日中北朝鮮150年戦争史(38)<歴史復習問題>『120年前の日清戦争の真実]』③戦前、世界も日本も、圧勝を予想したものはなかった。ただl人、大本営で日清戦争を全面指揮した川上操六川上操六の インテリジェンスの勝利であった。
2016/10/03
日中北朝鮮150年戦争史(38)
<歴史復習問題>『120年前の日清戦争の真実』③
戦前、世界も日本も、圧勝を予想したものはなかった。
ただl人、大本営で日清戦争を全面指揮した川上操六の
インテリジェンスの勝利。
旅順の戦い、鴨緑江の戦い
黄海の制海権を握った日本軍は、陸軍部隊の輸送が順調に進んだ。大本営は川上の発案で広島に進出することになり、9月15日、明治天皇も広島大本営に到着した。
第一軍は野津の第5師団、桂太郎の第3師団からなり、開戦1カ月後にやっと編成が決まり、陸軍の大御所・山県有朋大将が司令官にすわり、病を押して9月中旬、京城に乗り込み陣頭指揮をとった。
第一軍の作戦は清軍を鴨緑江以北に撃退することで山県は「兵は勢いなり。独断専行せよ」と野津らに命令し、直ちに北上し、鴫緑江北岸の九連城をめざした。
清国軍は日本軍の鴫緑江の渡河点に近い九連城に1万8千人、砲73門で陣地で立てこもり、約15キロ上流の水口鎮付近を約5千で防御した。
第1軍主力部隊は食糧輸送に苦しみながらも予想以上のスピードで清国軍を撃破しながら10月24日夜、ベルギー式軍事架橋(193メートル)を同江本流にかけて渡河に成功、25日に九連城での決戦となった。敵前渡河での日本兵の勇敢な行動は世界の注目を浴びた。
ところが、ここでも宋慶総司令官の清国軍はいち早く撤退、逃走しており、九連城はもぬけの空となっていた。無血で入城した一軍は10月30日に鳳凰城、11月1日には大孤山を押さえ日本軍は鴨緑江北岸をなんなく占領した。
ここで問題が起きた。冬将軍がせまっていたが、兵士は出兵した時の夏装備のまま。一挙に遼東半島に攻め込むという戦意旺盛な山県第1軍に大本営は待ったをかけて対立。大本営は鳳凰城付近での「守勢冬営」を命令した。
第2軍(大山巌司令官)は旅順口占領のため遼東半島南岸(花園ロ)に部隊が上陸、11月6日は金州城を、8日には大連湾を占領した。このときの第一師団を指揮したのが、乃木希典第一旅団長である。
めざす旅順口は清国北洋艦隊の母港で難攻不落の要塞である。第2軍は11月21日から旅順口の攻撃を開始、日露戦争で有名になった「203高地」から案山子山の清軍砲台群に向けて一斉砲撃し、歩兵第三連隊が突撃して砲台を次々に陥し、連合艦隊も海からの砲撃による挟み打ちで、清国軍の最高司令官の襲道台や将軍がこれまた逃亡し、わずか1日で旅順口を陥落させた。
この時、日本兵が旅順市街で市民を虐殺したというデマ報道が米英新聞で伝えられ外交問題化した。日本側の数字は市街地の死者2千人、うち5百人が非戦闘員。中国側は死者総数1万8千人と誇大に発表。原因は捕虜となった日本兵を清軍がバラバラにして首を旅順市街に吊るしたことへの報復も一部にあったが、市民虐殺の数字は誇大発表で、その後の英米メディアも虐殺を否定した。
清国領土(鴨緑江が国境)に入った日本軍の前に、冬将軍が迫っていた。
遼河平原は12月には結氷し、マイナス35度まで下がる。第1軍は遼河平原の要地を押さえる作戦だったが、大本営は断固反対。それを無視した山県は独断で第3師団に海城攻撃を指示して12月12日、海城を攻撃占領した。ところが、敵の猛反撃で海城を死守していた桂は第2軍にSOSを発する始末で、「命令無視」に激怒した大本営、伊藤博文首相は天皇の勅語によって、天皇に戦況報告させるとの名目で山県を帰国させた。
その間、第1軍部隊は冬の装備が到着せず、夏軍服姿で震えながら海城を守った。将兵たちに凍結した路面の戦闘は言語に絶した。清国軍は翌年1、2月の結氷期になって大部隊で4度も海城を攻撃した。少ない兵力の第3師団は凍傷兵が続出するが奮戦して海城を寄り切った。
威海衛の戦い
黄海海戦で敗れた北洋艦隊はその足で旅順口に逃げ帰った。応急修理し、1カ月後の10月19日に威海衛軍港に移り、潮海湾口と直隷平野への日本軍の上陸を阻止すべくニラミをきかしていた。この威海衛要塞は清国が10年かけて南北、周辺諸島に25の砲台をめぐらして防備し、約2万の兵力で固めていた。日本軍は雪解け後の直隷平野での大決戦を想定していた。
しかし、伊藤首相は「このまま直隷決戦に持ち込めば、日本軍が大勝するが、それは同時に清朝を崩壊させ、講和の相手も失うことになる。この際は威海衛の北洋艦隊を撃滅する。また、列国の関心もうすい台湾を攻略し、平和条約締結の際の譲与の一要件とする」と作戦を指示した。
大本営でも威海衛に潜む定遠、鎖遠をそのままにしておけば、渤海湾への大軍輸送のさまたげになると判断し、威海衛作戦、膨湖島作戦を先に実施することとなった。
第2軍、連合艦隊が協力し12月14日に件戦開始となった。冬の黄海は寒風が吹きあれ、輸送も作戦も困難をともなう。大山司令官の第1軍下の第2、第6師団の一部は山東半島東端の栄城湾に上陸し、きびしい雪山を越えて威海衛南岸要塞の前面に進出し、1月30日早朝から攻撃を開始した。連合艦隊は沖合から艦砲射撃を加えて、日本軍は209人の死傷者を出し、南岸要塞、北虎口周辺の陣地などを占領、2月3日北岸要塞をも占領した。
ところで、連合艦隊は威海衛の沖合で待機していたが、北洋残存艦隊は一向に出てこず、上陸した日本軍に砲撃を加えたので、伊東長官は水雷艇での夜襲を命令した。水雷艇は魚雷を搭載した50トンの小艦で16人乗り。速力16ノットと早いが、魚雷の性能が悪く300メートル届くかどうかの代物だったが、世界海戦史上ではじめての水雷艇夜襲攻撃を実施した。
2月3日夜、鈴木貫太郎大尉(のち大将、終戦時の首相)の指揮する第6号水艇が事前に偵察して敵艦の位置を把握して、2日にわたって夜間攻撃をかけ清
艦にぎりぎりまで接近して計15本の魚雷を発射した。この結果、清国の巨大艦「定遠」「来遠」「威遠」その他は撃沈、「鎖遠」は坐礁。提督・丁汝昌は降伏を決意して、伊東連合艦隊長官に通告すると同時に、自ら毒を仰いで自殺した。丁汝昌に先だって鎮遠艦長林秦菅も自決した。
伊東司令長官は丁の奮戦をたたえ、丁重にその遺骸を清国に送り返した。
北洋艦隊はここに全滅した。威海衛軍港にあった「鎮遠」以下10隻の残存艦はすべて日本側に接収された。
連合艦隊は3月23日に澎湖島湾に艦砲射撃の上で混成支隊を上陸させ、約5千人の守備隊を制圧して占領した。日清戦争は日本側のほぼ圧勝で終結を迎えた。
戦前、世界も日本も、これだけの圧勝を予想したものはなかった。ただl人、大本営にあって日清戦争を実質的に全面指揮した川上操六は「鉄
道・船舶の兵端輸送力のない清国には必ず勝てる」と踏んでいた。用意周到にインテリジェンス(情報網)を張り巡らせていた勝利であった。「日清戦争は川上の起こした戦争だ」と言われる所以である。
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