日本リーダーパワー史(456) 「明治の国父・伊藤博文のグローバルリーダーシップ 『伊藤博文直話』(新人物文庫)」を読む⑧
日本リーダーパワー史(456)
前坂俊之(ジャーナリスト)
◎<暗殺直前まで語り下ろした幕末明治回顧録 新刊『伊藤博文直話』
―明治を創った男の最強のリーダーパワーに学ぶ
(以下は2010年3月の執筆の再録です)
今年は日本の内閣制皮の発足からちょうど百二十五年となり、国家最高のリーダーである内閣総理大臣は、現在の鳩山由紀夫首相で第九十三代、六十人目の総理大臣となります。初代の総理大臣はいうまでもなく伊藤博文ですが、歴代宰相の中で最年少の四十四歳で明治十八年(一八八五)に就任しています。
この時すでに西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の‘維新三傑“はそろって悲運の最期を遂げ(明治10-11年)にこの世を去った後のことです。革命の前提である徳川幕藩体制を破壊したのは西郷らの大立者ですが、革命成就後の明治新政府の建設は、伊藤博文や山県有朋、大隈重信らの第二世代組によって行われ、このバトンタッチがスムーズにいったことが明治維新の成功のカギとなりました。
超大物らの目の上のコブが一挙にいなくなったことで、若手組の伊藤や山県らは大胆かつ自由に、西欧をモデルに、お雇い外国人や海外留学生を多数採用して新日本建設に取りかかることができたのです。
この結果、十九世紀末、世界地図に初めてデビューした、ちっぽけなアジア極東の島国日本は、アジア初の立憲国家を建設し、「富国強兵」「殖産振興」をスローガンに『坂の上の雲』をめざして明治三十八年(一九三八)の日露戦争の勝利によって一躍、西欧先進国に認められ、第一次世界大戦後の国際連盟では世界五大国の仲間入りを果たしました。
こうした「二十世紀世界史の奇跡」といわれたこの日本の明治期の大躍進で最高のリーダーパワーを発揮したのは、何といっても伊藤博文です。
日本帝国憲法制定の責任者、最初の内閣総理大臣、枢密院議長、初代政友会総裁、初代韓国統監を歴任するなど、元勲、元老として、㌶明治日本丸〃の船長として長くカジを握ったのです。
確かに毀誉褒貶はありますが、太閤秀吉にも匹敵するその出世ぶりと波乱万丈の人生、ざっくばらんな、庶民的な人柄があいまって、歴代宰相の中では最も人気が高く、たくさんの評伝、研究書があります。ちなみに国会図書館の蔵書を検索して比較すると、伊藤については四〇四件、田中角栄二四三件、山県有朋一〇二件などダントツに多い。
伊藤本人も自らの伝記を残すことに腐心して、大量の書輪や関係文書を保存しており、昭和戦後には「伊藤博文関係文書」(九巻)などや膨大な公的、私的、歴史史料(一次史料、二次史料ともに)が逐次、出版物として刊行されています。
また、一般向きとしては伊藤の手元に保管されていた手紙、手記を関係者が読みやすく解説した『国民新聞』の連載記事はその後、『正続伊藤博文秘録』(春秋社、昭和四、五年刊)として出版されるなど、その数は他の政治家に比べても段違いに多いのですが、自らを語った自叙伝的なものは、この小松線編『伊藤公直話』(昭和十一年版)一冊のみです。
これは、伊藤博文の伝記の決定版である小松線編『伊藤博文伝』(伊藤公全集刊行会、全三巻、昭和二年刊)の中におさめられた第三巻の部分の「伊藤へのインタビュー」を一冊にして出版したものです。内容は人物論、実歴談、修養談など、伊藤の人生で出会った明治維新の偉人、大物、人物の思い出、印象をざっくばらんに語っており、大変興味深い内容です。
編者の小松緑ですが、慶応元年(一八六五)九月、鹿目恒政の長男として会津若松に生まれ、会津藩士小松光明の養子となり、明治二十年に慶応義塾大学を卒業後、二十七年には米国エール大で法学士、二十八年にはプリンストン大学大学院修士号の学位を受けました。
帰国後は、陸奥宗光から語学の才能を認められ、外務省に入省し翻訳官に。明治三十三年にはアメリカ公使館書記官などを歴任。この間に伊藤博文の知遇を得て、特にその語学力を認められました。
明治三十九年、伊藤が初代統監としてソウルに赴任すると、伊藤の秘書的な存在として抜擢されて、十一年間にわたって朝鮮総督府外務部長、中枢院書記官長を歴任しています。
その後、豊富な外交官経験と語学力を生かして、著述家として活躍します。特に、『中外商業新報』(現在の日本経済新聞)に連載した『明治外交秘話』(昭和年)は小松の代表作で、読みやすい明治政治・外交史の決定版といってよいものです。
明治の政治や外交の内幕を小松自らの経験談と、直接当事者から再取材したデータ、海外の豊富な文献も混ぜ合わせて伊藤、山県、陸奥宗光、小村寿太郎ら明治の野性的な政治家、リーダー、梁山泊の活躍ぶりが活写され興味津々の裏面史に仕上げており、いま読み返しても大変面白い内容です。
このほか、『春畝公と含雪公』(学而書院、昭和九年)、『伊藤公と山県公』(千倉書房、昭和十一年)、『伊藤博文伝』(春畝公追頒会、全三巻、昭和十一年)の編者となっており、伊藤の伝記の第一人者で、昭和十七年一月に死去しています。
本書は、先に紹介した『伊藤公直話』(千倉書房、昭和十一年刊)を底本に再編集したものです。ク明治を創った男″伊藤博文の肉声に触れながら、そのリーダーパワーの秘密の一端を知る貴重な一冊です。
<目次>
大久保利通を語る
木戸孝允を語る
西郷南洲を語る
高杉晋作を語る
三条実美を語る
岩倉具視を語る
島津久光を語る
島津斉彬を語る
吉田松陰を語る
長井雅楽を語る藤田東湖を語る
大村益次郎を語る
佐久間象山を語る
サー・バーリー・パークスを語る
弘法大師を語る
狩野芳崖と橋本雅邦を語る
豊臣秀吉を語る
菅原道真を語る
第二編
堀田閣老要撃の余話
大橋順蔵逮捕の話
彦根藩迎賛真偽偵察の話
長井雅楽暗殺計画の話
来原良蔵割腹の話
御殿山焼打ち事件の話
水戸浪士との関係の話
薩長聯合経緯の話
海外密航と故国の風雲
各国艦隊の馬問砲撃の話
艦上の和議談判
長州の政府打倒の挙兵
長藩政府の内証の話
将軍暗殺の陰謀の話
雲隠れの木戸を迎うる話
江戸城処分の反対論
兵庫論として奸物視さる
外人の兵庫占領の話
最初の外臣謁見の日の事件
詰腹切った近藤親一郎の話
廃藩置県の決定
第三編
憲法立案の要旨と憲法政治の事
第四編
浴衣がけの予
大和民族の将来
人権政権の区別
忠義の二字
貯蓄と清廉
書簡の効用
自愛説
友情に泣く
文書に諭す
名所古蹟の保存
日本鉄道の起源
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