求めねばならない」とクギを刺した。
「双方交渉の限を尽くす可し」(二月九日)では「互いに倦(う)まず且つ急がず、解決の期日の如きは暫らく考慮の外に置いて、その尽くし得る人事を余す所なく、また後世の史家に依って遺憾を指摘せらるる所なきまでに、悠々尽力せんことを希望して己まない」として「飽くまでも大国としての日本、及び国際協調に忠実なる国としての日本」を強調した。
「静に第四項を見る可し」(2月14日)では、当局者の「桜は散るべき時に散る」などという民衆を刺激し、誤解させる言動は慎むべきだとし、「脱退というが如き世界的大問
題の決定は国民が慎重に第四項の報告及び勧告文の表裏を検討し、更に将来の国運民福を省察したる後に初めて行わるべき」と重ねて、冷静なる判断を求めた。
隠忍自重を求め、あくまで連盟にとどまるべきだと主張する『時事』は「真の大国民は冷静なれ」(2月15日)で再びこの論旨をくり返す。
「連盟は無礼なり、失敬なりと憤って端的に之を脱退して見ても、連盟がその無礼失敬を取消して改めて日本を迎えにくるものでもない」として、脱退は「連盟を創造した日本は五大国の一つとして無形の大財産を置去りにして、裸のまま家出するに等しい」とたとえた。
「連盟が日本を出て行けがしに罵ったとしても、頑として端坐して動かず、澄心瞑黙徐々に彼が教導を後日に期して安心立命するの境地こそ、大日本当面の意気地なれ」と主張した。
続く「元老重臣会議の観点」(2月16日)では、政府が連盟脱退か否か、元老重臣会議を開催するに際して、「日本帝国が国際連盟に加入する事実と満州国を承認せる事実とは、主義に於て全然一致するものである」と後者が前者を否定しないと主張、
「世界平和に献ぜんとする日本の根本国策が連盟加入の理由である限り、而して日本の平和に対する誠意の不変なる以上、自分から連盟を脱退する理由は容易に想像し得ない」と述べ、「吾々は何年がかりの忍耐を以てしても、満州国を承認させたい以上、今後尚連盟内にあって活動を続けることが、国策とも一致する」とくり返し主張した。
3・・42対1の圧倒的大差で完敗
国際連盟十九人委員会会議は2月1日開かれリットン報告の原則に基づいて①満州に於ける支那の主権確認②満州国不承認などの勧告が出された。
これに対し「勧告は単に勧告のみ」(2月17日)では、「要するに勧告は、その文字通り勧告であって、連盟の如何なる規定も之を強制するの途なく、況んや制裁の法なきは尚更である」として、「聞き飽きた勧告は其まま懐に温め、飽くまでも冷静に、少しも騒がずまた怖れず、而して日本の平和信念と国策信念と国策心情とを天下に公表し、薄々と世に説いて、今日の敵を明日は味方とするの大度量あって然るべきものである」
連盟脱退が決定した段階では「遂に連盟脱退に一決す」(2月21日)で、「脱退後といえど雖も、日本の大主義大方針は日月運行の正規を踏んで少しもかわ渝る所はない筈である。この点を含んで戦争心理、などに踊らさることなく、飽くまでも冷静なる大国民の面目を保持せねばならない」
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連盟総会で四十二対一の圧倒的大差で完敗した二十五日「日本と連盟の最後の日」ではこう主張した。
「脱退は不意に落ち来った氷雪ではない。既に雨具の綢繆(ちゅうびょう)も成っている筈であるから、国民は少しも騒がず、静に身仕度を調えて自分の信ずる正道を、迷わずに歩まねばならない。焦り急いで駆け出すようなことなく、大地を踏みしめつつ行く従容たる大国民の態度でなければならない」
こう国民の態度を述べた上で、「平和国策は不変」とクギを刺し、次のような堂々たる論調を掲げた。
「明治大帝がいくたびか天下に宣揚遊ばされたる帝国の平和主義と人類愛の大国策は、今回満州問題の為に連盟を脱退するの一事に依って寸分も歩趨を柾げるものではない。
凡そ現実に世界の平和に献じ、人類の至福に役立つべき事業に対しては、日本は常に大国と協心戮力するの良心を堅持して渝らざることを、この際特に天下に宣示するの適切なるを信ずるものである」
『朝日』『毎日』と比べると正しく大人と子供のような認識の差である。
さて、当の松岡本人も脱退が本意でなく、しょう然として米国へ渡り、ほとぼりがさめてから帰国するつもりだった。
4・・国内の大歓迎に面食らった松岡
ところが、日本では脱退の英雄として松岡を祭り上げていた。松岡に随員した土橋勇逸陸軍中佐は回想する。
「行って日本の情況を眺めた。そして驚いたり、自分の耳を疑ったりした。松岡を礼讃し、正に英雄に祭り上げている。狐につままれたというのはこのことであろう。叱られると決めて日本に帰ることをチュウチョしていたのに。
これは早速帰らねばならぬ。敗軍の将としてではない。全く常勝将軍の心意気でである。そして横浜の岸壁における歓迎ぶりが、凱旋将軍そのものであったことは言うまでもない(14)」
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帰国すると非難されると思っていた松岡は国内では大歓迎を受けて面くらった。「で非常時といいながら、私をこんなに歓迎するとは、皆の頭がどうかしていやしないか」と帰国した夜、郷里の歓迎会の席上、もらした。国全体が井の中の蛙になっていたのである。
日本が連盟を脱退した翌日、地元ジュネーブの『ジュルナ・ド・ジュネーブ』はこう書いた。
「日本はこの14年間、連盟の常任理事国として大きな役割をはたしてきた。2人の事務局長、新渡戸稲造氏と杉村陽太郎氏は多くの人々の支持と尊敬を得ていた。しかし、日本はいま立ち去ろうとしている。
理由は明確である。連盟のメンバーは皆、日本が連盟の規約を破ったと判定した。一九三一年九月以来、日出ずるところの帝国は連盟を根底からゆるがしてきた。日本は世界に孤立し、いったいどのような見通しを未来に持っているのか。前世紀ならいざしらず、もはや国際社会に孤立して生きることはできない。
日本はそのことに気づいていない。極度な国家主義に支配された彼らは、まもなく熱河での勝利に歓喜するのであろう。国際社会にうまれたこの深い亀裂。世界平和のため、今後連盟は何をなしうるのか、未来はただ神のみが知る(15)」
清沢は満州事変から連盟脱退までに新聞の担った役割を次のように書いている。
「新聞が、食客が三杯目を出す時のように、遠慮ばかりしているのは軍部を恐がっているからだというものがある。成程、日本においては一つの勢力として最も強力なものが軍部であるのは事実だ。
5・・ただの一つも批判的な言論も生まれなかった
しかし営利新聞の恐いのは一つの勢力でなくて、購売者の離反だ。購売者さえついて来れば――外の言葉でいえば大衆の第一思念さえ満足させることが出来れば、随分この強い勢力にも打突かるであろうことは過去の事実によって証拠だてられる。
新聞雑誌の目がけるものは、大衆の第一思念であるが、この第一思念は新聞によって更に強化され、新聞はこれをまた追いかけるという循環作用が行われる。その結果、大衆はますます一本道を燃え立つし、こうなると新聞は更にそれ以上に感情的刺激を供給する必要にかられる。かくて、一定の極度に達すれば、これに大きな反動が来るのは自然の理法として当然だ。
満州事変によって利益したものの中には、軍需品工場の外に確かに新聞業もある筈だ。そこでジャーナリズムの営業心理は自然に外に向っては日本の立場が絶対に正義である事内に対しては日本独自のもの-日本精神、日本主義が世界に冠たるものであることを昂揚し、極説し、確信させた。
故に、松岡洋右君が国際連盟で大見栄を切って退場した時に、日本の新聞に伝えられたのは、かれの片言隻語までであって、これに対する世界の批判や支那側の出来栄えを併せ報ずることではなかった。
現在のジャーナリズムが全体として、その機構の上から、大衆の第一思念を押へて第二思念を目がけることは困難であり、特に大衆の反論が燃えさかる時にこれに触れることは危険であることは前に述べた。
これが満州事変、上海事変、五・一五事件等を通じて、殆んどただの一つも批判的な言論がジャーナリズムから生まれなかった理由である(16)」
(つづく)
(参考文献)
(14)『ドキュメント昭和史2 満州事変と二・二六』-「国際連盟脱退管見」土橋勇逸 平凡社 1975年刊 152-153P
(15)『ドキュメント昭和 十字架上の日本国際連盟との訣別』 NHK〝ドキュメント昭
和″取材班編 角川書店 1987年刊 202-203P
(16)『激動期に生く』 清沢 洌(千倉書房 1934年刊 165-169P
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